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onychophagia


あなたの顔が好きだった。
細い切れ長の目、可愛らしい鼻、綺麗な唇、それから、可愛くてたまらない主張の強い前歯。表情はころころ変わって、何年も一緒に過ごしてきても飽きることはない。表情が変わるたびに顔のパーツが大きく動くのが好きだ。だから特に意味もなくちょっかいを出してみたりもする。驚いた顔、真剣な顔、ファンのみんなを前にした時の、満足そうな、嬉しそうな顔。どんな顔も好きだけれど、一番好きなのは笑顔。眉尻が下がって、ただでさえ細い目がなくなるくらい細くなって、前歯も全開で、顔全部で豪快に笑うのだ。その顔を見ただけで、僕の心が、あなたが好きだと叫びを上げる。それはもう、痛いくらいに。
あなたの体が好きだった。
背が高くてがっしりした、ステージの上を跳ね回るあなたの体。ファンのみんなを魅了する体。他の誰よりも僕を惹きつける、体。僕の肩をぎゅっと抱いて慰めてくれた、あなたの力強い腕。ふざけて僕の手首を掴むあなたの大きな手に長い指。死ぬほど焦がれて憧れて、追いかけ続けたあなたの大きな背中。あなたの隣に立ちたいと何度も思った。何度も何度も血反吐を吐くくらいに心があなたを求めて、どうしてもあなたのそばに行きたがった。
あなたの声が好きだった。
低くて力強い声。他の誰とも違う、この世界にたったひとつの、一等特別な、声。同じステージの上で聴くあなたのラップほど僕の心を震わせる音は他にない。僕の名前を呼ぶあなたの声ほど心をいまにも割れそうに軋ませる音も、他には、ない。
キム、ジウォン。
あなたの全てが欲しかった。その黒い瞳が僕だけに向けられればいい、僕だけのものになればいいと何度も願った。僕のことだけ考えて、僕だけを見て、僕だけに笑いかけてほしい、と。わかっている。それが叶うことなんてないし許されないことだなんて。そんなことは痛いほどわかっている。だからこんなにも苦しいんじゃないか。
あなたはこんなにも僕の特別なのに、あなたの特別は僕じゃない。僕の隣に立つのはあなたじゃないし、あなたの隣に立っているのは僕じゃない。出会った時からそうだった。出会った時にはあなたはもうあの人ので、あの人ももうあなたのものだった。きっとこれからもずっとそうだ。
あなたの隣にいるのはあなたに相応しいひとだ。僕はその人に勝てないし勝とうとも思わない、勝ちたくもない。
天才で努力家で、iKONというチームのことを一番に考えてくれる、とてもとても素敵な人。僕の大好きなハンビニヒョン。
好きな人と好きな人が、隣同士で、幸せそうに笑っている。こんなに幸せなことが他にあるだろうか?
二人はいつも一緒だ。いまも二人で出かけている。そこに僕の入る隙間はない。
ハンビニヒョンもジウォニヒョンも、お互いに向ける笑顔と僕らに向けるそれは全く違う。お互いに特別で、それはとても美しい。
笑い合う二人を見るたびに、僕の胸は幸せに満ちるのだ。
(嘘ばっかり。お前はいつも苦しんでるじゃないか)
うるさい。
(本当は我慢の限界なんじゃない?ジウォニヒョンの気持ちを独占するハンビニヒョンも、ハンビニヒョンのことが好きなジウォニヒョンも、嫌いなんでしょ?でも大好きなふたりを嫌う自分は、もっと嫌いなんでしょ?)
うるさい、そんなこと思ってない、黙れ。
(黙らない。お前が僕を形にするまで。ジウォニヒョンをお前の、)
「おい」
はっと我に返って顔を上げる。僕を現実に呼び戻したのは、右斜め前の、僕から見て左側を向いて置かれたソファーに座って呆れ顔をしたジュネだった。
「お前、それ。ユニョンヒョンに怒られんじゃねえの」
「、それ?僕何かしてた?」
まさかとは思うけど、考えてたことがばれたとかじゃないだろうな。ジュネに限ってそれはないと思いたいけど、こいつ変な所で察しが良いし。
僕がそうやって少しひやひやしていると、ジュネは小さく溜息をついた。なんだよ。
「自覚ねえのかよ…、重症だな。爪!噛むなって前も言われてただろ?」
「え!?」
ぎょっとして自分の手に視線を落とす。僕の右手の人差し指には、なるほど、くっきりと白く噛み跡がついた爪が鎮座していた。
「うそぉ…、どうしよう本当だ、あーまた怒らせちゃう」
ユニョンヒョン、別に怖くはないけど怒らせるの申し訳ないんだよね。怒りたくて怒ってるんじゃない、僕のために怒ってるってわかってるんだもん。ごめんなさいヒョン。
「またなんか考えてたのかよ」
いつもより静かなジュネの声に、ぴたりと動きが止まる。目線だけを上げると、まっすぐに僕の目を見つめるあいつと目が合った。
「バビヒョンだろ」
そうやって、ぴたり、言い当てる。間違いなどあり得ないと、確信を持って。
こいつはいつもこうだ。いつもはどこかずれているのに、こういう変な時だけ、驚くほど察しが良い。
「そうだけど?」
隠してもしょうがないので認めてしまう。ちなみにジュネは僕がジウォニヒョンを好きなことをメンバーの中でただ一人知っている。もちろん僕から打ち明けたわけではない。そんなことをするはずがない。ジュネの方からある日突然「お前バビヒョンのこと好きだろ」と言ってきたのだ。仕事の帰りに、なんの脈絡もなく。その時もまっすぐに僕の目を見据えて、ぴたり、真実を言い当てた。まるで肉食獣が頸動脈に狙いを定めて獲物を仕留めるように。
血を流し動転した僕は、その時もこう答えるより他なかったのだ。
『そうだけど?』と。
「お前も難儀な奴だな。正面からドーンといっちまえばいいんだよ。男見せろ」
体育会系丸出しだなこいつ。
「無理だよ。二人の邪魔したくない」
「お前が好きっつったって俺も好きだぜ!で済まされるってあの人なら」
「まあそうだけど、」
僕が全く乗り気じゃないのを見ると、前のめりになっていたジュネはソファーの背もたれに体重を預けた。いつもこうだ。いつもここでこうやって話が終わる。ごめんなジュネ。僕にはお前がジナニヒョンにするみたいな押せ押せはできないよ。
けれど、今日はジュネが一歩踏み込んだ。
「なあ。あの三人は絶対変わらねえよ、俺らがいくら足掻いてもさ…、悪いけど」
そこで僕は瞬きをひとつした。
さらに瞬き。ぱちぱち。ジュネ、なんだその顔は。
三人、って、ジウォニヒョンとハンビニヒョン、それからジナニヒョンのこと?キム三兄弟のことか(僕もキムだろとかいう野暮なことは言いっこなし)?
ジュネヤ、お前は、ジナニヒョンが自分に振り向かないことを、変わらないことを知って、あんなに頑張ってるのか?
「…そっかぁ、お前は怖がりだもんね」
「あ?」
機嫌悪くしちゃった。
どういう意味だ、って続く前に僕から説明しちゃおう。
「馬鹿にしてるんじゃないよ?ジナニヒョンが変わらないから安心してるんだよね。怖いんでしょ?変わるのが」
「…俺がいつ変わるのが嫌だっつったよ」
怖いとは言わずに嫌だと言うのがジュネらしいというかなんというか。
「言ってたよ、チャヌヤとジニョンが入ってすぐのキャンプが終わった時も、インタビューでも何回も」
「…マジか」
ジュネはそう呟いて視線を膝に落とした。マジか、とまたぽつり。マジだよ。
「あ、ジム行かなきゃ」「ん、おお」
本当は予定の時間よりほんのちょっと早いけどいいや。ゆっくり行こう。
体を捻ってニット帽を指先で引き寄せ、軽く払ってから頭に被る。あれ、マスクどこだっけ。探してみても見つからない。もういいか。
ジュネ、お前はまるでピュグマリオンみたいだ。とてもとても可愛らしい人形に恋をして、反応のないそれに毎日愛を囁き続ける。お前はそこで止まっているけれど、僕は知っている。その人形は人間だよ。いつお前を見て笑いかけるかわからないんだ。
僕は知っている。それがもう時間の問題だってことも。
「ジュネヤに付き合わされるジナニヒョンも大変だね?」
「早く行けよ」
そんなこと言ってるけど笑ってるじゃん!
僕も笑いながら家を出る。
ジュネヤ、本当に大変なんだよ。好きって気持ちを気付かれないように、うっかり口からこぼれ出さないように、自分の首を絞めるのって。
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