誇り抱く桜の如く

あぶくのように消えてしまえればいいのに。
貴方を想うこの心ごとすべて消えてしまえばいいのに。


気付いた時にはもう好きで。
どうしようもなく、好きで。
貴方の凛とした姿だとか、時折わたくしの膝に寝そべり髪を弄んでは甘えられる姿だとか。

そういう些細な事すべてがいとおしくて。

だからどうか、と思うのです。
だからどうかこの時が永遠に続けばいいと。

なのにわたくしは『その時』が来た時に選んだものは貴方ではなかったのです。

「翠凛」

わたくしの寝所で眠る、わたくしの息子。
わたくしと同じ紫水晶の瞳に、わたくしと同じ金の髪。
唯一違うのは、その片方の瞳の色。
普段は髪で隠されているその瞳は紅い、血を連想させるような色。
わたくしも、夫たる天帝も持っていない色。
代々、天界で魔獣の討伐軍を率いる闘神の一族にしかない出ないその色が出た理由。
それはこの子がわたくしの片割れに宿り密かに産んだ子だから。

片割れたる水仙はこの子を生んだあとに天界では禁じられている自殺をした。
その姿を、あの血溜まりを、幸せそうな微笑みを、わたくしは未だに忘れられない。

『姉上、あとは頼みます』

その言葉を聞いて、わたくしは天帝にすべてを隠し、翠凛を育てる決心をした。
赤子を連れ帰ったわたくしの『貴方様との子です』との嘘の言葉を天帝は信じてはくださらなかった。
不義の子を産んだ女、売女と他の者達には呼ばれ、天帝は何も言わずにわたくしの位を正室の座から側室の座まで落とされた。

もっとも。その程度のことは構わなかった。
わたくしにとっての優先順位が天帝……劉桜様からこの子に変わった。
ただそれだけの話でしたから。

それに側室、と言っても。
天帝は何故かわたくしを正室の部屋から外されることはありませんでした。
どうやら新しく『正室』となられた香鈴様が「穢れた女の居た部屋になんて居たくありませんわ!」と喚いてこの部屋を拒絶したらしい。
お馬鹿さんですねぇ、と内心思いました。
この『部屋』は『天帝正室』の証の部屋だと言うのに。

まあ、結局わたくしは数えて三番目の側室。
権限は何も持ちは致しません。

「ですので。わたくしと、そうして翠凛に構ったって意味はありませんよ。近付いては貴方まで色々言われるでしょう。おやめになられた方が良いですよ。水玄」

部屋にそっと入ってきた水玄にわたくしは声を掛けた。
水玄は「さすがは姉さん」と笑いながら近付いてくる。

「でも姉さんは何か勘違いしていない?」

「何をです?」

訝しげに眉根を寄せて水玄に顔を向けた。
そこには無邪気な子供の笑みではなく、恍惚とした男の顔を浮かべる水玄がそこに居て。
ビクリ、と本能的に肩が震える。
恐ろしいものを見た時のような感情が沸いた。
弟相手に何を……と思っていたら、水玄はまるで道化のように腕を広げて、恍惚とした顔はそのままにわたくしの目の前に立って言うのだ。

「オレは、姉さんを救いに来たんだ」

「救う?わたくしをですか?」

こてりと首を傾げて水玄を見やる。
わたくしよりも妹の水仙に似ているといつか言ったなら、二人にとても嫌がられた記憶がある。
あの頃はまだ幼かった水玄。
顔つきは少年から青年に、体つきはしっかりとしていて、男性の肉体を得た水玄。
父上そっくりの水玄を見て、虚ろな夢の中にいらっしゃる母上を何故だか思った。

「わたくしは救われたいとは思いません。この状況をわたくしは結構満喫しているのです」

「嘘だね、姉さん」

「嘘なものですか」

「じゃあ、これを聞いても姉さんは平常で居られる?」

ニヤリ、と嫌な笑い方をした水玄にわたくしは肩を震わせた。


「天帝勅命。不義の子、翠凛を――暗殺せよ」


嗚呼、どうして。
どうして、この世界はこんなにもあの子達に厳しいのですか?


水玄は背に隠していたらしい代々闘神を輩出する家の当主が持つ刀を持っていて。
その刀は無慈悲にも、翠凛に振り下ろされた。
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