5話:実りの羽根

穐寿あきひさ先生に案内された病室で理哉りやさんを待っていた私は、とりあえず持ってきた荷物をクローゼットに仕舞った。
理哉りやさんには、穐寿あきひさ先生から新しい病室の場所を伝えてもらえるそうだから…彼女が来るまで大人しく待っていよう。
――とはいえ、何もせず待っているのは手持ち無沙汰というか…時間を持て余してしまうというか…

(そういえば、この部屋…前のところと左右逆の位置にお手洗いや洗面台、シャワールームがあるのね)

クローゼットの位置が反対側にあったのが気になって、室内をゆっくりと見て回った。
まぁ、位置が左右逆なだけで前のところと同じものが設置されているわけだけどね……


ふと、窓の外に目を向けてみたら…前のところと部屋と場所が違うから、外の景色が少しだけ違った。
ひとつ階が上がったのも相まって、なんだか新鮮な気分だな……

「え…っ?」

窓の外を眺めていて気づかなかったのだけど……窓ガラスに知らない少女が映りこんでいて驚いた私は、思わず声をあげてしまった。

この少女――赤い髪に赤いワンピースを着た女の子は、どうやら窓の外ではなく私の背後に立っているみたい。
一体、何処の子なのだろう…?

そう考えながら、振り返って赤い少女に声をかけた。

「どうしたの?もしかして、迷子…かな?」

私の問いに、赤い少女はゆっくりと首を横にふってから静かにこちらを見ている。
…まるで、何かを訴えかけるように――

どうしたものか、と考えていたその時…部屋の外――ううん、多分1階の方で何か倒れるような物音が響いてきた。
続いて、何か…窓かな?
ガラスの割れるような音も聞こえてきて、思わず身をすくめてしまった私はどうするべきか戸惑ってしまった。

ここで待っているように言われているし…それに、この赤い少女をひとりにするわけにもいかない。

私の戸惑いに気づいたのか、赤い少女が小さな手を私に差しだした。

『…大丈夫、私が一緒だから。早く行かないと…天宮あまみやお兄ちゃんが危ないの――早く、この部屋に連れてこないと』

赤い少女は口を動かしていないのに、そう言う――彼女の声だというのは、おそらく間違いないと直感的に思えた。

天宮あまみや様が危ないって…何が下の階であったのかわからないけど、行った方がいいみたい。
――というか、この赤い少女は天宮あまみや様の妹さんなのかしら…?

私が少女の手を握ると、彼女は安心したように微笑んだ。



赤い少女と共に1階の方へ向かうと、待合室や診察室は無残にも荒らされていた。
まるで、力いっぱい暴れたかのような……そんな状況に、思わず足がすくんでしまう。
それでも赤い少女は歩みを止めず、少し左右を確認すると診察室の前を通り過ぎて廊下を進んでいく――

彼女に手を引かれながら、私は黙ってついて行く事しかできなかった。
少し行ったところで、赤い少女は歩みを止める…そこは、検査室と書かれている場所だった。

「…ここにいるの?」

私が声を潜めるようにして赤い少女に訊ねると、彼女はゆっくりと首を縦にふる。
どうして彼女はお兄さんがここにいるとわかったのか、それはわからなかったけど……ここだというのだから、と扉を開けた。

部屋の中は薄暗く、どうなっているのか見えない……けど、時折音を押し殺しているかのような咳が聞こえてくる。
とりあえず電気を、とスイッチを探している間に赤い少女は咳が聞こえてくるところへ向かって小走りに行ってしまった。

ようやくスイッチを見つけた私が明かりをつけると同時に、天宮あまみや様らしき人物の驚いたような声が響く。

「…っ、琴音ことね…何故――」
「えっ?」

振り返った私の目に映ったのは、驚愕の表情を浮かべている天宮あまみや様の姿だけだった。
天宮あまみや様はうずくまるような体勢のままこちらに顔を向けているのだけど、口元から血が伝い床を染めている。

「だ、大丈夫…ですか?それと、あの子――妹さんは…?」

慌てて天宮あまみや様の傍らに行って声をかけると、彼は小さく首を縦にふった。

「えぇ、大丈夫です…それよりも、何故琴音ことねと――」

部屋に迷い込んできた赤い少女・琴音ことねさんに導かれてここに来た事を説明すると、天宮あまみや様は咳をひとつして答える。

「はぁ…まさか、まだ還っていなかったとは――いえ、そのおかげで飲み込まれず済んだというべきですか…真那加まなかさん、感謝します」

天宮あまみや様は口元を自分の右袖で拭うと、ゆっくりと立ち上がろうとしてふらついた。
私が慌てて身体を支えると、「すみません」と天宮あまみや様は頭を下げる。

ふと天宮あまみや様がうずくまっていたところの傍に、水色のコートが落ちているのに気づいた。
――確か、八守やかみさんが着ていたもののような…?

コートを片手に首をかしげていると、天宮あまみや様がため息ついて口を開いた。

「それを…八守やかみが私にかけたんです。そのコートは一時的にではありますが、魂への干渉を無効化してくれるものだからと」

『霧』は人の『想い』を汲みあげる為に、人の精神に干渉する力が強いのだという……
それを防ぐ為に、天宮あまみや様にコートを被せて検査室ここに放り込んだらしい――八守やかみさんが。

――うん、気のせいじゃなかったら…天宮あまみや様、少し怒っているんじゃないかしら?

「そういえば、ですが…」

何かを思い出した様子で、天宮あまみや様が言う。

「貴女は、私を恐ろしく感じていたのではないですか?」
「えっ…そんな事――」

確かに、天宮あまみや様と初めて会った…ううん、すれ違った時は恐ろしく感じた。
でも、医院ここで会った時や今はそんな感じはしない…むしろ、普通だと思う。
――というか、私…そんなにも顔にでていたのかしら。

半ばパニックに近い状態の私に、天宮あまみや様は小さく笑った。

「…そうじゃありませんよ。私は目が見えない分、この力・・・が誰よりも強いのです」

それに、あの時は『霧』に意識を繋いでいましたから…と、天宮あまみや様は続ける。

だからか…と納得した私は、天宮あまみや様を妹さんあの子が言っていたとおりに私の部屋まで連れていく事にした。
――もちろん、天宮あまみや様にもそれを説明して…ね。

ただ…かなり荒らされている状態だから、天宮あまみや様が歩くには危険極まりないと思えた。
なので、私が杖代わりになる事を申し出ると天宮あまみや様は快諾してくれた…んだけど――

真那加まなかさん…ひとつだけ、訂正させてください。琴音ことねは…貴女をここに導いた、あの少女は私の妹ではありません」

…ん?え、妹さんじゃないの?どういう事かしら…?

思わず天宮あまみや様を二度見してしまったら、彼は少し寂しそうな笑みを浮かべた。

「あの子は…何処かに封じられている、姪の写し身――もう、亡くなっているんです…めい国で」

そうかー…だから、あの子は口を使わず喋っていたのね。
幽霊だったのかー…と納得しかけたけど、色々と疑問が残ってしまったような?

それを訊ねようと口を開きかけたら、天宮あまみや様が諭すように言った。

「それは、もう貴女自身が知っている……というより、桜矢あのバカがすでに教えている事です。その内、思い出せますよ――どんなに忘れようと…その罪は消えないのですから」

最後の方は独白に近かったけど、天宮あまみや様の表情を読み解く事はできなかった……


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