0話:終焉の街

翌日の朝…嵯苑さおん院長から、選んだ数人分のカルテを受け取った走水そうすい博士が患者に合わせて『薬』を調合するよう指示していた。
珠雨しゅう先生は『影の者』に至急、特効薬を真宮まみやから受け取ってくるよう頼んでいた――なんとか、間に合うといいが。
主に『薬』の調合は走水そうすい博士の研究室の者達が、患者に飲ませるのは綺乃あやの女史の研究室の者達の担当となる。
最後に残った俺達は、患者の診察と経過観察の記録などを頼まれた――おそらく、初手で反対意見をだしたせいだろう。
まぁ、こっそり特効薬を投与できる立場でもあるので良しとするしかない。

患者への投与は翌日から、という事になり…今日は、患者達へ新しい治療方針についての説明のみで終わりとなる。
誰ひとり、彼らの説明を疑わずに聞いている様子が本当にいたたまれず…俺は思わず、俯いてしまった。

新たに『薬』を投与された被験者達の血液検査しながら、どうにか止めさせる方法はないものか考えてみたが答えはでなかった。
作業を共にしている珠雨しゅう先生や白季しらきも考えている事が同じだったらしく、珍しく同時にため息をついてしまっている。

特効薬は、手元にあるのがひとつだけ…真宮まみやが超特急に完成させてくれたおかげなので、あの『薬』特有の症状が少しでもでた患者に使う予定だ。
ひとつだけ間に合ったのは、おそらく途中まで瀬里十せりと達が造っていたからだろう――残りも、できるだけ早く完成すればいいが。
…投与される回数が増える度『薬』の成分を少しずつ変えて調整しているので、この特効薬がどこまで効くのか…今は、それだけが心配である。

数日は、何もなかった…特効薬も、ふたつずつ送られてきたので患者達にも気づかれないよう点滴に混ぜて凌いだ。
送られてくるものが少量ずつなのは、こっそりと受け取らなけらばならないので仕方がない。


――26日の昼前、あの新人からちょっとした事故が起こったという話を聞かされた。
詳しく聞くと、2日前にあの『薬』を運んでいた研究者達が階段で足を滑らせてしまったらしい。
幸い怪我はなかったが、階段にあるダクトから院内へ『薬』が流れたかもしれないという……

思考が止まっていた為、思わず「は?」という言葉しか出なかったのは仕方ないだろう。
…そもそも、一般患者や見舞い人が入れない区画の階段での事故だったよな?
それについて訊ねると、新人の彼は周囲に人がいないのを確認してから耳打ちしてくれた。

「それが…入院している子供数人が入り込んでいたらしく、おもちゃの車やビー玉が置かれたままだったらしいよ」

普段は階段の出入り口には鍵がかけられているそうだが、本で読んで知ったらしい子供がピッキングして開けてしまい…誰も来ない事から、秘密基地のように使っていたようだ。
末恐ろしい子供がいたものだ、と考えてしまったが…問題は、そこじゃない!
ダクトを通して、あの『薬』が院内に撒かれたかもしれないと新人の彼は言った――それも、その出来事が2日も前の出来事だと!?

「…だから、どうして『報・連・相』ができないんだ!!」

つい、そう口から出してしまうと、新人の彼は困ったように声を潜めて答えた。

「それが…僕も、ついさっき知って――先輩達がこそこそ話をしていたのを、通りがかりで耳にしただけでさ」

どうやら彼の先輩にあたる研究者と綺乃あやの女史のところの研究者達が、走水そうすい博士や嵯苑さおん院長に事故の報告をしていないらしい。
予備に持ってきたひとつが駄目になっただけで、他は何も問題なかったからと事実を隠したようだ。
…もしかして、ひとつ消えては戻るが繰り返された理由わけはこれか?

それよりも、あの『薬』は気化すると緩やかに前頭葉が狂いはじめる…つまり、感情のコントロールがきかなくなる。
この状態の人間が何人もいてみろ…最悪、殺傷事件に発展するぞ。

大事になる前に報告をした方がいい、と俺は新人の彼に伝えた。
まだ医院内で抑えられるなら抑えてしまわないと、大変な事になるのだから……

新人の彼は「すぐに博士と綺乃あやの女史に伝えてくる」と言い、走り去っていった。
もちろん俺も珠雨しゅう先生に伝えなければ、と急いだ。


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