10話:悠久の霧
輝琉実にある教会の、照明が点いていない部屋の中――ひとりの青年がいる。
目の前にあるパソコンの明かりだけが彼の顔を照らしていた。
時たまキーボードに添えた手を動かし、何やら作業している様子だ。
「…ん?あぁ、姿を現したみたいだね…あの子」
「もはや、何の権限もない娘か…どうするつもりなのだろうな?」
独り言として呟いた言葉に返事があり、「おや?」と首をかしげた彼は振り返る。
そこにいたのはふたつの人影…ひとりは修道女服の女性で、もうひとりは黒髪の男だった。
返事をしたのは、おそらく黒髪の男の方だろう。
「あれ…六実に塑亜、ノックもなしにどうしたんだい?」
「一応ノックしましたよ、貴方が気づかなかっただけで。わかっていると思いますが瀬里十さん、塑亜様に失礼のないようにね」
青年・瀬里十に声をかけた修道女の六実は、黒髪の男・塑亜に頭を下げて礼拝堂へ戻っていった。
礼拝堂へ向かった理由は、今回の剣での赦しの祈りを捧げる為だろう。
「失礼のないように、って俺は子供じゃないよ」
「自分の胸に手を置いて思い返してみろ、まんま子供だろうが。で、状況はどうだ?」
六実の姿が見えなくなったと同時に、呆れた様子で塑亜は訊ねた。
心外だというように口を尖らせた瀬里十が手招きして、パソコンの画面を指差す。
「システムの切り替えなら、ほぼできている状況かな…あとは認証させれば完了。現在、切り替える前に前任の残滓が現れたってとこ」
「…仮だが、新任の方が動いているんだろう?」
画面を見つめたまま、思案している塑亜が問うた。
事態のあらましを、六実から聞いていたのだろう…誰が新たに制御する立場となるのかまでは知らなくとも。
「うん。千森の、赤髪の娘」
「確か、水城という名だったか。何でそうなったんだ?」
塑亜の質問に、頭の後ろで手を組んだ瀬里十はため息交じりに答える。
「簡単な話、千森の長の孫娘が霧に惑わされたところを助けて逆に飲まれた~って感じかな。あの力が災いしたみたいだね」
「はぁ、あの力を持つ者は数少ないというのにな…天宮様からは、何と?」
「現千森の長・哉瀬の全権限を剥奪、今回の事態の責任をとらせて蟄居させるそうだよ。場所までは知らないけどさ」
繋いだ向こう側の会話を聞いたらしい瀬里十が、片手で頭を抱えた塑亜へ簡単にそう説明した。
納得したように頷いた塑亜は、静かに扉の方へ視線を向ける。
「なるほど…次は保護した子――水城の甥を後継にするのか。まぁ、その方がいいだろうな」
「ふたつ残った箱庭のひとつ、実湖も滅んだからねぇ…これからは、次代の長を慎重に選んだ方がいい」
【迷いの想い出】を封じる為に造られた箱庭は元々幾つかあったのだが、今はもう千森しか存在していない。
だからこそ彼らを統率する『長』選びは今まで以上に、慎重にならざるを得ないだろう。
「わかっている。その件は追々対応を考えるとして、だ…まずは、こちらの問題を片付けてから選ばせればいいだろう」
再び視線を、瀬里十の見ているパソコン画面に向けた塑亜はそう呟いた。
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