6話:狂気の石碑

「この辺りに来た、と思ったのだが…穐寿あきひさ、周囲の警戒を怠るなよ」
「心得ております…ただ十紀とき様も、無理だけはなさらぬように」

十紀ときの言葉に頷いて答えた穐寿あきひさは、あるじにあまり力を使わないよう声をかける。

この2人は医院に侵入してきた『霧』の化身を追って集落の中程まで来たのだが、急に霧がでてきた事で見失ってしまったのだ。


集落を覆う深い霧――これは、人間ひとにとってこころを狂わせるものである。
だから、途中まで一緒にいた神代かじろ古夜ふるやに逃げ遅れているだろう集落の者達の保護を任せた。

――天宮あまみやと同じく、『霧』の狂気という名の毒に冒されている神代かじろに無理をさせない為に。


(…実質、【主】の力を持ち余力があるのは私だけだからな)

3司祭の役目を担っている内、ひとりは『霧』に捕らえられ…もうひとりは体力的に限界をむかえている。
この国の大神官を務めているでさえ、その力を消耗して弱っているのだ。
……となれば、3司祭のひとりでもある自分がある程度無理をしなければならないだろう。

そう考えた十紀ときは目を閉じて、『霧』に意識を繋いだ――今、この集落にいるであろう化身達の行方を知る為に。

(すぐ近くの茂みにひとり、か…化身としての力は弱いのが幸いだな)

残りの――医院を襲撃した者を含む化身達の行方も読み取ろうとした瞬間、胸の辺りに鈍い痛みが走り…十紀ときは思わず顔をしかめた。
その様子を心配げに見守ってる穐寿あきひさに、十紀ときは何でもないというように首を横にふって心の中で苦笑する。

天宮あまみやのように全てを見通せなくとも、あと2~3人くらい居場所が分かればと思ったが……さすがに、そう上手くいかないか)

あまり、この状況を長引かせるわけにもいかないだろう……だから、ある程度把握しておきたかった十紀ときだったが無理はできないと考えを切り替えた。

――今、付近の茂みに隠れている化身は力が弱い事からなりそこないか…もしくは『霧』による支配に対して先天的な抵抗力を持っているのか、詳しくはわからない。
しかし、本人の為を考えるなら化身となった身体から魂を解放してやった方がいいだろう…完全な力を持つ化身が接触してくる前に。
……おそらく、正気と狂気の狭間で苦しんでいるだろうから。

静かにため息をついた十紀とき穐寿あきひさに視線で指示する――何も言わずとも全て伝わるのは、〈古代種〉という種族の特質のおかげなのだが。

一応、白衣のポケットに護身用のナイフがあるのを確認した十紀ときはゆっくりと茂みに近づく。
そこには、しゃがみ込んだ少年の姿があった。
囁くようなか細い声で何かを呟いているようだが、近づいてもまったく聞き取る事はできない。

穐寿あきひさの気配を感じ取り、彼のいる位置を把握した十紀ときは視線をその少年に向けると声をかけた。

「…こんな所でどうした?」
「……ぁ、うぅ?」

不思議そうな表情を浮かべる少年は、何処を見ているのかわからない――視点の合わない瞳を十紀ときに向ける。
そして、何かを求めるように手を伸ばすとか細い声を発した。

「あ、う…く、るしい…こぉろす、いや…ぁ、こわい…た、すぅけて…」

何度も何度も、同じ言葉を繰り返しながら少年が十紀ときに近づこうと這い寄っていく。
彼の、その様子を見た十紀ときはしゃがみ込んで少年の頭に手をのばすとゆっくり撫でた。
身を隠しタイミングを計っていた穐寿あきひさが慌てている気配を感じつつ、十紀ときは少年のこころに意識を繋いで声をかける。

「…そうか、お前は『あれ』の声にひとり抗っていたんだな。助けが遅くなって悪かった…すぐに、その狂気から解放してやる」

少年の頭から手を離すと、そのまま彼の瞼を撫でて閉じさせた。
その間も少年は先ほどの言葉を呟き続けているので、十紀ときの言葉が彼に届いているのかどうかはわからない。
だが、彼のこころには届いているだろう…そう願わずにはいられなかった。

白衣のポケットからナイフを取りだし鞘を足元に落とす…そして、小さく「すまない」と謝罪をすると同時に少年の首にナイフの刃を走らせる。

「っ…かはっ」

首の傷口から勢いよく血が噴きでて、口からも血を吐きだしながら少年は自らの血だまりに力なく倒れ込んだ。
少年の血で濡れた十紀ときは着ている白衣の袖で顔を拭うと、足元に落としていたナイフの鞘を拾う為に視線を動かした。
その一瞬の隙をついて立ち上がった少年が、十紀ときを襲おうとし――

「ぁ、がっ!?」

その瞬間、少年の背後から吹いた疾風と共に彼の首が飛び…残された身体は前のめりに倒れた。
疾風の発生元――彼の背後に立っていたのは、刀を抜き身で持つ深緑色の髪をしたメガネの青年だ。
彼に斬られた少年の首は勢いのまま、十紀ときの足元まで転がった……

半分化身となった少年は、どうやら致死量の出血をしても動けたらしい。
おそらく、身体の構造が『霧』によって変えられていたのだろう。
…大昔現れた化身も、どんなに致命傷を与えても『霧』がその生命を維持していたのだから。

その事を又聞きで知っていた十紀ときだったが、実際に対峙するのは初めてであった。
なりそこないの化身であっても、『霧』は彼の生命を維持していたようだ。

少年の首が落とされた事に驚きを見せなかった十紀ときは、視線を足元から青年に向けて声をかけた。

「助かった、穐寿あきひさ…それにしても、その刀を何処で見つけた?」
「何処…そこの納屋に置いてあったので借りしました。それよりも、お怪我はありませんか?」

……持ち主は、納屋に刀を何の目的で置いていたのか?
そこは気になるところだが、穐寿あきひさの言葉に十紀ときは大丈夫だというように首を縦にふった。

さすがに首を落とされた事で、この少年は『霧』の狂気から解放されただろう。
持っていたナイフの刃部分を反対の手で握り込んだ十紀ときは、手から流れ出る血を少年の頭と胴体に垂らした。
その瞬間、少年の頭と身体は十紀ときの血から現れた蒼い炎のようなものに包まれて黒い靄のようなものを燃やし尽くし……やがて、それは消えてしまう。

「…とりあえず、騒ぎが落ち着いた後に回収するぞ。それより、だ――」

近くの納屋から大きめのシートを持ってきた十紀ときは、少年の亡骸にかけると言葉を続けた。

その刀それは、しばらく借りておこう…まだ何体か会う可能性もあるからな」
「はい、後日返すとします――悠河はるかに」
「…そうか」

悠河あいつ、一年前の件でどさくさに紛れて隠していたのか…と考えた十紀ときは、それ以上何も言わず頷いておく。

まぁ…あのまま武器を持っていたとすれば余計な誤解を生んでいただろう、と予想できるので隠すという行動は正しいのだろう。
――だが、それをこちらに伝えておいてくれなければ…それはそれで違う問題が起きるだろうが、と思わなくもない。
こちらの確認不足でもあるので一応、刀を返す時に伝えればいい――なんだったら、悠河はるかの主である桜矢おうやに言ってもいいだろう。

そう結論付けた十紀ときは大きくため息をつくと、もう少し集落を見回る為に少年の亡骸から背を向けた。
すぐ傍まで穐寿あきひさが来るのを待ってから、彼らは集落を徘徊しているだろう残りの化身達を探す為にその場を去っていた。


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