化猫 大詰め
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「化猫の真は、あんたか!」
カチン
「話してくれ」
「…話したところで何になる?」
「"何になる"?」
伊行が殺したくて殺したくて仕様がない化猫を、先端に淡い紫色の特殊な力を纏わせた棍棒を振るって遠ざける
化猫は怯みはするが逃げ去る様子は見せず、ただジッと獲物を食い破る好機を狙っている
対峙する薔の目元は威嚇する獣のそれで、今にも牙を剥かんとするのを理性でぐっと堪える
「あれはもう、抑えられんのだろう。わしは、もう直ぐあれに―――殺される」
『ッ…だから、何だ!?』
ブオォン!
大きな風を切る音を纏って棍棒を振り抜り、化猫の身体を今までで一番遠くに飛ばした
しかしそう連続して出せる強さではなく、薔の片膝が畳に付いてしまった
ここまで奮闘を続けた薔の体力も遂に底が見えてきた
「あんたが、殺されようが 殺されまいが どうでもいい…。俺は、あれを斬らねばならん」
チリンと鳴る鈴の音が、興奮して血が濁流のように流れていた薔の脳を静寂の水面に変える
多少霊力のある人間でもここまで強い力を何発も使える者は片手で数える程しか居ない
似た力を持つ薬売りは、薔がどれだけ身体に無理を強いているかがよく分かった
赤の他人とは言え、怪しい身形をした自分にここまで協力的だった人間を亡くすのは惜しいと彼の胸の中に悲しみと悔いの情が顔を出す
「画師殿…」
『…は、なんて面してやがる……』
「……」
『心配すんな…、そう簡単に地獄に行くつもりはねぇよ。真の話が、理に繋がるんだろ…?』
「あぁ…。その為にも、あんたの話が 必要なんだ!」
隣りに並ぶ薬売りが突進してくる化猫に向かって片手を押し出せば、化猫はまた遠くへと飛ばされる
この一進一退が永遠に続けられる訳がないことは伊行も理解している
だが、彼の口はこんな状況にも関わらず重たいのだった
「あれを成したのは、あんたなんだ。あんたは、話す義務がある!」
「義務ぅ?」
『うぉら!!』
ブオォン!!
薔が攻撃し、化猫が吹き飛ばされる
そんな攻防が繰り広げられる最中、伊行は過去の出来事に思いを馳せた
脳裏に浮かぶのは、寒い牡丹雪が降る冬の日の光景
「ちょっとした、鬱憤晴らしの…つもりだった」
白髪と皺に塗れた伊行は過去の姿になり、かつての日々を語り聞かせる
髪はまだ黒く、鋭い目付きが冷酷さを匂わせる男_当時の伊行の低い声がぽつぽつと話していく
「年甲斐もなく、脅かしてやろうと…」
若かりし頃の姿で語るは、伊行の目で見た化猫の真
遡ること、二十五年前―
冬の日に、伊行は道端で輿に乗る花嫁を見掛けると、ほんの出来心で花嫁を腕に抱いて攫って行った
悲鳴を上げて泣く姿が見られれば、伊行はさっさと家に帰すつもりだった
けれど攫われた花嫁は怯えた様子を一切見せず、伊行に
伊行はそんな美しい娘に心癒され、その返しにせめてもと上質な着物を着せてやり、豪華な食事を与え続けた
その時に、遊び相手になればと黒毛の子猫も与えていた
娘は喜び、子猫を大層可愛がっていた
伊行もそれを見て喜び、共に可愛がってきた
しかし、不幸にも娘は年若くしてこの世を去ってしまった
愛らしい子猫と伊行を置いて…
「
自分の身勝手な行動から生み出してしまった悲しい死
それを憂う伊行は、自らの行いを悔みきれぬまま
聞くも涙、語るも涙と言わんばかりの悲劇語りに、薔は全身の毛がざわめくのを感じた
本能が、伊行が語る話をまるで拒むかのように
「では…その女性の思いが、猫に乗り移り 化猫になったと?」
「なんと……」
「ご隠居様…」
今まで誰も知らなかったであろう真実に小田島も加世も驚き、跪き首を垂れる伊行に同情する
しかし、矢張り薔だけはその話に納得出来なかった
何度も何度も化猫の攻撃を打ち払う内に、化猫の感情が棍棒を通じて薔に伝わっていたのだ
そこにあるのは、伊行が語る話とは天と地以上にかけ離れたもの
化猫の感情に揺さぶられた薔は、女の恨みで化猫が生まれたなどと
『違うッ!!!』
「!!?」
「…違う、じゃと……?」
横に立つ薬売りが驚き、後ろで項垂れる伊行が薔の否定の言葉に眉を顰める
肩で息をするまでに疲弊している薔は、その眼光に似た鋭い殺気を多分に含ませて伊行に吠えた
『ここまで来てまだ保身に走るか、老害が!!』
「何じゃと!?」
ズドン!!!
『がふ…ッ、この……外道共がぁ!!!』
「画師殿!!」
今までで一番大きな攻撃を喰らった薔の口からは鮮血が飛び散る
自分の後ろに下がらせようと肩を掴む薬売りの手を払い、逆に強い力で押し返した薔は突進してくる化猫の攻撃を一人で食い止め続ける
薔が血反吐を吐いてまで吠えた言葉に、化猫は呼応して力を強めていく
『テメェ等がした事は、地獄の業火に焼かれても赦されるような生易しいモンじゃねぇ!!』
「何だって言うんだ、画師!」
『まだ…白を切るかッ、伊國!!絵に描いたような下衆野郎が!!』
「私は悪くない!言われたからやっただけよ!!何も悪くないわ!!」
『止めなかった時点で同罪なんだよ!!さと!!テメェがやったことは恨まれても仕方がねぇことだ!!』
「貴様、この期に及んで何と無礼な…!!」
『部外者面してんじゃねぇぞ笹岡ァ!!テメェも化猫に食い殺されても文句言えねぇ立場だからな!!』
「偉そうに…ッ!貴様に何が分かる!たかが流れの画師風情が!!」
怒号と怒号の掛け合いで叫び声が響く中、化猫の攻撃はどんどん勢いが強まっていく
薬売りが加勢しようとしても化猫は己の中の恨み辛みを薔にぶつけるだけで薬売りには見向きもしない
薔も薬売りが近付けないよう棍棒を大きく振り回しながら坂井の人間に対する猫の怒りと憎しみを代弁する
叫び過ぎて耳があらゆる音を取り零していくが、その隙間を縫って聞こえた伊行の身勝手過ぎる言葉
それは薔が理性で蓋をしていた荒ぶる感情の数々を封した箱を壊すのに最も適した罪深い言葉である
『珠生を殺したのは、お前等だァ!!!!』
グアアアオオオオォォォォ!!!
―――ねこ、ねこ…よしよし……
あの若い女の声の正体は、伊行に囲われた珠生本人
彼女にとって子猫がどれだけ大切な存在なのかを知らしめるのには十分な愛が込められた声
化猫はただ愛していた
自分に無償の愛を与えてくれる珠生のことを、この世の何よりも愛していた
それを、坂井の家の人間達はいとも容易く奪ったのだ
猫の世界を、人間が壊した
ドォン!ドォン!ドオン!!
『っぐぅ…あああぁあ!!』
「画師殿!!」
『薬売り…ッ!!剣は!?』
爪に色を塗った色白の薬売りの手に握られる退魔の剣は抜けていない
伊行の語る真が、化猫の真と異なることを痛い程真っ直ぐに物語っている
これでは、退魔の剣は抜けない
「ッ…!」
『チィッ!だったら…!!』
ビュオオォォ…!!!
血管が浮かぶ程強く握った棍棒を下から斜めに振り上げ、部屋の空気を突風に変えて化猫に見舞う
化猫は不意を突かれてかなり遠くへ吹き飛び、少しの時間を稼ぐことに成功した
今の内に手を打たんと構える薬売りの前を、フワリと穢れを知らない純粋な白が舞い踊る
それは、目を見張る薬売りの前で亡くなった真央が着ていた花嫁衣裳の羽織を被った薔の背中
羽織の下でダラリと垂れた手は震えており、鮮やかな赤色が白い肌を裂いて畳に落ちている
部屋の端に投げ捨てられていた棍棒を見れば、薔にはもう己が武器を握る力すら無くなっていることがよく分かる
だが、薔が花嫁の恰好を真似て自分の前に立つ理由が分からず、薬売りは声を張り上げずにはいられなかった
「画師殿!?」
『俺が時間を稼ぐ。お前は、どうにかして真と理を見つけ出せ』
「何を言ってるんだ!死ぬぞ!!」
『こうするしか…もう方法はねぇんだよ』
落涙に似た小さな声に薬売りも加世も小田島も絶句する
ここまでの短いやり取りだけで、薔が簡単に弱音を吐く人間ではないことぐらい分かっていた
だから今のこの状況がどれ程危険なのか
それが三人には胸が痛くなる程よく伝わった
「画師、さん…ッ!」
「そんな、止めてくれ!!」
涙を浮かべて止める加世と小田島に一瞥もくれず、薔は怒りと悲しみに塗り潰されていた顔をある感情に塗り直す
それは、かつて猫が愛して止まなかった珠生の顔
慈愛に満ちた、優しい微笑
気力だけで立っている薔の震える声には今までの冷たい低さは姿を消し、代わりに温かく花の蜜のような甘い声が出てきた
『…ねこ、ねこ……』
グオオォォ…
『おいで……』
グオオオォォオオオ!!
「止めろぉ――!!画師殿ぉ―!!」
――もう…ひとりにはしないから……
ドプン…