黒バス

「マネージャー舐めるのも大概にしてくださいね?」

そんなドスの効いた、女性から出るとは到底思えないような声音で呟かれた言葉に戦慄する。
普段の無表情は何処に行かれたんですか?と問い質したくなるくらい、黒子の表情筋は現在フル活性している。
にこりと音が付きそうなくらい完璧でいて、また崩されることのない笑顔は、いつもの凡庸なようで良く見れば儚く透明感溢れる美少女がやると見慣れ無さすぎて怖い。
笑顔なんて滅多に見られないし、むしろ彼女が怒りを通り越して殺気すら抱いている今の状態でなければ。
高みの見物をするように悠々と見慣れぬ黒子の笑顔を見ていたというのに。

それはここに居る全バスケ部員の総意であった。

そもそも、だ。
何故彼女がこんなブチ切れ状態とも言えるような事態になってしまったかと言えば、……どれだけ考えても黄瀬が悪かったとしか言えないだろう。

事の発端は最近レギュラーと黒子、桃井にのみ忠犬化した黄瀬の発言からだった。

「そういえばマネージャーって、何してるんスかね?」

「は?何を言っているんですか黄瀬くん?」

黄瀬の言葉に反応したのは、ドリンクを用意していた黒子だった。
近くでシュート練習をしていた俺は黄瀬の発言に首を傾げる。

「え、いやだって。マネージャーって選手にドリンク渡したりタオル渡したりするじゃないッスか?バスケ部ではそういうの見た事なかったッスから、マネージャーの人達って何してるんだろうって思ったんス!」

あ、黒子っちと桃っちは別ッスよ?

なんて言葉を補足のように付け足したが、この時俺の目には見えていた。
黒子の手の中にある青峰のドリンクボトルがべきりと音を立ててヒビが入った所が。
それ所か俺の位置からはいつも何を考えているか分からないようなぼんやりと透き通った、まあ綺麗と言ってやっても良いとは思わないでもない黒子の目から光がスウっと消え。
代わりのように獲物を狙うスナイパーのような、鋭く剣呑な色が差し始めている所までガッツリ見える。

正直怖いのだよ。

けれど黄瀬は気付かない。
気付かない所か、更に口を開く。

「ぶっちゃけバスケ部に黒子っち達以外のマネージャーって要らなくないッスか?仕事もしてないのに居るだけってのもどうかと思うんスよね〜」

「……へえ、黄瀬くんはそんなことを思っていたんですか」

き、黄瀬えええええ!やめるのだよおおおお!!!
せめて黒子を見るのだよ!!普段からは想像も出来ない青峰も真っ青になるような悪人面を浮かべているのだよ!!
気付け!!気付いてくれ黄瀬!!汗と熱気で熱いくらいの体育館の温度がこの数分にも満たない内に氷点下に落ちたことを!!

そんな俺の願いも虚しく、黄瀬はまるで誉めてと言わんばかりの顔で決定打となる言葉を言ってしまった。

「俺から赤司っちに頼んであげようか?黒子っち達には悪いけど、俺そういうの許せないんスわ」

そういうの!?
そういうのってどういうのなのだよ!?
というか黒子!お前は今一度キャラを取り戻して来るのだよ!!

この場を治められたであろう赤司は今は何故か参加している職員会議の為に不在だ。
何故学生である赤司が職員会議に参加しているのかと深く考えては帝光バスケ部というより、帝光中学では生きていくことは出来ない。

『赤司様の諸々の行為には黙せ。そして察しろ』

生徒手帳にデカデカと書かれた一文だ。お分かり頂けただろうか?
つまりはそういう事だ。

いや、今は不在の赤司の事など置いておかねばならない。
何故ならもう体育館が真冬の屋外と何ら変わらない空気なのだから。
腕に立った鳥肌を擦りながら、いつどのタイミングで仲裁に入るべきか迷う。
何故なら今日のおは朝の占いで『タイミングを迷えば大変なとばっちりを受けること間違いなし!』と言われていたし。
だがしかし、自分は副主将として部員の不用意な発言は注意するべきであろう。
黒子が自分を抑えている今しか二人の間に飛び込めるチャンスはない。

(どうか俺を守ってくれミ〇キー!)

ギュッと今日のラッキーアイテムである、ミ〇キーのぬいぐるみを抱き締めて、一歩2人に近付く。――筈だった。
けれどその足は動かない。
何故なら両脇をいつから居たのか、二人のマネージャーにホールドされているからだ。
しかもマネージャーの顔は黒子と同じ様に顔半分に暗い影を作りながら、貼り付けた笑みを浮かべているのだ。
思わず口をつぐむ程に恐怖を覚えた。

緑間は後になって冷静に考えた時に、180を最近越えたばかりの体育会系の男を2人掛かりとはいえ止める程の力がマネージャーにあったことに密かに戦いた。

「ねえ?黄瀬くん?君が使っているそのユニフォーム。一体誰が洗濯していると思います?」

「え?黒子っちと桃っちでしょ?」

「君は僕達2人だけで何十枚というユニフォームを洗いつつドリンクを用意していると?」

「……へ?あ、ああ言われてみればそうッスね?じゃあ黒子っち達以外にもマネやってる子も居たんだ。あれ?でもやっぱり、」

「タオルやドリンクを渡さないのは可笑しい。ですか?」

「はいッス」

「……ははっ。君はとんだ駄犬なんですねぇ」

く、黒子が声を上げて笑った、……だと!?
そんなどうでもいいのか悪いのか良く分からない事を思いながら、目の前で静かに怒り狂う黒子を見ている事しか出来ない。
何故なら両脇に女子二人が(以下略)

それ以前に黄瀬は知らないのだ。

黒子を、ひいてはマネージャーを怒らせると何が起こるかを。
今この状況を打破出来る部員は居ないのかと目の端で体育館を見回すが、大体の部員は俺と同じ様に、今までマネージャーの仕事をしていたのであろう女子が近くで見張っていて動けずに居た。

ガッテム!!
俺達に明るい明日は来ないのだよぉぉぉ……

全力で打ちひしがれた。
両脇に(以下略)なので内心でだが。
自身のツンデレオカンキャラなんて随分前からほっぽってるモノを回収せずに、今すぐこの絶対零度の体育館から脱兎の如く逃げ出したい。
せめて黄瀬が今の惨状に少しでも気付いていてくれたなら……っ。

その願いは虚しくも散った。


「――黄瀬くんはまだバスケ部に入って日が浅いですもんね。なんて言い訳を僕達は通用させる気はありません。ねえ?桃井さん?」

「もちろんだよ〜テっちゃん!マネージャー業を馬鹿にされて黙ってられるほど大人じゃないもんね?」

黒子の背後から赤司を連れ立った桃井の姿を見咎めた誰もが思った。


黄瀬、終わったな。と。


「ええ。――と、いうことなので赤司くん。黄瀬くんを二週間マネの方に貸し出して下さい」

「ああ分かったよ。好きにするといい」

赤司は事態を把握出来ていないであろう黄瀬を一度だけ見やると、慈愛に満ちた菩薩のような微笑みを向けて口を開いた。

「黄瀬、自分の犯した発言だ。自分の目でキチンと何が正しく誰が間違っていたかを見てこい」

「じゃあ赤司くんの許しも出たので、逝きますよ黄瀬くん」

「大人しく着いてくれば大丈夫だからね〜」

「え、赤司っち?なに言ってるんスか?……って、ちょ、黒子っち?桃っち?な、何するんスか!?」

ズルズルと黒子と桃井に引き摺られて行く黄瀬。
その後ろには他のマネージャー。
全員が全員。とても良い笑顔を浮かべていた。


「ギャァァァァァァァァァ!!そこはヤメテ下さいッスぅぅぅぅぅ!!お嫁にいけな、やめ!ギャァァァァァァァァァ!!」


数分間にも及ぶ黄瀬の悲鳴。
それがピタリと止んでからも数分の間誰も口を開く事が出来ず、出入口のある場所を体育館に居る部員はなんとも言えない顔をして見ていた。

「まあ、…………頑張れよ」

「……死には、しないのだよ」

赤司と緑間だけはチームメイトの無事をほんのちょっとだけ願い。
各々の練習に戻っていった。


二週間の間姿を見せなかった黄瀬が久しぶりに顔を見せた時。
何故か異様にマネージャーに対して敬意を払い、マネージャーを悪く言う自分の取り巻きを蒼い顔でたしなめていたのを見掛けるようになった。
だがそれをバスケ部員の中に不思議だと首を傾げる者は居なかったし、少し窶れた黄瀬を労ろうという者も少なかった。
二週間の間、黄瀬の「き」の字でも出れば途端に貼り付けた笑みを浮かべるマネージャーを見なくていいのだと思えば安心感の方が強かったからだ。

(黄瀬の身に何があったか?……お、俺の口からはとても言えないのだよっ!)
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