2話:夢魔の刻印

「でっかい聖堂だな…ジスカのじいさん、ここに住んでんの?」

セネトは目の前に建つ大きな建物を見上げて、驚きながら訊ねた。

――ゼネス村の、ほぼ中央に位置する建物が"オラトリオ教団"の聖堂である。
見た感じでは、夢魔が潜んでいるようにとても見えないのだが……

「なんか…聖堂とは思えないほど、暗く重い気配がするな」

首をかしげたセネトに、ジスカは大きなため息をついた。

「それはそうだろう…ソーシアンの失敗で、見事に夢魔達が力をつけたからな。今はわしの力でここを封じているが、ここに務める者達を全員眠らされたわ」
「本当か…?ならば――」

ジスカの話を聞いたセネトは、嬉しそうに聖堂入口へ向かいながら言う…ここに入れば、好き放題寝られるかもと。
そんなセネトの様子に、キールとジスカが異口同音でツッコミを入れる。

「何を言っているんだ、この大バカ者がっ!!」

言葉によるツッコミを受けたセネトは、頭から地面に倒れ込む…が、すぐに起きあがってキールとジスカを睨みつけた。

「いいだろう、仕事よりも今は眠りたいんだ!」
「それを堂々と言うな…これが終わってからにしろ。むしろ、永久に目覚めるな」

呆れながら言ったキールに、セネトは機嫌を悪くする…が、すぐにあくどい笑みを浮かべる。

「それっておれに死ねと言ってるようなもんだろ、ったく。ぁ、そうだ…夢魔一匹生け捕りにしておれの安眠を妨げるやつらを、ふふふ」
「あほか、きさまは――"閉ざされし時よ、再び刻め…"」

何か企んでいるらしいセネトの頭を思いっきりはたいたジスカは、聖堂の入口である扉の前に立つと何かを唱えた。
ジスカの言葉に呼応するように、聖堂全体を包む空気が変化する……

「…結界は解いたが、あまりこの状態は好ましくない」

――村に夢魔の影響が及ばぬよう…聖堂を封じていたのだ、とジスカは語った。
…もちろん、村人達に聖堂にしばらくは近づかぬようにと言ってあったらしく…被害は聖職者達だけなのだそうだ。

納得したように頷いたキールが、周囲を窺っているジスカに訊ねた。

「確かに、ソーシアン兄妹が呼び集めた夢魔達の…この村を簡単に飲み込んでしまうほどの力を感じますね」
「あぁ、だが…初めの夢魔をどうにかできれば、ソーシアンに呼び集められた夢魔達はいなくなるだろう」

聖堂正面の扉を開けたジスカが、キールとセネトに入るよう促す。
何やらウキウキしているセネトに、ジスカは心の中で愚痴った。

(…今回も、何か嫌な予感しかしないな。クロスト、お前の次男坊は何か企んでるではないか)




――そんなジスカの気持ちが届いたのか、フローラントにある邸宅の庭先で赤灰色の髪をした40代後半くらいの男が大きなくしゃみをする。
鼻の下辺りを指で擦りながら首をかしげた男は、不思議そうに空を見上げていた。

「あら…どうかされたの?」

邸宅の中から女性のやわらかな声が聞こえ、男はそちらの方を向く。
そこには、40代前半くらいの茶色のゆったりと長い髪をした女性が窓辺に立っていた。

「…いや、何でもない。多分、誰かが噂をしているんだろう――セネトの事で」

そう答えた男の表情は、何故かだんだんと暗くなっていく……
窓辺に立つ女性は、呆れたようにため息をついて口を開く。

「…あの子、またやるでしょうかね。クロストさん…」
「そうかもしれないな…まったく。何事もなければいいのだが、な」

自分の妻の呆れている様子を、ちらりと見たくしゃみをした男・クロストは小さく呟いた。




――聖堂の中に入ったセネト達は、いたるところで床に倒れ眠っている聖職者達を尻目に歩みを進めている。

「うへぇ~…みんな、死んだように眠ってやがるな。本当、気持ち良さげに…」

本当に眠っているのか気になったセネトは、眠っている一人の聖職者の頬を何度か指でつついた。
その様子を観察していたキールは、床に散らばっている書物や書類を軽く片しながらジスカに声をかける。

「ソーシアン兄妹によって集められた夢魔達は下級ですが、かなりの数いるようですね」
「さすがメイリークの者だな、キール。いくら下級でも…数が多くて、どうしようもない状態でな」

眠っている聖職者達を見ながら、ジスカはキールに答えた。
……その間、キールとジスカはセネトの方だけを一切目を向けないようにしているようだ。

「…何故、今おれの存在を無視してる?」

何か納得いかないセネトは、むっとしながら訊ねる。

「この場合、保護者であるキールに説明した方が安全だろ…?いろいろと…まぁ、わしとしては人にさえ被害がなければいいわけだしな」

セネトの方を向いていたジスカは「いろいろ」の部分から、ゆっくりと視線をそらしていった。
…おそらく、言っていて安全性についての自信を無くしてしまったのだろう――

「何か諦めてないか?しかも、被害がでる前提で話を進めようとすんな!」

ジスカの言葉に、セネトは不満を露わにした。
――だが、色々と天秤にかけたらしいジスカが力なく俯いて囁くように言う。

「…人命が第一だ。建物くらい破壊されても、文句は言えんしな…」
「言っとくが、今まで人命に関わるような事はなってねーから!」

人命に関わるような事になっていないが、建造物の破壊に関しては常習犯のようなものであったりするが…セネトはそれを棚に上げると、ジスカに向けて指差した。
まったく自信を持って言うような事ではないだろう、と思ったキールはジスカのそばへ行く。

「…まぁ、今回は多分――建造物の全壊、とまではいかないかと。問題があるとしたら、集まった下級の夢魔達です…もしかすると、中心となっている夢魔を守ろうとするでしょうから」
「あまり時間をかけぬというのなら、わしが対処するが…?」

ジスカは少し考えながら、そう提案した。
ジスカの身体の事をよく知るキールが心配そうに彼を見遣ると、ジスカは苦笑混じりに頷く。

「わかっている…わしも無理をするつもりはない。だから安心しろ、キール」
「…ならばいいですが。くれぐれも無茶はしないでください」

不安げなキールに、ジスカはもう一度頷いて目的地である聖堂の奥へと歩みを進めた。
しばらく歩いていくと、ジスカが歩みを止めてひとつの扉を示す。

「…この奥の部屋が、わしの孫であるセリーヌの部屋だ。ここで、あの子は眠っている…それと、ひとつ言い忘れていたが――」

少し言いにくそうなジスカに、セネトとキールは不思議そうに首をかしげた。
ジスカは小さくため息をつくと、少し遠い目をさせて言葉を続ける。

「実際は会えばわかると思うが、少し変わった夢魔のようで…わしでは追い払えんかった」
「一体どんなやつだよ…ま、何が出てきてもおれは驚かないけどな」

首をかしげたままだがセネトは自信ありげに言う、その隣でキールが遠い目をさせながらある事に気づいて呟いた。

「…どんなのかは、考えまい。しかし、この気配…もしかして――」


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