SS 161~

「オレから離れたら、殺しちゃうよ?」

そう言われたのは、何百年前のことだったか。
今ではもう覚えてもいないくらい昔のこと。
魔女である私と、吸血鬼である彼がまだ正常に恋人だった頃の話だ。
今ではもう、お伽噺のようなものなのだから、時というのは無常だな、と思ってしまう。
彼は前述した通り、吸血鬼。しかも処女の血液しか飲めない生粋の吸血鬼。
とはいえ、銀の弾丸に撃たれても死なないし、流れる水も渡れるし、鏡にも平気で映る術を使うが、処女の生き血しか受け付けないという点だけは祖先から受け継いだ業のようだ。
本当に其れしか受け付けないのだから、いっそ憐れとも言える。
しかも恋人は魔女だ。血が不味いことで有名な、魔女だ。
そんなものに捕まってしまったのだから、まったくもって可哀相でしかない。
いやまあ、元を辿れば捕まったのは私の方なのかも知れないけれども。
そんなことは今はもうどうでもいいのだ。

はぁ~、と大きくため息を吐く。
目の前のベッドには情事の後だとすぐ分かるような痕跡。

「いんや、私の部屋なんだが?」

そこじゃない!
恐らく友人の人狼がこの場に居たらそんなツッコミを入れたことであろう。
アイツはツッコミ気質なところがあるからな。なんてことを考えながら、触りたくないなぁ、と考える。
私はこう見えてわりかし潔癖なのだ。
いや、潔癖でなくても誰がナニした場所を積極的に触りたくはないだろうが。

「はぁ~……」

これ見よがしにため息を再度吐く。
このベッドの主は私である。だが今は違う男――要は恋人が占領しているので、退かさなくてはならない。
ああ、嫌だ。面倒くさい。今日は人狼の友人の元にでも泊まろうか……。
そんなことを考えていた時であった。

「んぅ……あ、カノン?ちゃん?おはよ~」

「おそよう。そうしてさようなら」

「え、待って待って?どこ行くの?浮気?」

「……」

色々言いたいことはたくさんあったが、まず私はこの吸血鬼と付き合ってから一度たりとも浮気はしたことがない。
この男と違って、である。
まあ、価値観の違いなのかも知れないが。
こいつにとってはこの程度なら浮気という概念はないのかも知れない。
ちょっと生き血を貰った代わりに気持ちのいいことを教えて性欲も発散しよう、みたいな。
その程度のことなのかも知れない。
そのせいで私とこいつは何十年も致してない……なんてことは無かったのだが。
こいつの性欲どうなっているんだ?マジで。

「カノンちゃん?どしたの?」

ぼうっと考え事をしていたら目の前に上半身だけ裸の恋人が現れた。
うっわ、相変わらず身体と顔だけはいいな。それ以外はもう控えめに言っても死ね、としか言いようがないが。

「カノンちゃーん?おーい」

「……はあ、アンタ。なんで私の部屋に他の女連れ込んでるの?それはやめろって言ったよね?」

「え、あー……ここ、カノンちゃんの部屋だったのかぁ。どうりで捗るわけだ」

何が捗るのかは聞かないが。何を言っても無駄だと分かっているので。
また重いため息を吐き出しそうになって、やめた。
私はもうこいつに振り回さるだけの人生はやめると決めたのだから。

「とにかく、私は今日は帰らん。そこで反省していろ下半身馬鹿蝙蝠」

「……それはいいけどー、ちなみにどこに行くの?」

ああ、ほら。やっぱり。私がどこに行こうと、帰らなかろうと、こいつは困らないのだ。
惨めだなぁ、私は。こんな奴がまだ好きなのだから、本当に惨めだ。

「リヒトのところだ」

人狼の友人の名を出す。こいつも知っている男だ。まったくの見知らぬ相手というわけではないので、浮気に入ることはないだろう。
そう、思った。思った瞬間、私の身体は浮遊していた。

「ダメ」

「え?」

「どこに行ってもいいよ。帰ってきてくれるなら、どこに行ってもいい。でも、アイツのところは、ダメ」

「ちょ、待って。ナニ、どこ触って……!?」

「やっぱり、カノンちゃんの友人だからって見過ごさないで、殺しちゃおうかな……」

「は?」

今、聞き捨てならないことを言われた気が……?

「ねえ、カノンちゃん?」

「な、に」

「僕に今日一日犯され尽くすか、友人の命を取るか。どっちがいーい?」

なんだ、それ。そんな意味不明な選択肢にもなっていないことあるか?

恋人の目に映る私の表情には戸惑いと怯えが滲んでいた。
いつからこうなってしまったのだろうか。
本当に、いつから。
いつ、私はこの男から離れられるのだろう?

項垂れた私に何を思ったのか、恋人は微笑んでから私をベッドに転がした。
その仕草が丁寧なくせに、少し前まで行われていたのであろう情事の臭いが鼻をついて、涙が出てきそうになった。
魔女は成人した後に涙を流すと魔力を失うから、泣けない魔法をその前にかけている。
だから私は、こいつの前で泣いたことはない。
物理的に泣けないのだから、当たり前なのだが。

(それでも、心が痛まないわけではないのだけれどもね?)

きっとこいつは知らないのだ。
私にまだ、恋人を想う心臓があることを。
何も、伝わらないまま時だけが過ぎていくのだから、それはそうか、と。
恋人に与えられる快楽に身を委ねながら思考を飛ばした。


私たちは分かり合うということをやめてしまった。
だからきっと、私たちが真に分かり合う日が来ることはないのだろう。

(分かり合いたいと思っていた心も、すり減ってしまったしな)

瞼を開ければそこには恋人の姿があって。
だから私は瞼を閉じて、すべてを閉じ込めるように眠りについた。
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