『鬼灯堂』

母を突然失った幼子をまるで慰めるかのように降りしきる雨。
幼子は雨に打たれながら何を思うたか。
ただ分かるのは、その幼子のことを暖めてくれる母が居ない。
――それだけが今ある事実。



***



「なあ、狐」

「なんぞ、小僧」

「……いや、やっぱいいわ」

「優柔不断な男は嫌われるぞえ」

優美に微笑む狐は煙管を手に持ち、ふぅっと紫煙を燻らせる。

「……狐、俺は後悔してたんだ」

「何を唐突に」

「ずっと、後悔してた」

首を傾げる狐を置き去りに、俺は話す。
これは千年前。まだ狐と親子だった時の、後悔の話。

「狐の姿を見破ったから、狐はあの屋敷から姿を消したんだろう?」

「それは……」

目をぱちくりとさせる狐に、やっぱり、と苦笑いを浮かべた。
父で在った人はきっと最期まで知らなかっただろう。
俺が原因で二人の仲を引き裂いてしまったのだと。
好色家ではなかった。女好きなんて以ての外だった。母以外見えていなかった父がいつからか、他の女の元に通うようになっていた。
現代では浮気だ不倫だとかなり叩かれるそれも、あの時代であればそうではない。
むしろ愛妻家を通り越して少し怖かった父上の方が稀であったのだろう。

「そのきっかけを、ずっと考えてた」

「……何を言い出すかと思えば。お主は変わらず、優しい子よ」

「狐、俺は……!」

「わらわが姿を消したのは、自然で生きるものの摂理であっただけのこと」

小僧のせいではない。

いやに狐が優しく言うものだから、俺は胸が苦しくて。グッと手のひらで心臓の辺りを鷲掴むようにしながら、言葉を吐き出す。

「なんで、そんなに優しいかなぁ……狐は、ずっといつもそうだ」

この優しい狐は、母上は、俺が生まれ変わる度に傍に居てくれた。守ってくれた。
人間と狐のハーフで在った俺には常に嫌なものがまとわりついていた。其れは俺をいつも殺そうとした。
その度に、狐が守ってくれていた。
何度も、何度生まれ変わっても。同じだった。

「……父上のこと、嫌いになったわけじゃないんだよな」

「……そうさのぅ……嫌いに、なれたなら良かったのだがの」

憎めれば良かったのに。嫌えれば良かったのに。

「この千年、わらわの中から保名が消えたことはなかった」

「……そっ、かぁ」

そうか。狐はずっと父上のことを想っていたのか。
それはこの千年ではじめて聞いた言葉だ。
ようやく……聞き出せた言葉だ。

「狐、俺は……」

「……っう、く」

「狐!どうした!?」

狐が突然胸をおさえて苦しみ出した。

「狐!おい!狐!?」

「は、ぁ……大きな声を、出すでない……小僧……」

「どうして……そんな、」

「……わらわは、」

狐は何かを言おうとして、でも、やめた。
何も言う気がないことを悟った俺は、それでも納得が出来なかった。
どうして突然苦しみ出したのか。
どうしてそんなにも切ない顔をしているのか。
俺には分からない。きっと英智にも分からない。
もしかしたら父上なら知っていたかも知れないけれども、狐の何も言うなという瞳が俺を刺す。

「のう、小僧」

「な、なんだよ……」

「想いとは、これほどに重いモノなのだなぁ」

「……狐?」

「小僧……否、旭よ」

何度も生まれ変わる人生の中で狐は決して俺の名を呼ばなかった。
けれども俺は今、狐に名前を呼ばれた。
それはきっと、意味あることなのだろう。

「……狐?」

問いかけるように聞けば、狐は困ったように微笑む。
その柔らかな表情は千年前となんら変わらない。
変わらないのに、どうしてだろう?
――嫌な予感がする。

「終いじゃ」

「な、にが?」

ああ、きっとこれは聞いてはいけない。
なのに聞き返してしまった。
狐は柔らかな微笑みのまま、言った。

「わらわの、終いじゃ」
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