5話:歯車の狂いし淑女

窓のない狭い通路――今、何処を歩いているのかわからない。
右穂うすいの案内で白季しらきの部屋から出て、右穂うすいの開けた扉をいくつか通って……そして、今に至るわけだが。

――…ここは、思い切って何処なのか訊ねてみるか。

「…なぁ、右穂うすい。今、どの辺りだ?」

俺の問いに、歩みを止めた右穂うすいが振り返る。

「ぁ…はい、そうですね……わかりやすく説明すれば、ここは隠し通路のひとつです。この辺りに、緊急脱出用の小さな飛行艇があるそうですよ」
「そ、そうなのか…」

まぁ、これだけ入り組んでいたら…もし、敵に乗り込まれても大丈夫……なのではないだろうか?
そもそも、無駄に入り組みすぎている気もするんだが――
というか、右穂うすいすらも把握しきれてない何か・・がまだあるんじゃないか?

…これが建物なら、物語でよく見る『迷宮』みたいなものだな。

半ば呆れながら納得していると、右穂うすいが苦笑する。

「まるで、『迷宮』みたいですよね…」

…一瞬、心の声が漏れたかと驚いてしまった。
後で知ったのだが…この飛行艇に初めて乗った時、俺は同じ事を言っていたそうだ。

――右穂うすいの話によれば、この〈隠者の船〉は…実は試作船で、いくつかの隠し通路と無駄な機能がいろいろとあるらしい。
一体誰なんだ…そんな設計をした奴とそれを許可した奴は。
というか…俺は、なんという飛行艇を渡されてるんだ。

そう思いながら右穂うすいの話を聞いていると、背後から誰かの足音が聞こえてきた。
この通路を知っているのは、記憶を失う前の俺と右穂うすいだけだと…この通路に入った時に、右穂うすいが言っていた。

ならば、一体、何者なのか……

緊張しながら、振り返ると――そこにいたのは、帽子を目深に被った軍人だった。

――…誰なんだ?

俺達が相手の様子をうかがっていると…その軍人は立ち止まり、帽子の鍔を上げてこちらを見た。

「あぁー…やっと見つけた。元気そうで何よりだ…なぁ、倉世くらせ
「…誰だ、お前は?」

また…記憶にないが、俺の事を知っている人物が現れたようだ。
助けを求めるように右穂うすいに目を向けると、彼は俺の前に進み出た。

「…すみません、夕馬ゆうま殿。倉世くらせ様は今、貴方の事がわかりません」
「んー…そっか。まぁ…あの時、思いっきり頭を打ってたからな」

笑いながら言った帽子を被る軍人・夕馬ゆうまが、こちらに目を向けて言葉を続ける。

「ならば、改めまして…俺はめい国軍、秘密警察隊を束ねている夕馬ゆうまと申します。まぁ…同じ主人・・・・に仕える者同士、普通に呼んでくれていい」
「…同じ主人?」

どういう事なのか、よくわからないが…この夕馬ゆうまは味方、らしい。
本当にそうなのか、まったくわからないが。

さっき言った『主人』とは、一体誰の事を指すのか…?
聞き返したんだが、夕馬ゆうまは軽く肩をすくめて口元に笑みを浮かべる。

「まぁ、思い出せばわかるって。ここにいるって事は、もしかして…アイツ・・・に会いに行くのか?」
「アイツ…?白季しらきの事か?」

夕馬ゆうまが誰を指してそう言ったのか…わからないが、俺達が探しているのは白季しらきだしな。
だから、俺はそう答えたんだが……
それを聞いた夕馬ゆうまは少し驚いた表情を浮かべると、何かを考え込んでいるようだ。

「ふーん……俺はてっきり走水そうすい博士に、会いに行くんだと思ってたけどな」
「…夕馬ゆうま殿、思ってもいない事をおっしゃらないでください」

いたずらっ子のような笑みを浮かべる夕馬ゆうまに、右穂うすいが窘めるように言った。

――…走水そうすい博士?
その名前の人物が、この飛行艇に乗っているのか…?
だが、その名を七弥ななやは言わなかったし…あいつに渡された名簿にも、その名前は記されていなかった。

一体、誰なん……


――だから、試してみたいとは思わないのかい?
一度は、研究を止めたとはいえ…『コレ』の持つ本当の効果を知りたくはないのかな?


……セピア色の光景が広がる。

俺の目の前に…白衣を着た男が立って、そう言っていた。
そうだ…アイツは、『アレ』を完成させたがっていたんだ。
俺が、させるべきではないと判断したものを――

「っ……」

不意に頭に痛みが走り、思わず俺はよろめいてしまった。
それを慌てて支えてくれた右穂うすいのおかげで、床に倒れずに済んだが。

俺の…そんな様子を、興味深げに見ていた夕馬ゆうまはため息をつく。

「ふーん…きれいに消えているわけじゃないんだな。ならば…こっちは、そんなに心配しないで大丈夫か」
「っ…何がだっ!?」

痛みに耐えながら、俺は思わず夕馬ゆうまに怒鳴った。
だが、夕馬ゆうまは意味深な笑みを浮かべたまま、帽子の鍔を下げながら首を横にふる。

「いやいや、こっちの話――んじゃ…俺は、まだやる事があるから」

そう言って、軽く手を上げた夕馬ゆうまはそのまま引き返していった。

――一体、何なんだ…あの男は?
去っていく夕馬ゆうまの後ろ姿を見ていると、右穂うすいが言う。

「…彼の事は、あまり気になさらないように。おそらく、確認しに来ただけでしょうから」
「確認…?一体、何の……」

そこまで言うのが精一杯で…俺は右穂うすいに支えられながら、ゆっくりとその場に座った。
おそらく、少し休めば大丈夫だと思うのだが。
そういえば…さっきの男、夕馬ゆうまが言っていたな。

――まぁ…あの時、思いっきり頭を打ってたからな。

何かがあって…いや、そうだ…あの夢だ。
燃えていた、あの場所で……誰かに襲われて、頭を打った…?

って、ダメだな……
繋がりある事柄なのに、あまりにも抽象的過ぎてわけがわからない。

「あー…くそっ」

思わず呟くと、右穂うすいが心配そうに俺の顔を覗き込んだ。

「あまり無理をなさらないように。もしお辛いようでしたら、杜詠とよみ殿をお呼びしますが…?」
「いや、いい。大丈夫だから…少し休んだら行こう」

右穂うすいに言っているようで、自分に言い聞かせているような感じだな…まるで。
それが、内心おかしかった。


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