7話:記憶の海風

今から一年前――祭り最終日の夜、突然千森ちもり実湖みこを深い霧が包み込んだ。
その霧の狂気に飲み込まれた最初のひとりが、刃物を片手に集落千森内外の人々を追い回しはじめた。
刃物によって、直接生命を落とした者はいない……だが、怪我を負った者の何人かは霧に惑わされて逃げきれず飲み込まれてしまったのだ。

――翌日、霧に飲み込まれた者達の血痕と遺品は千森ちもり実湖みこの間にある森の中から見つかった。
しかし、行方不明者は誰ひとり見つからず……状況から生き残っている者はいないだろう、と里長をはじめとする【祭司の一族】は判断を下すしかなく。
遺体の損傷が激しいからという理由で蓋の閉じられた棺だけ用意して、合同で葬儀がおこなわれる事となった。

集落で起こった哀しい出来事から数日経った頃……気づけば、霧は昼夜問わずほぼ毎日のように現れはじめた。
――その予兆として、老若男女の笑い声が何処からか聞こえてくるようになったのだ。
最初の頃…集落の者達も、この笑い声と霧に危険性があるとはまったく考えていなかった。

霧の危険性…それは――あの悲劇の祭りの日に消えた者達が、自らの意志を無くし集落に戻ってきてはじめて発覚する。
まるで別人のようになった…いや、もはや生者とは言えないその姿に集落の者達は恐怖するしかなかった。
大きな被害はなかったが、ひと月も経った頃には霧が発生したらすぐに屋内へ避難するよう決められ…集落の者達も恐怖から従った。

身体が霧によって強化されている化身達……彼らは多少の怪我だとすぐに治してしまう。
だから、首を斬り落とした上で〈神の血族古代種〉の血で浄化しなければ甦るのだそうだ。


穐寿あきひさの説明を聞き、この集落を蝕むものの正体を知れた――そして、自分の知らなかった霧のしもべたる化身の倒し方も。
この後、実哉みやの亡骸を浄化しなければ……再び、彼女を苦しめてしまうだろう。

「あの…穐寿あきひさ先生、浄化の為に必要な――その、〈神の血族古代種〉の血は先生にお願いしていいですか?」
「…私のものより、きっとこちら・・・を使った方が実哉みやは喜ぶかもしれません」

そう言って、穐寿あきひさは白衣のポケットから赤い液体の入った小瓶をだした。
その小瓶を片手に…自らが斬り落とした実哉みやの首を抱きかかえるように持ち、力なく倒れている胴体部分の傍らに優しく置く。

青髪の娘は、穐寿あきひさの持っている小瓶の中身を不思議そうに眺めながら訊ねた。

穐寿あきひさ先生、その小瓶の中身は……」
「あぁ、これは――天宮あまみや様に持ってきてもらいました、実哉みや想い人・・・の血です」

ゆらゆらと小瓶の中身を揺らした穐寿あきひさが答える……彼女の為に、別件で訪れる天宮あまみやに頼んでいたのだと。
少し驚いたように目を見開いた青髪の娘は、納得したように頷きながら訊ねた。

「……知ってらしたの、実哉みやの想い人が誰なのかを――」

こっそりと教えてもらった自分以外、誰も知らないだろう実哉みやの想い人の存在――それを穐寿あきひさ先生が知っていたのに驚いたのだ。
いや、気づいていたのはもしかすると天宮あまみやの方なのかもしれないが……
どちらにしろ、実哉みやの浄化に彼女の想い人の血が使えるのなら喜ばしい事なのかもしれない。

小瓶の蓋を開けた穐寿あきひさは、小瓶の中身である〈神の血族古代種〉の血を実哉みやの亡骸にかけていった。
その血から現れた蒼い炎が実哉みやの亡骸にまとわりついていた黒い靄のようなものを焼き尽くして、やがて消え去った。

「これで、実哉みやは救われました……すべてが終わりましたら、弔いの方を希琉きるにお願いします」
「……はい、わかりましたわ」

この様子では、自分が修道女シスターになろうと計画しているのがバレている……と考えた青髪の娘・希琉きる穐寿あきひさに向けて頭を深く下げる。
――だとしたら、王族第三王子である天宮あまみやもその事を知っている可能性しかないが何も言ってこない事を考えると黙認してくれるのだろう。

「あの、穐寿あきひさ先生……もし、理哉りやを見かけましたら屋敷に戻るよう伝えてくださいます?」

ある程度身は守れるが、護身用に持っていた短剣は先ほど実哉みやに壊されてしまった……
つまり、もう自分の身を護る手段がなく――それで動き回れば、自分の身の危険はもちろん穐寿あきひさ達の邪魔をしてしまうだろう。

羽織っていた黄緑色のストールを実哉みやの亡骸にかけた希琉きるは、傍らで祈りを捧げるので理哉りやへの伝言を穐寿あきひさに頼んだのだ。
希琉の頼み事に穐寿あきひさは微笑みながら頷いて答えると、足早に去っていった。

穐寿あきひさの去っていく後ろ姿に向けて、もう一度頭を下げた希琉きるは感謝の言葉を口にした――例え、それが穐寿あきひさの耳に届いていなかったとしても。
そして穐寿あきひさの姿が見えなくなった後、実哉みやの亡骸の傍らに膝をついてストール越しから撫でた。



霧の狂気に取り込まれた『咎人の血を引く者達』に救いを――どうか…この悪夢が早く終わりますように、この哀しみがもう二度と起こりませんように。



〈咎人〉の血を引いておらず、ほんの少しりん国王族の血を引いているだけの彼女は、ただただ祈る事しかできなかった。



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