2話:夢魔の刻印

「…っててて」

吹き飛ばされたセネトは、協会の敷地内にある広場中央に横たわっていた。
突然降ってくるように落ちてきたセネトの存在を、近くにいた人々が驚きの面持ちで見ているようだ。

(っくそー…クリストフのやつ、今回も手加減なしかよ)

心の中で上司であるクリストフに文句を言いつつ、起き上がったセネトは服についた砂埃を落とす。

「まぁ、いいや。今回も、上手くクリストフに仕事を押しつけてきた事だし…これから――」
「これから、お前はわしと来るんだ…セネト」

突然、真横から声をかけられたセネトは動きを止めた。
その声の主は、本来ならここにはいないはずの――今は、あまり会いたくなかった人物である。
横目で確認したセネトは、見る見るうちに青ざめた。

「なんだ…その反応は?セネト…まさか、この父の顔を忘れたわけではないだろうな…?」

父親の言葉に、セネトは深呼吸をする。

「べ、別に…そんな事は。大体忘れるわけないだろ、ははは。いや~、クリストフから有休もらってさ…ところで、おれをどこへ連れて行くって?」
「クリストフをわざと怒らせて、逃げるつもりだったか…まぁ、いい。あそこ・・・へ行くぞ、セネト」

父親の指差した方向には、フローラント唯一ともいえる医院が建っていた。

治癒魔法が発達したこの世界では、病気や大怪我などしない限り医院の世話になる事がない。

指し示された医院へと視線を向けながら、セネトは不思議そうに首をかしげる。

「…医院に?何で…?」

クリストフに吹き飛ばされたセネトだが、大怪我をするような着地はしていないはずだ。
それは、父親も知っているはず…と、不思議でならなかった。

「これからな…ん?まさか、クリストフから聞いていないのか?」

何も知らない息子の様子に父親が首をかしげていると、セネトはゆっくりと頷く。

「何も聞いてないけどな…怒らせたから、言い忘れたんじゃないか?あいつは…いてっ」

大きくため息をついた父親は、セネトの頭を殴ると説明し始めた。

「次の仕事なんだか…数ヶ月間、眠っている少女を救うというものでな。それで、医――」
「は?ちょ…ちょっと待て。今回のノルマ分はやっただろ!?クリストフのやつも、それでいいって……」

突然、次の仕事の話されたセネトは思わず大声で抗議する。
うるさいとセネトを注意した父親が、少し言いにくそうに口を開いた。

「ネーメットとクリストフに頼まれたのでわしが手を回したが、その件ではない。実はな…エトレカ女史のところにいる双子の――」
「あー…わかった。その双子、失敗したんだろ?」

大体の内容が読めたセネトは、呆れたようにため息をつく。
父親の方も息をつくと、遠い目をさせて言った。

「そういう事だ…エトレカ女史が怒りにまかせて、後任に何故かお前を指名してな。よほど疲れていたんだな…エトレカ女史は」



――こんな事になるなら、はじめから"トラブルメーカー1号"に任せてしまえばよかったの!



父親の話を聞いたセネトは、エトレカの言葉に引っかかりを覚えたようだ……

「どういう意味だよ…つーか、"トラブルメーカー1号"って何だよ!おれよりも、トラブルメーカーは他にもいるだろう…ったく、失礼過ぎるっ!」

どうやらセネトは、自分の知らぬ間につけられたあだ名に腹をたてているらしい。

「…自分はトラブルメーカーではない、と言うつもりか?その方が失礼だろう・・・・・・・・・が、それよりも行くぞ!」

文句を言うセネトを無視した父親は、息子セネトの襟元を掴んで引っ張った。

「って、ネーメットのじいさんみたく引っ張るなー!!」
「…ネーメットもやったか?まぁ、長い間わしと組んでいるからな。考える事も似てしまうのだろう…」

セネトの抗議を聞いた父親が何やら楽しそうに笑いながら、苦しむセネトを引きずりながら歩いていった。




医院に着いたセネトと父親は、入口付近に人々が集まっているのに気づいて不思議そうに首をかしげる。

「…何だ?おれ達が来る前に、騒ぎになっているぞ…」

集まっている人々をよく観察してみると、白衣やパジャマを着ていた。
おそらく、医院に勤めている人や入院患者達なのだろう……

「ふむ…医院内で何かあったのだろうか?セネト…わしが事情を聞いてくる間、逃げるなよ?」

セネトの耳を軽く引っ張ると、父親が何故か意地の悪い笑みを浮かべた。
父親の手を払いのけて、何度も頷きながら心の中で悪態をつく。

(逃げたらどうなるか…あんたの息子17年やってるんだ、そのくらいわかるって。逆らったら、後が怖いしな)

幼い頃から嫌というほど実感しているセネトは、口元をひきつらせたまま事情を聞きに向かう父親の後ろ姿を見送った。




――数十分後、事情を聞いてきたらしい父親がセネトの元に戻ってくる。
そして、困惑した表情を浮かべる父親は独り愚痴るように呟いた。

「ふむ、ちとまずい事になったな。まったく…」
「何がだ…?おれは待ちくたびれてさ、眠くなってきたぞ?」

地面に座り込んだセネトが大きな欠伸をしていると、父親は咎めるように睨む。

「…『お前と組むのは嫌だ』と言うて、医院に立てこもった・・・・・・らしい」
「はぁ?誰が…おれは、そいつに何もしてないぞ!」

セネトは思わず、父親の肩に掴みかかりながら叫んだ。
しかし、父親はセネトの手を払うと視線をまったく合わせず呟いた。

「いや…したな、お前が新人の時に。あいつも…あれでトラウマになったんだろうな」
「新人の頃、って…普通にしてたと思うんだけど。誰かに何かしたっけ…?」

自分の頭を抱え込んだセネトは、『何かやってしまったか…?』と一人悩みはじめる。
だが…思い当たる事が多すぎて、まったくわからなかったセネトは苛々したように髪をかきむしった。

「…忘れたのなら、思い出させてあげましょうか?」

突然声をかけられたセネトは少し嫌そうな表情のまま、声がした方を向く。
声の主はセネトの父親、ではなく…セネトが一時間ほど前に会っていた人物のものだった。

「げっ、何でここに…?」
「おぉ、クリストフか…ちょうど良いところに来たな。もう事情は聞いておるか…?」

セネトの父親も声のした方を向くと、そこには銀髪の青年・クリストフが呆れたようにため息をつきながら立っていた。
クリストフはセネトの父親に向けて頭を下げ、持っていたらしい書類を手渡す。

「はい…まぁ、大体は。その前に、これを…ユースミルス卿。セネトの・・・・、報告書です…」

『セネトの』のところを強調したクリストフは、にっこりと微笑んだ。
どうやら、受付に提出するより…セネトの父親であり、ユースミルス家の当主補佐に渡せば何とかなると考えたらしい。

さすがに事情を察したセネトの父親は、小さく頷いて差しだされた報告書を受け取った。

「…苦労をかけたな、クリストフ。この、バカ息子の仕事までやらせてしまい…すまなかった」

息子であるセネトの頭を思いっきりはたいた父親は、クリストフに頭を下げると同時にセネトの頭も無理矢理下げさせた。
頭を下げさせられたセネトは苦しそうな声をあげるが、父親の手の力は緩まない……

2人の謝罪に、クリストフは慌てて首を横にふった。

「いえ、大丈夫ですので…お気になさらないでください」

クリストフの言葉に、セネトの父親はもう一度頭を下げると再びセネトの頭を叩く。

「いてっ…」
「お前は反省しろ、セネト…」

父親に叱られたセネトは頭を痛そうにおさえながら、まだ小言を言い出しそうな父親に先手を打つ。

「そ…そんな事よりも、この立てこもりの件はどうするんだ?」
「ん…?あぁ、そうだったな。そちらの方を先に片づけないといかんからな…この件と仕事が終わったら、たっぷりと説教だぞ」

誤魔化されたりしなかったセネトの父親は、じろりとセネトの顔を見た。

「…おれが帰ってきた時、忘れてくれてるといいな」

父親に聞こえないように、セネトは小声で呟くのだった…――



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