0話:終焉の街

先ほど聞かされた件を知らせると、珠雨しゅう先生はもちろん…白季しらきも知らなかったらしい――おそらく、白季しらきは先生の傍から離れなかったので当事者達と会っていなかったのだろう。
ものがもの危険物なだけに、治験を一時中止して緊急会議を開く事になった。
ほぼ全員が集まった…ほぼ、と言ったのは綺乃あやの女史の研究室の主だったメンバーがいなかったからだ。
綺乃あやの女史の研究室のメンバーで集まったのは事故の当事者であるひとりだけで、何も聞かされていないせいか…状況が何も飲み込めていない様子である。

待っている時間や探しに行く時間もないので、このまま対策会議をはじめた。
事故を起こした者達に何があって、何故黙っていたのかを問いただすと…彼らは、危険性をあまり理解していない事がわかった。
あの『薬』は気化したら無力化すると考えていたようだが、実際は逆で緩やかに壊れていく。
しかも、壊れた人の体液に触れても『薬』と同じ効果がでるという代物で――だから、『あれ』を作った先人達は兵器利用しようと考えていたのだ。

珠雨しゅう先生が危険性についてを丁寧に説明すると、事故を起こした彼らは真っ青になっていた。
顔色を一切変えず、彼らの様子をうかがう走水そうすい博士は黙ったままである――その表情からは、何を考えているのかわからない。

会議の結果、医院を一時的に閉鎖して洗浄する事が決まった…もちろん、緊急事態なので特効薬の用意がある事も伝えた上でだ。
報道関係マスコミには『感染症が発生した為、消毒作業をしている』と発表する。

気がつけばすっかり夕刻過ぎ、見舞い人もまばらとなっているので閉鎖もスムーズにできた。
あとはダクトの構造と空気の流れを見て、可能性が一番高い区画から洗浄する…方法としては、消毒液を混ぜた水で洗い流すだけだが。
患者や見舞い人達には、診察した上で特効薬を打つしかない…真宮まみやの方には、起こった一連の流れを連絡したので特効薬の製作を急いでくれるだろう。


院内洗浄と、閉鎖時に残っていた見舞い人の診察と特効薬の投与を終えて次の作業に移った。
というのも…感染症をだした事で、当局が調査に来るだろうからと今回の研究資料をまとめて隠さなければならないのだ。

これから何が起こるのか…何故、綺乃あやの女史達の姿が見えなくなっていたのか…この時の俺達はまったく気にしておらず、夜を徹して作業していた。

時刻も明け方近く、右穂うすいがやって来て俺に囁きかけてきた――医院の外で暴力事件が多発しているようだ、と。
どうやら、酒に酔った者達同士の喧嘩騒ぎが色々な場所で起こりだしたらしい。
間違いなく気化した『薬』と飲酒で、判断力が落ちた為に起こった事件だろう…特効薬の投与を急がなければ。

夕馬ゆうま理矩りくの指示で、医院周りの方から抑えていくので対処をと言って右穂うすいは去っていった。
事件はすでに起こっているとなると、あまり悠長にはできない…なので、すぐに珠雨しゅう先生と白季しらきのところへ向かう。

先生と白季しらきに声をかけようとした瞬間、それは起こった――突然の怒声と銃撃音に、誰もが動きを止めて様子をうかがった。
まず部屋に飛び込んできたのは独房に入れていたはずの被験者三人で、何故か衣服に血が付着しており慌てた様子だ。
一体何があったのか、訊ねようとしたひとりの研究者が渇いた音と共に倒れる…彼の身体からは、とめどとなく血が流れていた。

それがトリガーだったのか…恐怖にひきつり悲鳴をあげた被験者のひとりが、机にあった複数の『薬』の入った瓶を俺の方へ向けてひっくり返してしまう。
飛んできた『薬』のひとつが顔にかかった驚きと薬品特有の匂いでうずくまった俺の耳に、また渇いたような音が聞こえる…と同時にその被験者が仰向けに倒れた。
周囲を確認しようにも、目に入ったのか開けられず…耳だけが頼りで様子をうかがっていると――走り来る何人もの足音と同時に、流れるような銃撃音が聞こえてくる。

「…っ、白季しらきさん!」

珠雨しゅう先生の叫び声と、何人もの人が倒れる音が聞こえ――やがて静かになった。
瞼を拭いながら部屋の状態を確認すると襲撃者はすでにおらず、部屋にいた者達は全員血だまりの中で倒れていた。
無事に残ったのは…しゃがみ込んでいた俺と同じく頭を低くしていた被験者ふたり、そして珠雨しゅう先生に抱きしめられていた白季しらきだけだ。

すぐに珠雨しゅう先生の状態を確認しようとした時、走り来る誰かの足音がふたつ重なって聞こえてきた。

「おい、大丈夫か!?」

その声の主は夕馬ゆうまで一緒にいるのは右穂うすいだった…どうやら、襲撃に気づいたが間に合わなかったらしい。
動けなくなっている俺の応急処置を右穂うすいがしている傍を通り過ぎた夕馬ゆうまは、倒れている珠雨しゅう先生と白季しらきに駆け寄った。

14/16ページ
いいね