SS 81~100

この命は、誰かと引き換えに得たものらしい。
らしい、というのは俺が覚えていないから。
所謂記憶喪失というやつらしい。
それに俺と引き換えに死んだその人のことを聞くと、皆一様に顔を歪めて「知らなくていい」と言うのだ。
そんな様子では軽い気持ちでも聞けないじゃないか。


別にその人の事を知らなくても生きていける。
けれど命の恩人のことを忘れて生きるわけにはいかないと俺は思うんだけどな。
何故命の恩人が忘れてしまった人だと分かったかと言えば、聞いて回った全ての人が知ろうとする俺を諌めるから。
きっと俺の命の恩人は俺の知っている人で、尚且つ浅くはない関係だったのだろうと気付いたのはわりと最初の方。

もしその人のことを思い出して、俺を苦しめない為に。周りの人間は教えてくれない。
だから俺は聞けずにいる。
その優しさを無下にするだなんて、殆どのことを忘れてしまった俺が出来るわけがなかったから。


「しっかし、暇だなぁ」


俺は病室のベッドから起き上がると窓に近寄り窓の外を見やる。
そこから見えた空に掛かる雲がソフトクリームのように見えて、何だか意味もなく可笑しくなって、ふい、と横を見やり、


「なあ、アレさ」


そこには誰も居ない。
当然だ。今はまだ俺の母親だという人が来る時間じゃないし、友人だと名乗るヤツも学校に行っている筈だ。


――では一体俺は、誰に話しかけようとしたのだろう?


「……ッ、」


そう思った瞬間、ツキリとこめかみに痛みが走った。
けれどそれは一瞬のこと。
直ぐに何でもなかったかのように痛みが引いた。
今の痛みは一体なんだったのだろう?
考えて、けれども直ぐに止めた。
痛いことをわざわざ繰り返すだなんて真似をしたくなかったからだ。


俺は窓を閉める。
まるで辛いナニかを遮断するかのような音を立てながら窓は閉まる。
その瞬間、俺は痛みのことなんか忘れてしまったかのようにケロリとした、何でもないような口調で


「ああ、暇潰しでも持ってきて欲しいって言うの忘れてた」


今からメールをすれば何か持ってきてくれるだろうか?
何があるかは覚えてないけれど、何かしら興味を引くものを持ってきてくれるだろう。
そう思って備え付けの台からスマホを手に取る。
その時、右手の薬指に銀に光る指輪が視界に入った。
一目で安物だと分かる品だ。
俺はどうしてこんなものを着けているのだろうと疑問に思いながら、その指輪をジッと見つめる。
そうして親指と人差し指と中指を使って引き抜くと、じっくりと見つめた。


(何だかとても見覚えがあるような…)


けれど考えても分からない、それどころかまた頭痛が襲ってきた。
俺は頭痛の元であろうその指輪を、自分で適当に買ったものだと早々に結論付け。
次の検査の時に邪魔になるだろう事を理由に、痛みから逃れる為に近くのゴミ箱に捨ててしまった。
キラリと光ってゴミ箱に吸い込まれていく指輪が、何だか泣いているような気がしたけれど、どうしてそう思ったのか俺にはそのわけすらも分からない。
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