SS 161~

それでもあなたは恋だというのですね。
悲し気に伏せられた睫毛は長く、人間離れした容姿の彼女はあまりに美しかった。

「きっと、悪い夢です」

「それでも、私は王子を想おう」

「想い続けてもつらいだけの運命でも、ですか?」

「そうだ」

「……なぜ、そこまでして……、私なんかを想ってくれるのですか」

「なぜ? 人間は恋することに理由が要るのか?」

「……それは」

「なあ、王子」

「……はい」

すべてを見透かすような緑眼はあまりに神聖で、その瞳で見つめられるのが苦手だった。
なんでも分かっていると、そう言われているかのようで。
いや、違う。なんでも言いたくなってしまうようで、すべてを告げてしまいたくなって、嫌だったのだ。

「王子は、わたしのことを嫌っていてもいい」

「え……」

「いや、嫌っていることこそが正解なのだろう」

「何を、言って……」

「王子。わたしは人魚だ。人間の世界のことも、人間の政も、何も分からない」

「それは、」

当たり前のことではないだろうか。
人魚である彼女が、陸に上がってそんなに時が経っていない彼女がすべてを理解していたら怖いというもの。
だから、彼女が何を言いたいのかまったく理解が出来なかったのだ。
彼女はその人間離れしたあまりに整った美しい顔を少しだけ傾け言った。

「王子。わたしには、あまり時間が残されていない」

わたしに残されている時間は、恐らく今夜までだろう。
満月がもっとも高く在る、あと少しの時間。

「陸に上がる時、そういう契約をしている」

「人魚に、戻るのですか……」

「本当に、そう思うか?」

「では、何に……」

「知っているか、王子。人間に恋した人魚の顛末を」

「確か、泡となって消えると」

「ああ、だがわたしは灰になる。海に還ることもできないだろう」

「なっ、そこまでして、どうして……! 私にそこまでの価値はないでしょう!?」

「王子と、会話をしてみたかった」

「そ、れだけの理由で?」

「ああ、逆に言えばそれ以外の理由はない」

「……あなたは、馬鹿だ」

「そうか。でも、わたしは後悔していない」

晴れやかな笑顔を見せる彼女の表情には憂いの影などなくて。
ただ一心に思われているのだと分かる。
その相手が私だということに、鼓動が早まる。
永遠にこの時が止めればいいのに。
けれど同時に過った思考は、目の前に居る人魚の寿命はあと少しということ。

「どうにも、ならないのですか?」

「ならない」

「いやにハッキリと言いますね」

「言う。何故ならそれがわたしの運命だからだ」

「……本当に、馬鹿ですね」

「それで構わないと言った」

「馬鹿なのは、私もですよ」

「? 意味が分からない。王子は馬鹿なのか」

「ええ、大馬鹿モノですよ」

「そうか。なら、似たモノ同士というやつだな」

にこりと微笑む人魚は、それだけを言うとすとんと落ちるように消え去った。
灰になったのだ。呆気なく。なんの情緒もなく。心の準備もなく。別れの言葉もなく。本当に、一瞬で。
私はその灰をかき集めるように抱き締める。
涙は出なかった。泣けるわけがなかった。
きっと彼女は気付いていた。
私が彼女が求める『本物の王子』ではないことに。
王子の命で身代わりを演じた、消された存在。王子の双子の弟であると。
きっと聡明な彼女は気付いていた。
でも、何も言わなかった。
それが彼女の優しさなのだろう。

「きみも、本当に馬鹿だなぁ……」

兄上に恋しておきながら、死ぬ時まで弟の腕の中だなんて。
でも、優しい彼女のことだからきっと許してくれるだろう。
もしかしたら許してくれないかも知れないけれども、そうしたらこれから謝りに行こうじゃないか。

「似たモノ同士、一緒に居たらそれはそれで幸せだと思わない?」

答えは当然のようにない。
彼女は灰になって消えてしまったのだから。
だから、ねえ。

「海に、還してあげるね」

兄上にも、城のモノにも、絶対に触れさせない。
二人で、共に。
彼女の望んだことではなくても。
これは俺のエゴだから。
だから、天国に逝けたならそこで謝るよ。


灰になった人魚と消された王子は、二人静かに海の中で揺蕩い続ける。


「お前は馬鹿だ」

「馬鹿だと言っただろう?」

「む。だが、着いて来るとは聞いていない」

「そうだろうね。でも、俺はもう我慢しないからね?」

「我慢? 何かしていたのか?」

「そりゃあ、もう。いっぱいね」

「そうか。それは大変だな」

「他人事だなぁ」

「名前を聞いてもいいか? お前というのは違う。王子でもないのだろう? なら、名前を聞きたい」

「じゃあ、対価としてきみの名前も聞きたいな。ずっときみって言っていたしね」

「確かにそうだったな。構わない」

人魚が形良い唇を動かしたあと、俺はようやく兄上の名ではなく、俺の名前を名乗った。
二人でしばらく呼び合う姿はなんだかおかしくて二人して笑ってしまった。
きっとこれが、俺たちにとってのハッピーエンド。
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