まほやく

 アタシと同じ魔法を使う者であり、中央の国の王子様でもあるアーサー・グランヴェル。

「北の魔女殿」
「なぁに? そんな何人も居るような言葉で振り向いたら凄いわよね。まあ、アタシが可愛いアーサーの声を間違えるわけがないのだけれども」
「すみません。以前、名前を呼んだら機嫌が悪くなったように感じましたので……」
「律儀に守っているってわけ? ふふ、相変わらず本当に可愛い子」
「私はもう大人です」
「あなた、アタシと幾つ離れていると思っているのよ。こちとら年増よ」
「あなたはいつでも美しいです」

 アーサーの褒め言葉はいつになっても嬉しい。
 アタシは年甲斐もなく、何百歳、いえ、千年は生きた年が違うこの男に恋をしている。
 それも今まで生きてきた中で出逢った存在の中で、一番愛しいと思う程には。
 アーサーに名前を呼ばれた時に不機嫌そうに見えたのは、アタシが恥ずかしがって顔を顰めたから。
 本当にどうしようもないが、この男に首ったけというやつなのだろう。

「そういえば北の魔女殿。オズ様が早く来るようにと仰っていましたが」
「オズが? ……ああ、あのことかしらね」
「何かあったのですか」
「大したことじゃないのよ。ただ、オズにちょっとしたお願いをしただけ」

 最近、アタシの周辺に変な魔力を感じることがある。変な、と言う理由。それはアタシが眠っている時にしか感じないのだ。
 だからオズにお願いしたのだ。アタシの眠っている時に感じる魔力の元を探して欲しい、と。
 珍しくオズが頷くものだから、驚いたのを良く覚えている。
 正直、首は横に振られるものだとばかり思っていたから。
 そういうわけで今日、オズの居る魔法舎に来たというわけである。

「オズ様じゃなくては、ダメなのですか?」
「アタシ、これでも魔力でいうなら強いのよ?」
「それは存じていますが……」
「そのアタシに向けて魔法を放つだなんて厄介なヤツに決まっているじゃない」
「……私では、ダメですか」
「は?」

 再三の申し出に素っ頓狂な声が出た。
 ダメも嫌も何も、お願いしたいに決まっている。
 でもなぁ、アーサーに何かあったらオズぶち切れるだろうなぁ。

「ダメよ、危ないから」
「私はもう、大人です」
「アタシから見たらまだまだ子供よ」
「……っ」
「アーサー?」
「……あなたは、私のことを何も知らないのですね」
「何言って、」

 トン、と肩に触れられたかと思ったらそのまま引き寄せられた。

「私は、あなたをお慕いしております」
「は、」
「あなたにとって私はまだ子供でも、私にとってはもうずっと、あなたはそういった対象でした」
「ちょっと、落ち着こうアーサー。とりあえず離れて、」
「嫌です」
「頑固なところはオズ譲りだな、本当に!?」
「オズ様と言えど、今は他の方の名前を出さないでください」

 アーサーには珍しく強い口調でアタシに命令する。
 ゾクゾクと背筋をかけ上がっていく何かがあった。
 あの弱かったアーサーが、オズの後ろに隠れていたアーサーが。男の顔をしている。
 それをさせているのがアタシというのが、女冥利に尽きるというか。掘れた腫れたで先に惚れた方が負けというのか。
 アーサーの胸に押し付けられた、もとい、抱き締められている中。耳に聞こえてくるあまりに早い心音にこちらまでドキドキする。

「私が如何に本気か、分かって頂けましたか?」
「あ、はい……」

 こんな子供にときめくなんて、何かの犯罪にならないのかしら?
 それ以前に、彼は中央の国の王子で、オズの弟子で、うっわ。手なんか出したらオズに殺される。
 うぅん、と唸っていえばアーサーがぎゅうっと更にアタシを抱き締める。
 ほのかに甘い香りがした。
 ……アレ? この香り、何処かで?
 そんな思考を消すかのようにアーサーの抱擁は痛く苦しくなっていく。

「ちょ、アーサー……っ」
「もう少しだけ、このまま」

 そう言ったアーサーの顔は見えなかったけれども、アタシはドキドキと高鳴る胸の苦しみで死んでしまいそうだった。
 思えば、ロクな恋愛してこなかったのよねぇ。
 こんないい想いを少しでもさせてくれるなら、ほんの少しだけ、あと少しだけ。こうして居たい。
 アーサーの胸の中に抱かれながら、そんなことを考えていた。

 ――彼が何かを睨み付けているとも知らずに。

***

 お慕いしている方が居ました。
 その方は北の魔女で、オズ様とは旧知の仲で、私のことをいたく可愛がってくれた。
 北の国に捨てられ、オズ様に育てて頂く中で時折現れる彼女のことを、母親代わりに見ていたような気がする。
 その感情が母親代わりからひとりの女性に対しての恋へと変わったのはいつからだったか。
 いつから私は、彼女に向けて報われない想いを飛ばすようになっていたのか。
 彼女が私の元に現れた理由を、私は知っていた。
 夜な夜な彼女の元に訪れていた思念の元は私なのだから。
 想いが行き過ぎて呪いになるように、彼女の元に無意識に飛ばしていた思念は形となってしまった。
 きっと彼女はオズ様を頼るだろう。それは嫌だ。私に頼って欲しい。そんな思いから待ち受けて居たのだが。
 彼女を抱き締めている私を恨めしそうに見つめるのは、アーサー・グランヴェルというひとりの男の浅ましい執念。

「お前にはもう、用はないんだ」

 恨めしそうに、悲しそうに、愛おしいそうに、彼女を一心に見つめるその姿には見覚えがあって少しだけ絆されかけたけれども。

「すまない」

 そう言って、彼女に気取られないよう静かに手をかざし私の執念を掻き消した。
 声にならない悲痛な声が私の耳にだけ届いたのを確かに感じた。
 長いようで短い抱擁を解くと彼女は不思議そうな顔で言う。

「アーサー? 何か言った?」
「いいえ、何も」

 夕焼けのような髪は風に靡き、青空のような瞳は私を見つめる。艶やかな唇は甘美な声を紡ぎ。白魚のような手が、私の頬に触れる。

「泣きそうね、ふふ、おかしなアーサー」

 優しく頬を撫でる彼女の小さな手のひらに私は己の手のひらを重ねた。
 ぴくり、と彼女の肩が驚いたように跳ねる。

「魔女殿」
「何かしら?」
「魔法舎に行くんでしたよね。私も一緒に行ってもいいですか?」
「イイも何も、アタシの方が訪問者なのだけれどもねぇ」

 可笑しそうに笑う彼女は、先程までの抱擁をもう忘れているようだ。
 もう一度抱き締めてやろうかという気にもなったが、やめた。
 彼女が逃げてしまう気がしたから。
 解いた抱擁の感触を思い出すように手のひらを握り、彼女の温みを思い出す。
 あたたかい、いつまでも傍に居て欲しい。
 ずっと、ずっと、私の傍に。
 こんなにも望むとは思ってもいなかったけれども。
 ああ、そうだな。でも。

「私はあなたをお慕いしています。だからあなたにも私のことを男として見て貰いたいです」
「へ!?」

 まずはそこから。あなたの想いがどれ程のものでも、私と同じ想いになってもらわなくては。
 顔を引き攣らせている魔女殿に私はつとめて優しく見えるように微笑んだ。
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