誇り抱く桜の如く

どうしようもなく好きなのだ。
誰がなんと言おうと。
誰が反対しようと。
天帝に逆らおうとも。


オレはあの人が好きなのだ。


オレの手はゴツゴツとしていて豆だらけで美しくない。
十才上の姉の手に頭を撫でられる度にいつもそう思う。
姉とは別の腹から生まれたとはいえ、この違いはオレが男で、剣術ばかりを習ってきたからだろうか。

オレは姉のその美しい手が好きだ。
その手に撫でられる度に心臓が掴まれたように伸縮したような錯覚を覚え、苦しくなる程に。


オレは姉を羨んでいた。
美しい姉はいつだってオレの自慢だった。


オレは姉が好きだった。
男として好きだった。


だから気に食わない。
姉がいつも幸せそうに笑いかける、もうひとりの『消された姉』の存在が。

「姉さん。なんで、姉さんはあんな出来損ないを構うの?」

それは稽古場で発した言葉。
にこやかにオレを見ていた姉さんが汗を拭うオレに向かって眉間に皺を寄せる。

「それはわたくしの大切な水仙のことを言っているのですか?だとしたら、わたくしは看過することは出来ませんよ」

「……っ!だって姉さん!アイツのせいで、アイツが居るせいで姉さんまでこの天界で虐げられてるじゃん……!」

菩薩の姪という立場でなければ。
姉さんの母親が菩薩の妹でなければ、姉さんはきっと陰口を言われる程度では済まなかっただろう。
聞くに耐えないその醜い言葉の数々は、美しい姉さんには相応しくはない。
全部全部。あの出来損ないのせいだ。

「それ以上言うと本当に怒りますよ、水玄」

水玄すいげんと呼ばれたオレは、むうっと頬を膨らませる。
嫌いだ。あの書庫に籠って本の虫をやっているしか出来ない厄介者なんて。
消えて居なくなってしまってくれればどれだけ清々するか。
父上とて喜ばれるだろう。
そうしたら姉さんはオレだけを見てくれるのに。

「水玄。良く聞きなさい。水仙はわたくしの大切な大切な妹です。ただ、わたくしの方がほんの少し先に生まれた。たったそれだけで、忌み子としての全ての咎を負わせてしまった……」

何も出来ないのです。
無力なわたくしには、何も。
姉さんは眉を顰める、哀しげに言う。

「姉さん……」

あんな奴に心を砕いて。
イヤだ。イヤだ。イヤだ。
苦しい。悔しい。憎い。
こんな汚くて醜い心は美しい姉さんには見せたくないのに。

あの出来損ないのせいで沈痛な面持ちをする姉さんを、オレは痛む心臓を抑え付けながら見ていることしか出来なかった。


この身に孕んた狂気的な感情。
『ソレ』が加速したのは、父上の一言だったのだろう。


「睡蓮が天帝嫡子殿と婚約することになった」


食事の席のこと。
それが当然のようにオレが生まれた時から出来損ないは部屋でひとりで食事を摂っていて、姉さんはいつも出来損ないの元に行ってしまうから。
だから仕方がなく、本当に仕方がなく、オレも出来損ないと共に食事を摂る日々が続いていた。

しかしその日は違った。
父上の命令で食卓を囲むことになったのだ。

いや、いや。
そんなことは今はどうでも良い。
些末なことだ。

それより父上はなんと言った?
父上は……姉さんは……?
バッと右隣に居る姉さんの方に顔を向ける。
姉さんは手を添えた頬を照れたように染めていた。

「睡蓮。絶対に男児を産むんだぞ。お前達の母親のように禁忌を孕むなど許されはしない」

父上の言葉に「子は授かり物ですが、努力致します」とにこやかに答える姉さん。
しかしオレには、オレだけには分かる。
姉さんは父上の言葉に怒っていた。
けれども父上は「そうか」とだけ言って、オレや出来損ないのことなど気にも留めずにそのまま食事を始めてしまう。
姉さんも何も言わずににこやかに、しかし微かな怒りを身の内に潜ませていた。

オレはというと、頭の中でグルグルと同じ思考が巡り続ける。

子供?姉さんが?
姉さんが孕んで産むの?
オレではない他の、天帝嫡子の手に触れられて、オレではない男の子をその薄い腹に宿すの?

怒りと、明確な殺意。
それはまるで必然だと言わんばかりに出来損ないへと向いた。
当たり前だろう?
オレが姉さんを傷付けるだなんてことするわけがないのだから。
あっていいわけがないのだから。

「お前が、お前が行けばいいんだ!」

気付いたら叫んでいた。
出来損ないの胸ぐらを掴んで、噛みつくように叫んで、今にも殴りかかりそうな心で。
出来損ないは気にも留めていないような、虚空を宿した紫の瞳をオレに向けていた。

「水玄!やめなさい!」

姉さんはいつになく焦ったように声を荒げる。
オレは頭に血が上っていてそんな姉さんにすら苛立って。
父上は出来損ないひとり居なくなったところでどうでも良いのだろう。止めることはしなかった。

ただ、姉さんだけが。
水仙から手を離しなさい!と叫んでいて。
滅多に声を荒らげない姉さんがそれ程までに大切にするコイツが許せなくて。
オレの心は美しい姉さんには似ても似つかない程にどんどん醜くなっていく。

「あの男は、姉上を選んだ。俺のことを選ぶことはない」

「……は、」

はじめて、声を聞いた気がした。
共に食事を摂っていたというのに。
いつも姉さんの方ばかりに気を取られていたせいだろうか?

透き通るような、透明な水に飲まれるような感覚を覚える。
姉さんと同じ、綺麗な声だ。
思わず掴んでいた服から手を離す。
駆け寄る姉さんに、咳をする出来損ない。
見分けがつかなくなって、ぐらりと視界が揺れた。


そのまま気を失ったオレは一季節の間、自室での謹慎処分となった。
曰く、父上が命じたらしい。
何があってそうなったのかは分からないけれども。
オレは部屋の中で舞い散る桜を見ながらぼうっとする。


あの時、この手であの出来損ないの首を絞め上げていれば。
姉さんはつらい思いをしなくて済んだのか──?
悔やんでも、悔やみきれない。


いや。いや。オレの心は喜びに震えている。
姉さんが縋れる存在になれれば良いと思っているのだから。
オレより出来損ないを優先した姉さんでも、オレは心の底から好きだったから。


「睡蓮姉さん……いま、助けてあげるね」


あの忌々しい出来損ないはもう居ない。
老いぼれた天帝が殺されて間もなく死んだと聞いた。
天界では禁忌とされている自殺だったと。
最期まで迷惑をかける女だったなと思わない訳では無いけれども。

逃げるように天界軍で討伐任務を行っていたオレがソレらを知ったのはつい最近。

現天帝。
姉さんの夫たる男は姉さんを邪魔に思っているらしい。
出来損ないにそっくりな、否。当たり前か。
出来損ないが産んだその忌み子と呼ばれる子が居るせいで。

まるでオレと姉さんとの子であるかのような錯覚を受けるほどに似ているのを見た瞬間、身体が震え上がった。
オレには天界中から忌み嫌われているその子が、とても甘美な存在に見えたのだ。

「すき、すきだよ、姉さん」

月を扇ぎ見ながら、うっそりと微笑んだ。
その手には闘神の一族だけが持つことを許された宝剣が一振り。


いとしい姉さん。愚かしい姉さん。
貴女がその忌み子を守ろうとすればするほどに、貴女はこの天界でひとりきりになっていく。

でもオレだけは姉さんの味方だよ。
だからその地獄から助けてあげる。
救ってあげる。


――出来損ないの産んだ忌み子を殺して、俺だけしか見えないくらい姉さんを愛してあげる。
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