妖の王と巫女姫

「久しいの、夫君よ」

「……鏡花。なぜここに」

「なに、夫君に会いたくなってな」

「なんの冗談だ」

「はっはっは。夫君は相変わらず生真面目よなぁ」

豪快に笑う鏡花と呼んだのは妖であり、我が妻でもある。
この妻は相も変わらず神出鬼没だ。
普段ならば力の強い妖同士は共には居ない。それが夫婦であったとしてもだ。
同じ場所に長く留まれば、その土地は妖の気で満ちてしまう。
人間と平和に暮らす為に、何代も前の妖の王と人の王が決めた破ってはならない決め事だ。
故に、夫婦であっても情は薄く、次代の子を生せば互いに違う土地で暮らすのが妖の常識であった。
もっとも、それにならわぬ例外はあれど。
そんなことを考えていたら、鏡花は眦に朱が刺されている金のまなこを愉快そうに細めた。

「ところで夫君。巫女姫はどこだい?」

「……巫女姫に何をする気だ」

「そう殺気を出すなんて、まだまだ夫君は若いねぇ。恋でもしたのかい?――妖の王ともあろうものが」

クスクスと大輪の曼珠沙華が描かれた着物の袖口で口元を隠して笑う鏡花は、まるで試すようにそんな言葉を吐く。

「恋、だと」

「違うのかい?」

「……」

違うと、何故言い切れないのだろう。
私は恋など無縁の存在だというのに。
この爪も、牙も、人の柔い肌など簡単に切り裂いてしまえるというのに。

「まあまあ、そんなに深く考えなさんな、夫君」

「はあ、お前がそれを言うのか」

呆れたように息を吐いたものの、どうしても警戒の色を隠せない。
鏡花は好奇心旺盛だ。
それは時折子供のように可愛らしいものから、あまりに残酷なものまで、多種多様なものに関心を抱く。
それが国の要たる『巫女姫』に向けられるその感情は、好奇心は、どのようなものなのかと。
そう問う前に鏡花が口を開いた。

「夫君。わたしはなぁ、巫女姫という存在に興味があってここに来たわけではない。ちょっとばかし昔に交わした約束を果たしにここに来たのだ」

「……約束?」

「ああ、そうさ。というわけで巫女姫はどこだい?」

「……私がそんな嘘で、騙されると思っているのか?」

「嫌だねぇ。五百年は付き合いのあるわたしの言うことより、巫女姫の安全を考えるのかい?」

「そういうわけでは……」

「……はあ、夫君は些か、臆病者になったみたいだね」

「私が、臆病者だと」

「そうさ。自分が守りきれると同席すれば良いだけの話なのに、わたしのことも信じたい、巫女姫も守りたい。それは夫君には難しいことなのかい?」

まったく、と言った顔をする鏡花はやれやれと肩を竦める。

「……お前は、変わらず私の背を押すのが上手いな」

「もう五百云年の付き合いだからね。当然だよ」

にんまり笑った鏡花は、空のような青い瞳を和らげた。
あたたかな瞳だ。これは嘘でも好奇心でもない。それを私は知っている。

「さ、あまりこの土地に長居は出来ない。巫女姫を呼んでおくれ」

「ああ、分かった」
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