SS 101~120

うぇっ ひぐっ うわぁぁぁぁぁぁん


耳慣れた大音響の泣き声に今日も私は無視をする。
「行かなくていいんスか?」と部下からめちゃくちゃ見られているが気にしない。
「行ってあげなさい」と優しく笑う上司も気にしない。
これは何より大切な躾だ。
ここで甘やかす訳にはいかない。


びぇぇぇぇぇぇん


……いかない。絶対にだ。


ひぐっ うぐっ


大体今まで甘やかし過ぎたんだ。
今こそ強固なる意思を持って無視を貫かねば。


ユナァァァァァァ


……意思を……


「……行ってあげなさい」

「ですがっ!」

「いや、もう君仕事にならないでしょ?普段の有能振りが遺憾無く発揮されてないもの」


誤字だらけの書類多数に始まり、君が大得意な筈の紅茶に塩が入ってるときた。


「これで冷静に仕事が出来ていると君は言うのかな?」

「それは申し訳ございませんでした。紅茶はすぐに入れ直します。書類は今からやり直します」

「いや、新しい紅茶もやり直しも良いよ」

「いえ、そんなわけには…」

「ううん。もう行ってあげなさい。可哀想でしょうがないから。早く、行ってあげなさい」

「…………はい」


石のように固い意思は、笑顔で謎の圧力を醸し出す上司によって今日も今日とて破壊された。
この間も泣き止まない声の主。
泣き声というか最早叫び声だ。
私はやはり行かない方が良いのではないかと思ったが、笑みが深まった上司に殺される前に「失礼します!」と挨拶をして声の主の元へ急いだ。










「……ッず、っう、遅い!」

「申し訳ございません」


顔中からありとあらゆる水分を垂れ流している幼児といっても差し支えないほど幼い少年の前に跪いて、謝罪の言葉を口にする。


「泣いてばかりだからっ……も、こない…おもっ……うぅ」


今さら嗚咽を殺して、抱き付いてきた少年を優しく抱き締める。


「私は呼ばれたらいつでもあなた様の元へ馳せ参じますよ。だからそろそろ泣き止んでくださいな」


艶やかで指通りの良い黒髪を手のひらで撫でながらそう言えば、少年は私の服をぎゅっと指が白くなるほど掴み、泣きすぎか、叫びすぎか、掠れてしまっている声で言葉を発する。


「っう、ッく……ほんとう……ッだな?」

「はい。本当ですよ。私はあなた様にだけは嘘が吐けません。それはあなた様が一番知っていらっしゃるでしょう?」

「……ぅん」

「でしたらどうか涙を止めて。ユナに笑顔を見せてくださいませ」

「……もうちょっと、待て」


そう言うと私の然してない胸に顔を埋めた。時折ひくりひくりと肩が跳ね上がるからまだまだ落ち着くには時間が掛かりそうだ。


「はい。お待ちしております」


いくらでもお待ちしますから。
どうか涙を止めて、笑顔を見せて?


――我らが偉大で崇高なる、小さな魔王さま。







「そもそもどうしてすぐに来てくれなかったんだ?」

「……それはですね」

「おれには嘘はつかないんだろう?」

「ええ。はい。当然です」

「じゃあ、どうして」

「……魔王さまの教育係として、魔王さまが私が居なくても泣かない強い子に育って欲しくてですね」

「お、おれはユナにきょーいくをされなくても強い子だぞ!」


目蓋も目も真っ赤に腫らしておきながら何を言っているんですか。
なんて言おうものならまたこの小さな魔王さまは泣き叫ぶのだろう。


(それは避けて通りたいですねぇ)


ただでさえこんな幼子が、さみしい、さみしい、と泣いている姿は堪えるのだから。
私が居なければ寂しくて泣いてしまうような、幼く、真っ白な幼子。
何も知らない小さな子供だというのに、魔力が高かった為に魔王だなんてモノに祭り上げられてしまった可哀想な子。
せめて魔物の先輩としてこの子を守って、育ててやらねば。
そんな思いから教育係を引き受けたのだが、思ったより過保護であったらしい周りと、何より自分のせいで、この子は幼子としての武器を行使してくるようになってしまった。
だがしかし誰が責められよう。
幼くして親元から離され、見知らぬ魔物に「魔王」と崇められ、強くあらねばならぬと強いられたこの子を。


(……もう少しくらい、いいですよね?)


この子が子供で居られる時間は驚くほど少ないのだ。
今だけでも子供らしさを容認したっていいじゃないか。


「ユナ?どうしたんだ?」

「ああ、少し考え事をしていました」


ぼうっとしていた私を気にしてか魔王さまが声を掛けてきた。
それに答えれば、魔王さまはぷくっと頬を膨らませる。


「おれといるのに考えごとなんてするなっ」


あまりにも可愛らしい嫉妬に、私の頬は自然と緩む。


「それは申し訳ございません」

「わかれば、いい」


私の言葉に満足だと言わんばかりの顔をする魔王さま。


(ウチの魔王さまが可愛すぎるっ!!)


胸の前で握り拳を作りながら内心で叫んだ言葉こそが私が魔王さまに厳しく出来ない理由なのだと私は気付かない振りをした。



そんな私を見つめる魔王さまの子供らしからぬ、獲物を前にした時のような狡猾さを含んだ眼差しなんて気付かずに。
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