継彩―つぐいろ―

「彩葉ちゃーん! 逢いに来ちゃった」

「……継樹殿。毎日毎日困ると言っているのだけれども……」

「好きな子に逢いに来たらいけないの?」

「猫の匂いをさせていたら、族長としての立場が危うくなられますよ……」

「ああ、あの昔話?」

こくん、と頷く愛しい子。
俺はにっこりと笑って投げ出されたその白い手の上に自分の掌を重ねる。
真っ白くて、青白くて、まるで病人みたいだ。
――ああ、こんなところに居るからいけない。

「信じてるのなんてただの耄碌した爺共だけだよ」

「それでも……兄様がなんと言われているのかと考えるだけで恐ろしいです」

「彩都はああ見えて人気者だから大丈夫」

「そんな嘘は……」

「本当なのに」

ふふ、と微笑めば、彩葉ちゃんは馬鹿にされたとでも思ったのかムッと頬を膨らませる。
彩葉ちゃんの兄。俺の幼馴染兼親友殿はその懐の広さから、他の族長からの信頼も厚い。

今現在の族長は若い者達ばかりだ。

『猫を排斥してから神様は誰も愛せなくなった。だから我々の力は代を重ねるごとに弱まっていく。すべては信じられるだけの愛を与えなかった猫が悪い』

そんななんとも自己中心的な解釈の末に猫族は昔から嫌われ者の異名を持ってしまった。
あんなの鼠が悪いに決まっているのに。他のモノ達の嫉妬だろうに。
昔話を信じて『猫族』を排斥しようと考える馬鹿は今の族長にはいないと信じている。

外面の良さで信頼が厚く、先祖返りで力の強い俺を敵に回すと言うことがどういうことか、よぉく考えろ。

『俺を敵に回したいなら好きにすれば良いと思うよ』

昔々、彩都と俺が子供の頃にいずれ族長になるだろう幼馴染達に言ったものだ。
今思えば完全に脅しだったけれども。
いや、今思わなくても、か。

「彩葉ちゃんはさー。俺のこと、嫌い?」

「好きか嫌いかと問われれば……」

「問われれば?」

「……少し、苦手です」

「それ答えになってないじゃーん」

もー、そんな彩葉ちゃんも大好き! と叫ぶ。
可愛い。愛しい。どうしてこんなにも愛しい存在を抱き締めてやれないのだろう?
彩葉ちゃんがちょこんと座るその場所を見る。
紅い格子に囲まれた畳部屋。広さはあれどこんな自由なんて言葉が似合わないこの場所で、彩葉ちゃんは日がな一日過ごし続けている。
どんなに困ったと言っていても逃げられない。
だから俺を真っ直ぐと見つめるのだろう。その蒼い瞳はとても澄んでいて空の色を映したようで魅力的だ。

『猫族』は体が弱い個体が多い。特に族長の家柄なんて顕著でその中でも女は更に弱い。
一族の血を守る、とは聞こえがいいが。猫族の族長の家は例え家族であろうとも子を生した。要は近親相姦だ。

馬鹿げている。
本当に馬鹿げていると思うけれども、彩都のお婆様の代までは本当に繰り広げられていた茶番だ。

それに。と彩葉ちゃんの瞳をよぉく見る。
誰も信じられなくなった神様とやらは、結局『猫』を愛していたらしい。

『他者を見ないように。決して』

そんな馬鹿らしい呪いで先祖返りをした彩葉ちゃんの瞳はあまり外界を映さない。
俺が顔を近付けて、ようやく俺が見えていると言っても良いだろう。

まあ、そんな昔話よりも他種族に倦厭され他の種族とは血を交えなかったが故の体の弱さなんだろうと、くだらない昔話を信じない俺は思うわけで。
しかしそんなくだらないモノに左右されるくらい『猫族』の扱いは底辺だ。
今の族長。彩都がどうにか俺達他の種族の族長と連携してちゃんと他の種族と同じ扱いを受けられるようその立場を確立させたが、それまでは『猫族』に対してのみ無法地帯のようなものだった。

そんな世界から守ろうと彩都は彩葉ちゃんを囲ったのだと言う。
そのことをずっと悔やんでいるが、俺はそのお陰で彩葉ちゃんという愛しい存在に出逢えたし、彩葉ちゃんを独り占め出来ているのだから感謝したいくらいなのだが。
そんなことを彩都に言ったなら首でも絞められ兼ねない。

「彩葉ちゃん」

「……なんですか?」

「俺ねー? 族長じゃん?」

「そうですね」

「だから、お嫁さん貰わなくちゃいけないんだー」

「……っ、そう……ですか……」

「それだけ?」

息を詰めたような彩葉ちゃんには気付かないフリをして。その白い手を握り締める。
彩葉ちゃんは戸惑ったように、けれどもいつもと変わらず視線を少し彷徨わせてから俺を見て、その小さな桃色の唇を動かした。

「アナタは犬の族長。何れそうなるとわかっていました」

「……ふぅん」

なるほど。ふぅん。そういうこと。
彩葉ちゃんは俺がいつかこの部屋に訪れなくなると。
他の女を嫁に迎えて、その女を抱いて子を生して、何れ自分なんかを忘れてしまうのだと。
そうして自分も何れは他の猫との間に子を生す役目を負っていることを自覚しているのだと。
そんなことをずっと考えていたのかと、無駄に回転の速い脳が答えを導き出す。

(はは。……笑えるなぁ)

俺がどれだけ彩葉ちゃんを愛しているのか。どれだけ心臓を破裂させる思いで唯一格子から出ている彩葉ちゃんの白い手を掴んでいるのか。

「俺の気持ち、伝わんない? まだ足りない?」

「継樹殿……?」

微かに怯えの気配を滲ませた彩葉ちゃんは手を引こうとする。
けれどそんなことは許さない。
グッと引くように強く握って格子から腕を引っ張り出す。

「……いっ」

「痛い?ごめんね、彩葉ちゃん。でも彩葉ちゃん分かってる?俺がこの手を離したらもうこの逢瀬は終わりだってこと」

引っ張った腕のその先。細い指と俺の指を絡める。彩葉ちゃんは返さない。けれど抵抗もしない。

「ねえ、彩葉ちゃん。もう一度訊くね?」

――俺のこと嫌い?

本当は彩葉ちゃんの気持ちは知っている。
彩葉ちゃんの分かり難い性格も熟知する程度には、この逢瀬の時間は短くはないのだから。

「……」

無言を貫く彩葉ちゃんの指に口付けて噛みついた。

「け、継樹殿!何を……!」

「何を?彩葉ちゃんが応えないから襲っちゃおうかなぁと思って」

半分本気の言葉に、彩葉ちゃんはびくりと肩を震わせる。
そうして震える声で言葉を発した。

「……継樹殿は、私なんかで良いのですか……」

窺うような言葉。俺はひくりと喉を震わせた。

「彩葉ちゃん『なんか』?」

はァ?と首を傾げる。

「『俺』が見染めた彩葉ちゃんを、例えそれが彩葉ちゃんだろうが貶すのは許さない」

「ご、めんなさい」

「謝って欲しいわけじゃないよ。……ねぇ、彩葉ちゃん?俺さ。本当にきみが好き。彩葉ちゃんのこと本当に愛してる」

それは分かってる?
そう訊けばこくんと頷かれた。
どうやらちゃんと想いは伝わっていたらしい。
それは良かった。けれど、それだけで満足する程度の想いでは、もうないから。

「彩葉ちゃん」

「な、んですか?」

「ここから出て来て」

「……そ、れは!」

「出てこないならこの檻、壊してあげようか?」

「継樹殿……?」

彩葉ちゃんの腕を掴んでいない、空いた方の手で格子を掴む。ミシッと格子が悲鳴を上げた。

「やめてください……!」

彩葉ちゃんが悲鳴のような声を上げた。

ああ、その唇、奪いたいなぁ。どんなに柔らかいのだろう?
着物をはだけさせ、その下にある白い肌を、膨らみを吸って、細い足を無理矢理開かせ奥にある秘所を嬲って、欲望を突き立てて欲を吐き出し、種を付けたなら……。

――彩葉ちゃんは俺のモノになってくれますか?

泣いて、縋ってでも拒絶されるのが怖いから。
そんなことはきっと出来ないけれども。

(彩葉ちゃん次第……ってやつかな)

彩葉ちゃんが許してくれるならば、そんな仄暗い感情を抱いていると知っても許してくれるなら。
俺は一体どうなってしまうだろうか。
彩葉ちゃんはどう思うだろうか。
軽蔑する? 二度と俺を見たくないと逃げる?

そんなの、許さないけれども。

「彩葉ちゃん」

彩葉ちゃんを見つめながら白い手に音が鳴るように口付ける。
怯える蒼い瞳と目が合った。

(あー、綺麗だなぁ)

こんな時なのにどんどん彩葉ちゃんを好きになる。
このまま好きになりすぎて、俺はいつか彩葉ちゃんを殺してしまうのではないだろうか。
それでも良いと思えてしまうのはきっと、俺の想いが歪んでしまっているからだろうなぁ。

「すき、だいすき」

……応えてよ。一生大事にするから。
一生好きで居続けるから。好きなんて足りないくらい、愛してるなんて生温いくらい、きみを愛し続けるから。

――どうか、俺の重い想いに応えてください。

掴んでいた腕を下ろし、指を絡ませたまま格子越しに額を付ける。
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