1話:目覚めの悪夢

「…さて、倉世くらせ。これから、仕事をしてもらうぞ」

そう言うと、七弥ななやが一枚の紙を俺に手渡す。

「これは……?」
「お前は、この〈隠者の船〉の責任者だからな…一応、挨拶した方がいいだろう」
「…それと、この紙の関係は?それよりも、この船の責任者は俺なのかっ!?」

無言で頷く七弥ななや

コイツ……絶対、説明する事を忘れていたな――
大体、責任者だという事は最初に………

「ま、まさか…それで、さっき許可書にサインを……?」
「ああ、そうだ。緊急事態だったので、上に許可をもらう前に動かした…後で、面倒な事になるのも嫌だったしな――…一応、書類を作ったんだ」
「……な、なるほどな…」

――で、多分文句を言った奴らを黙らせるんだろうな……俺のサインが書かれた許可書を使って。

「その紙は、挨拶用の台本のようなものだ。記憶喪失だからと言って、何もせぬわけにはいかないだろう?」

愕然としている俺の肩に、七弥ななやは手をのせる。

「簡単な状況説明を兼ねての挨拶だ………だから、そんなに緊張しなくても大丈夫だ」
「……七弥ななや――」

おそらく、七弥ななやは俺が緊張していると思ったのだろう……
違う…違うぞ、七弥ななや――
俺は自分の立場とお前の準備の良さに、唖然としているんだぞ。

「……ちょっと、時間をくれないか…?」

状況整理と練習する時間欲しさに、とりあえず頼んでみる。
七弥ななやは腕時計で時間を確認して、少し考え込むと渋々といった様子で頷いた。

「…わかった。ならば、2時間もあればいいだろう?」
「……2時間しかくれないのか…?」

俺は不満を七弥ななやにぶつけてみたが、七弥ななやは目を丸くさせて答える。

「2時間で足りないのか…?今までのお前は、30分以内で十分じゅうぶんだったというのにか…?」
「……前までの俺と、今の俺――違いはどこにあるのか、わかるか?」
「ん?……記憶があるかないか、の違いだろう?」

七弥ななやは俺の頭を、手でベシベシと叩きながら続けた。

「…そうか。記憶だけでなく、今までの習慣まできれいに消えたんだなー」
「……お前な…」

頭を叩く七弥ななやの手を払いのけ、俺はベッドに腰かけた。

「もう、2時間でいい…その代わり、しばらくはひとりにしろ」
「……そこだけは、変わっていないんだな」

七弥ななやが苦笑すると、医務室から出ていった。

「――…よし。まずは、状況整理だな…」

俺は七弥ななやを見送った後――医務室に備え置かれた机の上にあるペンとメモ用紙で自分の状況や知った事を簡単に書きだした。

目が覚めると、何も覚えていない自分……――

七弥ななやの話によれば、俺は『ある事件』に巻き込まれたらしい……
この怪我も、その時に負ったものだろう。

七弥ななやと、白季しらきとは友人関係にあるようだった。

白季しらきの話によれば、七弥ななややここにいる人間が俺の生命を狙っているらしい事。
――その理由は、結局わからないままだが……

この船――〈隠者の船〉の責任者が、実は俺だったらしい……
責任者、という事は船長だよな……

七弥ななやと俺が着ている服からして、この国――めい国の軍人なのだろう。
そして、今――俺は何も知らないまま、挨拶の練習をしなければならない。

目が覚めてから現在までを紙に書きだしてみたが、まったくと言っていいほど失われた記憶の手がかりはない。
やはり、七弥ななやの胸倉を掴んで無理矢理訊きだせばよかったか……
――だが、今はそんな事より練習だ。
七弥ななやの奴……準備周到だよな、まったく。

…とりあえず、一度ざっと読んでみるか。

「えーっと、何々……避難民の皆様?」

あぁ、そうか…玖苑くおんから避難しているのだから、それで合っているのか。
えっと、次は……

「…昨日さくじつの惨劇、心よりお悔やみ申し上げます。昨日さくじつの夕刻より玖苑くおんを出発し、現在めい国王都に向けて航行しております…か」

なるほど、そうか…今の状況としては、そんな――

って、おい!七弥ななやっ!!
そういう事は最初に、俺に説明しておけよ!
危うく、本番で驚くところだっただろうがっ!
まるで…明らかに、状況理解ができていないダメ艦長じゃないか!?

やはり練習時間を貰って正解だった、2時間を死守して正解だった……

この怒りをぶつける場所がないまま、とりあえず壁に拳をぶつけた。
硬い壁に怪我をしている事を忘れ、力任せに拳をぶつけたせいで声が出せないほどの痛みに襲われた。

それもこれも、七弥ななやのせいだ。

「………っ。れ、練習をしなければ…時間があまりない――」

やはり、3時間にしておけばよかったか……
密かに後悔してしまったが、後の祭りだ。

「くそっ………七弥ななや、後で覚えていろよ。で、次は…」

俺は再び、七弥ななやの用意した台本を読むことにした――


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