誇り抱く桜の如く

幼い頃、父上に連れられた先で出逢ったのは、仏頂面をした『天帝嫡子』であった。
わたくしは何れ彼の方に嫁ぐかもしれないと。
父上がそんなことを零しながら歩いた帰り道。
それが何だか嬉しくて。嬉しくて。
わたくしの頭の中は彼の方でいっぱいでし。
けれども同時に笑顔のひとつも出来ない彼が何だか可哀想に思えたのです。
だからわたくしは菩薩の姪という立場を利用して彼の元に通いました。


ある時は白詰草を。
ある時は桜を。
ある時は鬱金香を。


それらを見せる度に彼はつまらなそうな顔をして、摘まんでみては屑籠に投げ捨てる。
それを拾って部屋に飾るわたくしの心は微かに痛んで、

「つまらない方だとは思いませんか?水仙」

いるだなんてことはなく。
いえ、確かに痛みを感じなかったわけではないのですけれども。
それよりも何をしてもニコリとも笑わない彼の方にわたくしは興味を抱いてしまっていたのだ。
それはもう、のめり込むと言っても過言ではないくらいに。

「……姉上。アグレッシブが過ぎるのではありませんか。天帝嫡子に毎日贈り物をするだなんて……。他の者になんて思われるか分かっているのですか?」

「わたくしはあの方の笑った顔が見たいのです。他の者など関係ありません」

確かにちょっと、はしたないと噂はされていますが……。
口をもごもごとさせれば水仙はとても呆れたように眉を顰めていました。
傍目には無表情にしか見えない水仙の表情は、けれどもわたくしには分かるのです。

「『産まれてこの方笑ったことがない』そんな風に言われる方が笑ったら、槍でも降りますよ姉上」

「……あの方は笑顔が似合うと思うのですけれど」

「姉上の悪癖ですね。振り向かない相手にとことん構うの」

「あらやだ。振り向いてくれた相手にも構いますわよ」

水仙のこと大好きですもの!
そう言えば水仙は微かに眦を下げました。

「姉上は構いたがりなんですから」

まあ、と水仙は言葉を発します。

「たまには俺も構ってくださいね」

そう言った可愛い『妹』は、首筋までの金糸の髪をさらりと揺らしました。
紫水晶のような瞳はわたくしと瓜二つ。
それもその筈。わたくし達は双子なのですもの。
双子はこの天界では忌み子として扱われています。
なんでも『本来なら生まれる筈がない』からだそうで。
だから、というわけなのでしょうか?
父上は同い年の妹である水仙にわたくしを『姉上』と呼ばせ、一人称を女ながらに『俺』と言わせるようにしていました。
わたくし達が生まれた七年後に父上の側室から男児が生まれるまで、わたくし達の家には男児が居なかった為かも知れません。
もしかしたら、男児が生まれなければそのまま男として育てる気だったのやも知れませんね。
父上のお考えはいつも分かりませんが。

忌み子――わたくし達ですが――を生んだ母上は周りの心無い言葉で心を病んでしまい、部屋に閉じ籠ってしまっているのでもう随分と長いこと会えてはいません。
会うことすら父上から許可されていないので、そもそも叶わない願いなのですが。

はじまりはあっても、終わりのない世界。
それが『天界』という場所。

正確には悠久とも言える時を過ごすだけで、いつかは地上の者達と同じ『死』が平等に訪れるのですが、幼いわたくし達にとってそれはまだまだずっとずぅっと先の話過ぎて、身近に感じたことはありませんでした。
だから幼いわたくしは母上ともいつか会えると、その御心を回復させることが出来るのだろうと、愚かくもこの時の幼いわたくしは信じていたのです。
母上よりも関心を抱いている存在が居た故なのかも知れませんが。

「あの方はどうしたら笑ってくれるでしょうか」

「……姉上がそこまで考えているのですから、いつかは、きっと」

他者にあまり興味のない水仙はそれだけを言うと、手元の書物の世界に落ちてしまいました。
水仙の言う通り、あの方がわたくしに笑いかけてくださる日は来るのでしょうか?

(来ると良いですね。じっくりゆっくり参りましょうか)

何せわたくし達には悠久の歳月があるのだから。
わたくしは摘んだばかりの水仙の花を手に、紫水晶の瞳を細めました。


◆◇◆


「何故私にその様にくだらんモノを贈り続ける。何か望みでもあるのか?菩薩の姪殿」

「……え、」

その日の彼は機嫌が悪かったのか水仙の花を投げ捨てそんな言葉を吐いた。

「何もない等とは言わせん。天帝嫡子……次代天帝たる私に取り入って位を上げたいか?お前のような遠回しな娘は他にも何人も居る。皆、同じ理由だ」

さあ、お前は違うとは言わせんぞ。

そう言われているような気がして。いえ、きっと言われていて。
わたくしは胸が苦しくなりました。
どうして?どうしてわたくしはこの方に花を贈り続けているのか。

ただ貴方の笑った顔が見たくて。それだけで。
他意はなかったのです。
けれども憐れにも『誰かに媚びられること』に慣れ、不信感と嫌悪感を抱いてしまわれたこの方に、わたくしの行為が嫌がられていることは確かで。
わたくしは手に持った妹と同じ名の花をぎゅっと握り締め、唇を開きました。

「わたくしは、」

わたくしは。
そう。わたくしは、ただ、

「貴方様が好きだから、笑った顔が見たいのです」

「……は?」

「……え?」

発した疑問符は同じ。
彼の方は呆然とした顔で、椅子に座り頬に手を付いていた体勢を微かに崩した。
驚いたようだ。
けれどわたくしも驚きました。

「わたくし、貴方様が好きだったのですね」

「いや、聞かれても……」

困るのだが。
その声音は少しばかり上擦っていて。
その白い頬は少しばかり紅く染まっていて。

ああ、嗚呼。わたくし。

「好きですわ。劉桜りゅうおう様」

「……勝手にしろ。菩薩の姪」

「ふふ。はい。勝手に致します」

笑顔は見られなかったけれどもそれよりも、もっと貴重なお顔が、反応が、見れたから。
わたくし達には永い永い時があるから。


はじまりはわたくしから。
甘やかな薫りを発する睡蓮のように、わたくしの淡い恋心はきっと、はじめてお逢いしたあの時から始まっていたのです。
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