1話:喪失の欠片

「…ん……」

なんだか、すごくぐっすりと眠っていた気がする…――

「…もう大丈夫だな……」

目が覚めると、そこは見知らぬ白い天井。
傍には、白衣を着た人…多分、医者かな?
ベッドで横になっている私を見ていた。

「…そうだ。自分の名前、わかるかい?」

その問いに、私はゆっくり頷いて小さく答える。

「…はい。私は、真那加まなかです……あの、ここは…?」
「ん?…あぁ、ここは千森ちもりにある医院で私は十紀とき先生だ」

千森ちもり…?
確か、千森ちもりは自然と共存する小さな集落。
四方を山と谷に囲まれた、小さな人のテリトリー。

でも何で、私はここにいるんだろう?
というか…この人、自分で先生と言ってるし……

「君は全身泥だらけで、千森ちもりの近くで倒れていたんだよ。身体の方に、大した怪我はないようだったが……」

全身泥だらけ……?
何で私は、泥だらけで倒れてたんだろう?

「まぁ、君が保護された日は雨が降っていたからな……」
「あの……」

私は疑問に思っている事を、十紀とき先生に訊ねた。

「私、どのくらい眠っていたんですか?どうして、泥だらけだったんですか?雨は、何時いつ…」
「落ち着いて――」

十紀とき先生は、優しく私を落ち着かせようとゆっくり語り始める。

真那加まなかさん、君は一年間眠っていたんだ。一年前…ここ千森ちもりに大雨が降った日に君は保護され、この医院に運ばれたんだ――君は、何処から来たんだい?」
「…わかりません……」

思わず、私は小さな声で呟いていた。

わからない…何処から来て、何をしていたんだろう?
――一瞬、誰かの顔が頭をよぎった。

「……」

黙ったままの私の頭を、十紀とき先生は優しく撫でてくれた。

「…無理して思い出さなくていい。ゆっくり思い出せばいいのだから…」

十紀とき先生は、そう言ってくれたけど…私、どうして忘れちゃったんだろう?
何か大切な……そう、大切な何かがあったような気がするのに……――

私が落ち着くまで、十紀とき先生は傍にいてくれた。
そして、しばらくして「他の患者を診てくる」と言うと病室から出ていった。

――ふと、窓の外に目を向けると雲のほとんどない青空が広がっていた。


タシカ…アノトキモ、コンナソラガヒロガッテイテ…


「っ…!?」

不意に酷い頭痛に襲われ、正気づいた。

「あれ…?私、何を考えていたんだっけ……」

…思い出せない、わからない。

「…考えても仕方ない――ちょっと外の空気を吸いに行こう」

外へ出てみようと部屋を出たら、ひとりの若い看護師さんに出会った。

「ぁ、おはようございます。もう大丈夫ですか?」
「はい…もう大丈夫です。ご迷惑おかけします…」

私が申し訳なさそうに謝ると、看護師さんは慌てた様子で手を振る。

「ううん。謝らないで!あ、私の名前は水城みずき。あなたは?」
「私は、真那加まなかです」

水城みずきさんは、嬉しそうに微笑みを浮かべている。
なんだか、とっても明るい人だな…それに、私と歳が近いかもしれない。

「えっと…真那まなちゃん、って呼んでもいいかな?」


――真那まなちゃん。


一瞬だけど、水城みずきさんと誰かが重なって見えた気がした。
……一体、誰なの?

真那まなちゃん…大丈夫?もしかして、イヤだった?」

呆然と立ち尽くしていると、気を悪くしたと思われたみたい。

「ち、違います…ただ、他の人からもそう呼ばれていた気がするから――」

私は慌てて首をふると、水城みずきさんは安心したように微笑んだ。
そして、彼女は何か思いだしたように手を打った。

真那まなちゃん、これから散歩するの?」
「ぁ、はい」

水城みずきさんの言葉に、私は少し驚きながら返事する。

「少し気分転換しようかな、と……ダメでしょうか?」
「ううん、ダメじゃないけど…この医院の周りから、あまり離れないようにね」

そう言って、水城みずきさんは仕事に戻っていった。
私は水城みずきさんを見送った後、医院の外へ出ようと扉のノブに手を置く。

すると突然、扉が開き――思わず、驚いて立ち止まっていると中年の男性が入ってきた。
何故か、私を異質なもののように見ている。

――なんだか、怖い……

「ダメですよ、里長殿。いきなり貴方に睨まれたら、誰だって固まってしまいますよ」

突然、私の後ろから物腰の柔らかな声が聞こえてきた。
振り返ると銀髪の、色の白い青年が微笑みながらそこに立っていた。

「ふん…睨んでおらんわ。それよりも、十紀ときはおらんのか?」

里長と呼ばれた中年男性は、私を押し退けるようにして入ると待合室にある椅子に腰掛けた。

「いますよ。でも、今は手が放せないそうです。水城みずきさんに診ていただいたらどうですか?」
「ふん。ただ、儂に会いとうないだけだろう?…水城みずき、いいから十紀ときを呼べ!」

青年を軽く睨みつけた後、診察室の方にいるであろう水城みずきさんへ向けて大声をだす。

――医院では、静かにしないといけないのに…

注意しようとしたら、青年は私の傍に来て「外へ…」と囁いた。
意味はわからないけど、疑問に感じながらも、青年と一緒に外へ出る。

「すみません…里長は、少し短気なんですよ」

外に出ると、青年は申し訳なさそうに頭を下げた。
それと同時に、医院から怒鳴り声が聞こえてくる。

十紀とき、手が放せぬという理由はそれか!?いい加減にせぬかーっ!!」

…一体、何があったんだろう?
私が首をかしげると、青年は苦笑しながら理由わけを教えてくれた。

十紀ときのやつ、寝台の上で横になって菓子を食べていたんですよ。本人曰く、『今日は疲れたので休みだ。里長が来ても追い返せ』だそうです。大方…水城みずきさんが里長の迫力に負けて、それを喋ってしまったんでしょうね」

水城みずきさん、十紀とき先生の巻き添えをくってしまったんだ…可哀想に――

そう思いながら医院の方に目を向けていると、青年がポツリと何か呟いた。
何を呟いたのか気になって青年の方を振り向くと、彼は何事もなかったように微笑むだけだった。

「…では、僕はこれで失礼しますね」

青年は頭を軽く下げると、医院とは反対方向へ歩いて行った。
ぁ…名前、聞きそびれちゃったな。

そう考えながら彼の歩いていった方に目を向けていると、何処からか視線を感じた。

「……?」

辺りをうかがってみたけど、誰もいない。
でも、誰かが私を見ている――悪意に満ちたような視線…一体、何?

しばらくの間、その場に立ち尽くしていると誰かの視線それは消えた。

「…一体、何だったんだろう……?」

さっきの視線…まるで、私を憎んでいるような感じ――でも、何で?
わからない……私は、目の前が暗くなっていくような感じがした。


――…大丈夫。真那まなちゃんは、何も悪くないよ。


不意に聞こえてきた声で、我に返った。
辺りを確認しても、声の主はいない。
一体、誰なんだろう…?


***

2/7ページ
いいね