5話:歯車の狂いし淑女
(…さっきは、危なかった)
とある通路の壁にもたれた希衣沙 は、襟元を正しながらため息をついた。
先ほどまで、七弥 に掴まれていた辺りがまだ少し痛む。
もしかすると、どこかに痣が残っているかもしれない。
(七弥 隊長の、あの馬鹿力にかなうかっての!)
心の中で叫んだ希衣沙 が腕時計で時間を確認すると、今はもう真夜中をとうに過ぎた頃だった。
あの場から逃げて、もう10分くらいは経っているだろう……
(そろそろ、戻っても大丈夫…か。まぁ、タイミングよく『協力者』が連絡くれて助かったしな…)
10分くらい前――通信で『協力者』から『ある指令』を受けたのだ。
「はぁ…しかし、意味わかんねーって。ある人物 を捕らえろとか…何がしたいのか、直接言いに来いって感じだよな」
「うんうん、確かに――だけど…バカなお前には、その理由は一生わからないかもなー」
希衣沙 の独り言に、誰かが嘲笑うかのように答えた。
その声のする方に目を向けた希依沙 は、ゆっくりと息を飲み込んだ。
そこに立っていたのは、今一番会いたくない――むしろ、七弥 に締め上げられる原因となった人物であったのだから。
「ゆ、夕馬 殿…」
口元をひきつらせた希衣沙 は、思わず後退った。
そんな様子すらも、夕馬 は面白そうに観察しながら言う。
「バカだよなぁ、本当に。おかげで、俺は腹筋が痛い痛い…」
「なっ…いや、何かご用ですか?何やら、私の事をお調べになっているそうですが――」
『バカバカ』と連呼され、さすがに腹が立つので怒ろうとした希衣沙 だったが…それが相手の思う壺であると気づいて、ひと息つくと探るように訊ねた。
希衣沙 の、そんな言動を見た夕馬 はつまらなそうにわざとらしくため息をつく。
「そういうところは、全然面白くないなー…」
「っ…人で遊ばないでください、夕馬 殿。ところで、七弥 隊長に何を言ったんですか?先ほど…」
ひきつった笑みを浮かべたままの希衣沙 が訊ねるが、夕馬 は笑いながら希衣沙 の言葉を遮った。
「見てた見てた…右穂 の制裁よりは、面白くなかったけどなー」
「…いつからっ!?」
あの時――右穂 の制裁を受けていた時、付近には誰もいなかったはずだ。
少なくとも、誰かいた気配はしていない。
それを、目の前にいる…一番見られたくない存在である夕馬 に見られていたと知り、希衣沙 は驚きに目を見開いた。
彼のそんな様子に、夕馬 はおかしそうに笑う。
「あははは、お前…本当に、バカで面白いな――…綺乃 だろ?」
「その、バカと言うのをやめ…ふへっ?」
さすがに、連呼されている『バカ』の部分は抗議しようとした希衣沙 だったが…思わぬ名が出てきたので、思わず動揺したような声を出してしまったようだ。
出してしまった後で、慌てて口元をおさえる…が、時すでに遅し。
希衣沙 の動揺した様子に、夕馬 は腹を抱えてさらに笑った。
「あはは、お前ってわかりやすいよな…本当に。そんなお前に、あえて助言をするならば…『協力者』共々、いいように利用されているぞ?」
「っ…うるさい!夕馬 殿…あんたが何を調べているのかは知らないが、邪魔をするな。『例のやつ』とあのデータ さえ見つけ出し取り戻せば、この国はさらに繁栄するんだ」
夕馬 を睨みつけ、壁を殴りつけた希衣沙 は踵を返して行ってしまう。
その後ろ姿を笑いながら見送った夕馬 は、憐れむような表情を浮かべた。
「まぁ、気づいているんだろうな…自分達が利用されているのだと。一応、警告はしたし…あのバカには、『例の件』以外は最後まで好きにさせるかな。その方が面白いし――どうせ逃がすつもりもないし…」
***
「ぁ……」
誰かの苦しげな声の後、自らが作りだした真っ赤な水たまりに『何か』が倒れ込むような湿った音がした。
倒れている誰かの傍らに立つのは、赤く染めたロングスカートの淑女……
その手には、ナイフが握られており、それは生暖かな赤い水が滴っている。
辺りにはおびただしい量の赤い液体が飛び散っており、むせかえるような血の匂いがしていた。
赤く染まった衣服を身にまとった淑女は、動かなくなった『誰か』に向けて…もう一度ナイフを振り下ろす。
そして、口元に笑みを浮かべた。
「う、ふふふ…これで、私のあの子 を…助けてあげられるわ」
『誰か』を刺したナイフを抜き取ると、ゆっくりと口元にナイフを近づけて滴り落ちる血を舐める。
そして、しゃがみ込むと自らが殺めた『誰か』が持つ軍刀と銃を奪った。
「なっ…そこにいるのは、誰だ!何をしている!?っ、まさか…貴女様は――」
通りかかった女性の軍人が、慌てたように声をかける。
それもそのはず……彼女が目にしたのは、辺り一面に飛び散った血と血だまりにうつ伏せに倒れている同僚の姿――そして、暗めの色を基調とした服をまとった淑女の姿だった。
その声に、ゆっくり振り返った淑女は狂気をはらんだ笑みを浮かべる。
「あら…貴女も、私から奪うの…?」
ゆっくりと奪った銃を、その軍人へと向けた。
一瞬悩んだ様子の軍人だったが、すぐに銃を淑女へと向け――しばらくして、通路内に2つの銃声が響き渡った。
とある通路の壁にもたれた
先ほどまで、
もしかすると、どこかに痣が残っているかもしれない。
(
心の中で叫んだ
あの場から逃げて、もう10分くらいは経っているだろう……
(そろそろ、戻っても大丈夫…か。まぁ、タイミングよく『協力者』が連絡くれて助かったしな…)
10分くらい前――通信で『協力者』から『ある指令』を受けたのだ。
「はぁ…しかし、意味わかんねーって。
「うんうん、確かに――だけど…バカなお前には、その理由は一生わからないかもなー」
その声のする方に目を向けた
そこに立っていたのは、今一番会いたくない――むしろ、
「ゆ、
口元をひきつらせた
そんな様子すらも、
「バカだよなぁ、本当に。おかげで、俺は腹筋が痛い痛い…」
「なっ…いや、何かご用ですか?何やら、私の事をお調べになっているそうですが――」
『バカバカ』と連呼され、さすがに腹が立つので怒ろうとした
「そういうところは、全然面白くないなー…」
「っ…人で遊ばないでください、
ひきつった笑みを浮かべたままの
「見てた見てた…
「…いつからっ!?」
あの時――
少なくとも、誰かいた気配はしていない。
それを、目の前にいる…一番見られたくない存在である
彼のそんな様子に、
「あははは、お前…本当に、バカで面白いな――…
「その、バカと言うのをやめ…ふへっ?」
さすがに、連呼されている『バカ』の部分は抗議しようとした
出してしまった後で、慌てて口元をおさえる…が、時すでに遅し。
「あはは、お前ってわかりやすいよな…本当に。そんなお前に、あえて助言をするならば…『協力者』共々、いいように利用されているぞ?」
「っ…うるさい!
その後ろ姿を笑いながら見送った
「まぁ、気づいているんだろうな…自分達が利用されているのだと。一応、警告はしたし…あのバカには、『例の件』以外は最後まで好きにさせるかな。その方が面白いし――どうせ逃がすつもりもないし…」
***
「ぁ……」
誰かの苦しげな声の後、自らが作りだした真っ赤な水たまりに『何か』が倒れ込むような湿った音がした。
倒れている誰かの傍らに立つのは、赤く染めたロングスカートの淑女……
その手には、ナイフが握られており、それは生暖かな赤い水が滴っている。
辺りにはおびただしい量の赤い液体が飛び散っており、むせかえるような血の匂いがしていた。
赤く染まった衣服を身にまとった淑女は、動かなくなった『誰か』に向けて…もう一度ナイフを振り下ろす。
そして、口元に笑みを浮かべた。
「う、ふふふ…これで、私の
『誰か』を刺したナイフを抜き取ると、ゆっくりと口元にナイフを近づけて滴り落ちる血を舐める。
そして、しゃがみ込むと自らが殺めた『誰か』が持つ軍刀と銃を奪った。
「なっ…そこにいるのは、誰だ!何をしている!?っ、まさか…貴女様は――」
通りかかった女性の軍人が、慌てたように声をかける。
それもそのはず……彼女が目にしたのは、辺り一面に飛び散った血と血だまりにうつ伏せに倒れている同僚の姿――そして、暗めの色を基調とした服をまとった淑女の姿だった。
その声に、ゆっくり振り返った淑女は狂気をはらんだ笑みを浮かべる。
「あら…貴女も、私から奪うの…?」
ゆっくりと奪った銃を、その軍人へと向けた。
一瞬悩んだ様子の軍人だったが、すぐに銃を淑女へと向け――しばらくして、通路内に2つの銃声が響き渡った。