2話:断片の笑顔

着いたのは、医院の中にある十紀とき先生の仕事部屋――つまり、院長室だ。
室内には難しい専門書や医学書が入れられた本棚、たくさんのファイルが置かれた棚があってすごい。

私が部屋を見回しながら歩いていると、足元に数枚の紙が落ちているのに気づいた。
拾い上げると、それは封筒1枚と便箋3枚で――宛名は十紀とき先生、差出人は倉世くらせと書かれていた。

私は便箋に書かれている内容を見ないように、封筒へ入れて十紀とき先生に手渡す。

「…十紀とき先生、落ちてましたよ」
「ん?あぁ…ありがとう。さっきまで、友人達からの手紙を整理していてな」

手紙を受け取った十紀とき先生は、それを机の上に置かれたレターボックスに入れた。

真那加まなかさん、そちらにどうぞ…」
「はい…」

私が十紀とき先生に促されるままソファーに座ると、十紀とき先生は向かい側のソファーに座った。

「…真那加まなかさん、もしかして外で何かあったのかな?」

十紀とき先生は真剣な表情を浮かべて、私に訊ねる。

「医院に希琉きるがいたのには驚いた、が……まさか、鳴戸なるとにも会ったのか?」
「いえ……その、鳴戸なるとさんとは――」

正直に答えようか少し悩んだけど、十紀とき先生の無言の圧力に負けて正直に話した。

「お昼前くらいに、散歩の途中で……それで、あの、少し怖くなってしまって…」
「……そうか、約束を守るつもりはない…というわけか」

小声で呟いた十紀とき先生が、深くため息をついた。

なんだか、とても怒っているような…とても悩んでいるような様子で考え込んでいた。
そして、もう一度深いため息をつくと私に話しはじめた。

「…さっきいた希琉きるは里長の養女で、真那加まなかさんが散歩中に会ったというお菓子を食べていた男――鳴戸なるとは里長の甥でな」

十紀とき先生の話では、里長さんは余所者の私の存在が疎ましくて鳴戸なるとさんを使って嫌がらせをしようとしているらしい。
希琉きるさんは多分…里長さんの頼みで、鳴戸なるとさんがきちんとやっているかどうか確認しに来ていたんだろう…と教えてくれた。

…そう言われても、私が何処から来たのかわからないから今すぐに帰れないんだけどな。
迷惑になっているのは、自分でもよくわかっているけど……こればかりは――

返答に困っていると、十紀とき先生が優しく声をかけてくれた。

「…大丈夫だ。何があっても、私達が真那加まなかさんを護る…」

その瞬間、またあの青年の顔が重なって見えたような……
わからないけど、前にあの青年に同じような事を言われた気がする。

そうだ…彼は私に、あの時――優しく微笑んで言ってくれたんだっけ……

「…さん!真那加まなかさん!」

私の名を呼ぶ声で、我に返った。
目の前には、あの青年でなく…十紀とき先生が、心配そうに私の顔を覗き込んでいた。

十紀とき先生の金色の瞳と目が合ってて、ちょっとどうしていいのかわからないよ。

私が慌てて頷いて答えると、十紀とき先生は安堵したように笑って私から離れた。

「…今日は、外に出かけずに医院内で過ごしてください」
「はい…わかりました」

頭を下げて、十紀とき先生の部屋を出た。

なんだか、いろいろな事が重なり過ぎて混乱してきたな……
少し気持ちの整理がしたくて、私は自分の部屋へ戻る事にした。

この時は、閉鎖的な集落だから余所者の私の存在を疎ましく思われているんだろうな…と軽く考えていた。

……それは、今思えば浅はかな考えだったのかもしれない……


***


「………」

机の上に置かれているレターボックスに入っている手紙を眺めながら、十紀ときはため息をついた。

(まだ……すべてを話す時ではないが、あそこまで露骨な行動をされると、な)

そして、ゆっくりとレターボックスの蓋を閉めて窓の方へと視線を向ける。

(その上、理哉りやも勝手に動いている……すべて里長の思惑通りになってしまうな、このままでは、ん?)

何かに気づき、窓の外から室内へ視線を戻した十紀ときは机の引き出しから何かを取りだすと白衣のポケットへ入れた。
そして、電話の受話器を取るとボタンを押す――

「…あぁ、水城みずきか?例の患者の様子を見たら、早めに帰れ。今夜は、あまり良くないぞ……」

受話器の向こうから水城みずきの「はい、わかりました」と答える声が聞こえて通話は切れた。
電話機に受話器を戻した十紀ときはカーテンを閉めると、往診用の鞄を手に部屋を出る。
――もちろん、自分の部屋の扉に鍵をかける事は忘れずに。

神代かじろは今動けないから、注意が行き渡らない可能性が高いな……仕方ない。往診の時に、私が注意して回るか)

少し面倒くさそうに髪の毛をかいた十紀ときは、ゆっくりとした足取りで廊下を歩いていった。


***

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