2話:狂気のはじまり

ラウンジに入ると、そこには何人もの人々がいた。
よく見ると、白季しらきや先ほど会った音瑠ねる…彼女のそばに立つ30代後半くらいのピンク色の髪をした女性が多分、音瑠ねるの母親である樟菜くすなだろう。
それと黒髪の、30代くらいの男が杜詠とよみか……
で、彼の隣にいる…ちょっと暗い表情をした茶色の髪の女性が、織葉おりはなのだろう。

それで、その他残り全部が軍関係者だな。

「………」

皆の視線が気になって、まっすぐ前を見れない。
どうするべきか…と、七弥ななやの方に目を向けると知らん顔で白季しらき達のいる方へ歩いていってしまった。

――つまり、困っている俺は放置…というわけだな。

だが、それよりも……何故、こんなに…ここにいるのが辛いんだろうか?
視線が痛いのもあるんだろうが、それ以外に何か……こう、胸が締め付けられるような感じがする。
一体、何なんだろうか……?

「どうぞ、こちらに……」

突然、俺の隣にやって来た…俺よりも10歳は年上だろう軍人がラウンジの左側の中央に案内してくれた。
ここで読み上げろ、という事だろう。

俺が礼を言うと、案内してくれた軍人は「いえ…私は、貴方の補佐役ですので」と答えて小さく笑った。
この笑顔の人物を、前にも見た事があるような気もするが…まったく名前を思い出せない。
ただ、彼は『一番信頼できる人物だ』という事、『彼には眼鏡が必需品だった』という事だけは、何故かすぐに思い出せた。

とりあえず、覚悟を決めて…ゆっくりと読み上げるとするか……

俺は胸ポケットから用意してもらった台本を出して、自分を落ち着かせる為に深呼吸をした。

えっと……

「……ひ、避難民の皆様、ゆっくり休めましたか?」

……一瞬、言葉に詰まったのを聞き逃さなかった七弥ななやが無言のまま俺を睨んでいる。
多分、あの感じだと「あれほど言ったのに、やりやがったな」と言いがいんだろう。
…俺は、最初に言ったぞ。
「何かを間違える自信がある」と――

視線だけで七弥ななやは、「続けろ」と言ってきた。
少しだけ、アイツが憎くなってきたな……

「…ご紹介が遅れました、が…この艦はめい国軍所属の輸送艦〈隠者の船〉、私が艦長の倉世くらせです…昨夜、皆様方の収容作業を終え、当艦はめい国王都・夢明むめいにあります港に向け航行しております」

書かれてあるとおり、俺は簡単な紹介と現在の状況についての説明をした。
状況は…まぁ、大体は練習で読んだものと大差ないように思える。
――それと、俺はそのたった数時間で記憶を失ったのだという事も改めて理解できた。

一体、その数時間の間に何があったのか……?
俺としては、そちらの方が気になるので知りたいがな。

しかし…七弥ななやから新たに渡されたものには、こういった情報以外の内容も書かれていた。
それは――

「――…玖苑くおんの、現在の状況も皆様にご報告いたします。狂暴化した人々による無差別攻撃は我が軍により鎮圧され、現在は狂暴化した者、生存者の捜索をしているところです。そして、今回の事件の首謀者とされているのはこの事態を引き起こした紫鴉しあ博士と、わ……っ!?」

な、何だ…これは……!?
そんなはずはない……

「どうかされたのですか、倉世くらせ殿?」

俺が言葉に詰まっていると、少し離れたところにいた濃い紫色の髪をした軍人がそばまでやって来た。
その顔に、意地の悪い笑みを浮かべて――

「どうぞ、早く続きを…まだ途中でしょう?」
「……持ち場に戻れ、希衣沙きいさ!」

慌てた様子をまったく見せず、七弥ななやが濃い紫色の髪をした軍人・希衣沙きいさを睨みつけて制した。
だが、希衣沙きいさは俺から素早く紙を奪い取ると七弥ななやに言う。

「…何を言っておられるのですか?七弥ななや隊長、これはきちんと公表するべきでしょう?」
「……何を、だ?」

俺は身体中の震えをおさえながら、希衣沙きいさに訊ねた。

「それは一体、どういう事なんだっ!?」
「どういう事……本気で、そうおっしゃってるんですか?」

希衣沙きいさは笑みを浮かべたまま、俺の顔を覗き込んでくる。

「わからないのならば、黙ってそこに突っ立っていてくださいよ…ねぇ、倉世くらせ殿」

そう言うと、ヤツは俺の隣で紙に書かれている文章を読み始めた。

「えー…倉世くらせ殿は言えないようなので、私が代わりに言わせていただきます」
希衣沙きいさ!」

七弥ななやが語気を強めて言うのを無視して、希衣沙きいさは言葉を続ける。
――……すべてを狂わせるかのように。

「…今回の事件の首謀者とされているのは事態を引き起こした紫鴉しあ博士と、ここにおります倉世くらせであります……ですよねぇ?」
「…………」

その瞬間、ラウンジは静寂に包まれた――

あまりの事に、俺は何も言い返せなかった……
何を言っていいのか、わからなかったのもある。
だが……それ以上に、後悔のようなものも感じていた。

そんな静寂の中、険しい表情を浮かべた七弥ななや希衣沙きいさのそばに来ると……

「…やりたい事は済んだか?ならば、戻れ……」

希衣沙きいさの胸ぐらを掴むと、低い声で囁いた。
掴まれている希衣沙きいさは少し苦しそうな表情を浮かべたが、口元に笑みを浮かべて七弥ななやの手を払いのける。
そして、俺と『俺の補佐役』だと言っていた軍人を嘲るように見やった希衣沙きいさは自分の持ち場に戻っていく。

「……っ、言わせておけば…勝手な事を言いおって!!」

その様子に、俺のそばにいた『補佐役』の軍人が憎らしげに呟いた。

俺は彼の、その表情を直接見たわけではないが……
七弥ななやの話によると、彼はかなり怖い――例えるならば、鬼のような般若のような表情を浮かべていたらしい。

温厚そうなイメージだったが、怒るとかなり怖いようだな……


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