2話:狂気のはじまり

「どういうつもりなのか…と、聞いてるんだ?」

もう一度訊ねると、俺は何も答えない七弥ななやを睨んだ。
だが、それでも七弥ななやは何も答えず……ただ、無表情にこちらを見ている。
そして、低い声で訊ねてきた。

「どういう…?それでは、お前はどういうつもりだったんだ?」
「…な、何をだ?」

七弥ななやが一体何を訊ねているのか、すぐには理解できなかった。
意味がわからないでいると、七弥ななやが小さく息をついて言葉を重ねる。

「…何故、あそこで死のうと――力を抜いた?」

何を言われているのか…最初はわからなかったが、すぐに先ほどの織葉おりはの件だと気づいた。
だが、はっきり言うと……理由はわからない。

――何故、あの時…力を抜いた?

記憶を失い、自暴自棄になりかけていた……という理由だけでは、おそらく七弥ななやが納得しないだろう。

それに、あの時……
織葉おりはに殺されそうになった時、不思議と死の恐怖を感じなかった。
あんなに、強い――無言の殺意を、俺だけに向けていた織葉おりはだったのに。

死の恐怖よりも、諦めに近い……いや、他の何かを感じて……
気がつけば、『もう…いいか』という気持ちになってしまった。

あの一瞬だけ…何故か、そう思ってしまった。
では、一体何故だ……?

「…………」

俺が何も答えられず…ひとり考えを巡らせている様子を、七弥ななやは静かにうかがっている気配がした。
何も言わず、ただただこちらの様子をうかがっているだけ……

――やはり、白季しらきの言っていた事は本当だったのか……?
七弥ななやが、俺の死を望んでいる……

確かに、白季しらきはそう言っていた。
その理由は多分、失われた記憶の中にあるのだろう。
記憶を取り戻す手がかりは、おそらく玖苑での出来事だ。
それと、もう一つ……

あの紙に書かれていた――俺と同じく『首謀者』とされていた紫鴉しあ博士という人物……
目が覚めた後に、七弥ななやが見せてくれたあの名簿に『紫鴉しあ』の名はなかった。
このラウンジにも、それらしき人物はいないようだ…という事は、この飛行艇に乗っていないのだろう。

死んだのか……?
それとも、今は違う場所にいるのか……?

それは、まったくわからないが…紫鴉しあ博士についてを調べれば、何かわかるかもしれない。
うまくいけば、記憶を取り戻せるかもしれない。

それを七弥ななやに話し……たところで、コイツは手伝ってくれるのだろうか?
…いや、あの紙を用意した七弥ななやにはすべてわかっていたはずだ。
もしかすると、また何か仕掛けてくるかもしれない。

……って、だめだな。
考えが、どんどんマイナス方向に行きはじめている……

そういえば、七弥ななやは俺の護衛をしている…というような事を言っていたな。
…ならば、必然的に手伝わせられるだろう。

――だが、時間と人手が足りなさ過ぎる。

夢明むめいの港に着けば、『首謀者』として捕らえられる可能性もある……
大体、七弥ななやは初めに俺を『目撃者』だと言ってなかったか?
首謀者は、何が起こったのかよく知る最大の目撃者というわけか…?

くそっ……記憶がないだけで、こんなにももどかしい思いをしなければならないのか。

「……どうしたんだ?」

内心、頭を抱えている俺に七弥ななやが不思議そうな表情を浮かべながら見てきた。

どうしたも、こうしたもない……などと言えない。
言えないが、とりあえず返事だけはしておくか……

「…なんでもない。ただ、少し疲れただけだ……」

嘘はついていない……
だが、七弥ななやの目には嘘だとバレている気がしてならなかった。

あ、そういえば――

「…七弥ななや、あの希衣沙きいさは……」
希衣沙きいさ、か…?アイツは俺を補佐する部下のひとり、だったが」

かなり怒っている様子の俺の補佐役のそばに立つ希衣沙きいさを見た七弥ななやは、呆れたようにため息をついた。

……希衣沙きいさは、やはり七弥ななやの部下だったのか。
しかし、七弥ななやが過去形で言ったのは何故だろうか…?
七弥ななやの命令に背いた動きをしたから、か?

それはわからないが、七弥ななや希衣沙きいさに対して何か思うところがあるのだろう……

しかし、この飛行艇に乗っているのは…もしかしないでも、七弥ななやの部下の方が多いのかもしれない。
…第一、俺の補佐をする副官がこのラウンジにいる時点で気づけばよかったか。

それを加味して考えると、白季しらきが言ったあの言葉――

――気をつけて…ここは、敵だらけだよ。

あの言葉に、真実味が出てしまう。

まさか…とは思った。
白季しらきの言葉を、真に受けていたわけではない……ただ、信じたくなかった。
それだけだった……

だが、そのおかげで、希衣沙きいさの行動の意味も裏付けられた。




すべてが、狂い始めている……
それも、音もなく――
もう誰も……抗う事も、止める事ができないのかもしれない。

だが、狂気は確かに……この飛行艇内を支配しているのだろう。

8/8ページ
いいね