10話:悠久の霧
千森の長の屋敷から出た十紀はひとり、煙草を吸いながら深い霧で見えない空を見上げていた。
(…刺す釘はこれくらいでいいだろう。さすがに考える頭はあるだろうしな、あれらにも。これ以上、何かやるようなら本気で潰せばいい)
ため息をついた十紀は吸っていた煙草を携帯灰皿に入れて片付けると、再びため息をつく。
「後はこの霧の発生源であるあの娘を、どうにかできれば落ち着くんだろうが…」
霧が晴れた後、失った者達との別れの儀式を行う予定になっている…皆、別れの言葉すら彼らの亡骸にかける事ができていないのだから。
それに――水城の事もある。
彼女の甥にここで何が起こったのか、すべて告げなければならない。
それが残った者の務めであると同時に、彼には知る権利があるのだから。
ついでに、先代となる愚かな長の話も今後の教訓として話さないとならないのは仕方ないだろう。
(まったく…やる事が山積みだが、今回は例の連中からの妨害が入らなかっただけマシか)
八年前は何者かから爆弾を送りつけられ九條と里尾、そして琴音の写し身が犠牲となった。
本人により近かった琴音の写し身を失ったのは痛手だったが、ふたりのおかげでそれ以上の被害をださずに済んだ。
しかし、計画はかなり遅れる事となってしまったが――
六年前はふたつの組織によって【古代兵器】のひとつである『薬』を奪われた上に、それが使用されてしまった。
そのせいで街ひとつは滅ぼされ、数多の生命と大切な仲間達を永遠に失う悲劇が引き起こされてしまった。
今回【古代兵器】のひとつである【迷いの想い出】の暴走による悲劇だ…もし、かの国から再び妨害が入れば更なる惨劇になっていたかもしれない。
もっとも、彼らは【迷いの想い出】をあまり重要視していないようだったが……
「しかし、次から次へと問題が起こるものだな…そう思わないか?」
背後に現れた自分の従者に、十紀は苦笑しながら声をかけた。
「そうですね…何故、彼らはあんなものを欲しているのか未だに理解できませんし」
そう答えた穐寿は十紀の隣に並び立つと、声をひそめるように言葉を続ける。
「…哉瀬の方はあの部屋に閉じ込めてきたので、片が付いてから例の部屋に押し込めばよろしいかと。それと理矩へこちらの状況について連絡を入れたところ、終わり次第…水無を連れて、こちらに向かうそうです」
「そうしてくれると助かるか。さすがに、後始末をしながら迎えには行けないしな」
生まれながらに強い『共鳴する力』を持っていた為に、哉瀬が引き取ろうとしたのは水城の甥である水無だ。
…だが、すでに千森の【祭司の一族】は同じく強い『共鳴する力』を持つ水城を引き取っていたというのにもうひとりを欲したわけである。
何か企んでいるのでは、と考えた〈神の血族〉は水無を守る為に比較的に年齢が近い幼子であった神代との入れ替えを計画する。
さすがにばれるのではないかと危惧する者もいたが、知治の「幼子の1~2年は僅かな違いって言うし、気づかないんじゃね?」という言葉に半信半疑ながらも水無を輝琉実にある教会で保護した…もちろん、彼の両親を説得して。
まさか本当に入れ替えに気づかれないのには思わず笑ってしまったが、その勘の悪さのおかげで自分達は千森に潜入できた。
ちなみに前任者の医師は40代後半となり、ひとりで千森の住人を診るのは辛いと言っていたので別の医院を紹介したのだ。
今度は休暇をとれる、と喜んで別の医院へ移動していったわけだが…どれだけ前任者を酷使していたのだろうか、と十紀は不思議に思ったものである。
その理由は、千森医院に赴任してからわかったが……
「まぁ…【祭司の一族】を含む千森の民は、今までの傲慢な振舞いのツケを払う時がきただけだろうな」
小さく呟いた十紀はため息をついて、先ほどまでいた千森の長の屋敷を振り返る。
穐寿も同じく視線を向けて、主に同意するように頷いた。
真那加は千森の住民達がとても親切で優しい、と思っているようだが…それは彼らの表向きの顔でしかない。
実湖の住人達もそうであったので、実湖で生まれ育った彼女は気づけなかったのだろう。
彼らは常に余所者を遠ざけたい、自分達の日常を脅かす存在だと考えているようだった。
だから、当たり障りのない対応をしているにすぎない――優しさなんて、そこに欠片もない。
千森が一年に一度だけ余所者を受け入れているのは生活のためであり、当たり障りのない対応をする事で祭りの真実を隠す為だ。
一年前の事件で犠牲になったのは多くの観光客達と、ただ何も知らなかった千森の若者達であったのは予想外だったはずである。
この考えに賛同しなかった実湖だけは、観光客の受け入れだけは絶対にしなかった。
――結果だけ見れば、犠牲者は集落の者だけに限られていたのでその対応は正しいのかもしれない。
(今更、彼らを責めたところで何も解決はしない…それに、これから更に厳しい管理体制をひかれるだけだろうしな)
放っておいても彼らは必然的に罰せられるだけなので、これ以上は干渉しなくてもいいだろう。
今回の件は天宮と十紀に一任されているので、厳しい管理体制にしたところで誰からも咎められない。
そう考えた十紀は穐寿と共に、残っている問題のひとつである医院にいる愚かな者達の処遇を決める為に帰っていった。
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