Another Story

「大河」

名前を呼んでみた。
何気なく、本当に何気なく。
こんな小さな声ではキッチンに居る彼には届かないだろうに、それでも何だか呼びたくなって。

「呼んだ?」

そうしたら彼は気付いてくれた。
キッチンから顔を出して、きょとりと首を傾げている。
そんな些細なことがなんだか耐え切れなくて、涙がぽろりと頬を伝ったのが分かった。

「ど、どないしたん!?」

慌てて近付いてきた大河は私を抱き締めるとよしよしと頭を撫で始める。

「……しあわせなの」

「え?」

「とても、しあわせなのよ……」

声は掠れているし、泣きながら笑うなんてそんな器用なことが自分に出来ているか分からないけれども。
大河が心配そうに、けれども私の頭を撫でる手はより一層優しくしてくれたから。
ぽろぽろと溢れる涙は留まることを知らないように零れ続けるけれども。
確かに私は幸せだと感じた。
今この瞬間、死んでしまっても良いと。
そう思ってしまえるくらいには。
大河と過ごすこの時間が、何物にも代えがたい時間であると、そう思ったから。
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