霊感少女とびびり先輩
「せんぱーい! お弁当忘れてますよ! 愛妻弁当を忘れるとは何事ですかぁ」
「ああ、悪い悪い」
そんな声が響く神山の家の玄関。
制服を着ている神山は晴れて三年生に。俺は無事に第一志望の大学に入れた時のこと。
俺は神山の家で同棲することにした。
同棲と言っても、月の三分の一は実家に帰っているので半同棲状態というやつだろうか。
親が放任主義で助かった。それでも最初は渋られたけれども。
「神山」
「はぁい、なんですかー?」
「なんつーか、ええと」
「なんなんですかー。まったく」
腰に手を宛てて此方を見やる神山に何も伝えられないでいると、神山は呆れたような溜め息を吐き出して。
「馬鹿ですねぇ、先輩は」
「は、何が?」
「そんなに怖がらなくても良いのに」
まさか気付かれていたと言うのだろうか。
俺があの日以来、好きだの何だのを言えていないことに。
その理由が、神山が仕方なくて俺の傍に居てくれているのではないかという、そんな臆病な心がそうさせているということに。
「大丈ですよ、先輩。私が着いてますから」
「神山……」
だから、と神山は笑顔で言う。
「そんな張り付いた悪霊如きで怯えないでくださいよー」
「……え、」
「え?」
「あく、りょう?」
「はい。先輩の背中に何体もの悪霊が引っ付いてますよー。あれ? その件で怖がっていたんじゃないんですか?」
「……俺の憑かれやすさ体質……治ったんじゃ……」
「誰がそんな生易しいこと言ってくれたんです?」
「……」
「あれぇ、先輩? どうしました?」
俺の決意とか。びびりが治ったとか。そんなことを思っていたが、今は全部どうでも良い。
「良いから祓え!」
「あはっ。久し振りにそんな反応見れて、若葉感激でーす」
「一生、疲れやすさMAX状態か……」
「まあ、私が一生一緒に居るので、大丈夫ですよ」
にこにこ笑う神山は心底楽しそうに笑いながら札を出す。その人型の札を見るのも何だか懐かしい気分だ、
「せーんぱい」
「あ? なんだよ」
「今日も元気にお憑かれさまです!」
「今日も!? あとつかれるって字がなんか違った気がした!」
「気の所為でーす」
鈴のような笑い声。耳障りの良いそれを聞きながら、俺はきっと一生勝てないんだなぁ、なんて。そんなことを思いながら神山が「パパっと祓っちゃいますねぇ」なんて言っている言葉を尻目にそう思った。
時は巡る。ころころと。からからと。
留まるということを知らない時は、ただひたすらに秒針を動かし続ける。
「お母さん、行ってきまーす」
ひとりの少女が境内を箒で掃いている巫女装束の女に声を掛ける。
「気を付けてくださいねー」
女はにこやかに手をひらひらと振った。
「あ、お父さん」
「俺はついでか」
「あはは、ごめんごめん」
「はぁ、気を付けてな。まあ、お前は大丈夫だろうけど」
「ふふ。当然。じゃあ、行ってきまーす」
「行ってらっしゃい。気を付けてな」
鳥居の近くにある桜の精に捕まっていたお父さんに手を振って、わたしは入学祝に買って貰った時計を見て「やばっ」と声を発する。
今日は日直だったことを思い出して、早足に駆けて竹林の壁を越えて行けば、とぼとぼと歩く男性を見掛けた。
なんだ、あの人?
その背中に覆い被さる沢山の黒い靄にわたしは思わず顔を顰めたのちに、仕方がないとばかりに溜め息を吐いてその男性に近付いて行った。
「お兄さん」
「っ、な、なんだ……」
「背中向けて」
「は? なんで」
「死にたくなければ背中を向けてください」
「その発言がもはや死刑宣告!」
「ええい、面倒な! ていっ!」
わたしは持っていたお母さん直伝のお札を男性の額にくっ付けた。耳触りな悲鳴が聞こえるのを完全に無視する。
男性はきょとんとした顔をした後に、肩をぐるぐると回した。
「なんか、軽い?」
「そりゃあ、あんだけ背負ってたら重かったでしょうね」
「何を?」
「世の中には知らなくても良いことが沢山あるんですよ」
それじゃあわたしは日直なんで、これで。
そう伝えて背を向ければ、グイッと腕を引かれた。
「命の恩人! アンタ、名前は?」
「確かに命は救いましたが、名乗る名前なんて持ち合わせてませんよ」
「そんなこと言わずに! 今までオレ、信じられないくらいの不幸体質で何度死にかけたか分からないくらいなんだ」
「はぁ、それはそれは。大変でしたね」
「だけどアンタはそれを一瞬でなんとかしちまった。だから命の恩人なんだよ。何かお礼をさせてくれ……!」
「お礼……」
ふと、駅前のパフェが目に浮かんだ。
仕方がない。名前くらいなら教えてあげようか。
「神山紅羽。そこの神山神社の娘ですよ」
「あの有名な!?」
「有名なんですか」
「俺的には有名。……あ、オレも名乗ってなかったな」
太陽のように笑う男性は何処かお父さんに似ていて。
ああ、なんだか嫌な予感がするなぁ、なんて思いながら彼の言葉を待った。
「広也。設楽広也だ。よろしくな!」
「よろしくしたくないですね」
自分で不幸体質と名乗る男性と誰が仲良くしたいと思うか。
私は距離を取りながら、戦略的撤退をした。要は逃げた。
「あ、待て!」
追い掛けてくる男性を無視して、わたしは走る。
今日の夕ご飯は何かな、と考えながら。わりと余裕である。
――その出逢いは、吉と出るか凶と出るか。
『人間とは、不思議なものよの』
はっはっはと笑い声を上げ、我は嫁御殿の作った朝餉を食べ終えて卓に頬杖をついた。
季節は廻り巡って、そうして進み続ける。
それはとても楽しいことよな。
そこに例えば苦しいことが待ち受けていようとも。
『お主らがどう生き、どう死ぬのか。我は見届けさせてもらうぞ』
「ああ、悪い悪い」
そんな声が響く神山の家の玄関。
制服を着ている神山は晴れて三年生に。俺は無事に第一志望の大学に入れた時のこと。
俺は神山の家で同棲することにした。
同棲と言っても、月の三分の一は実家に帰っているので半同棲状態というやつだろうか。
親が放任主義で助かった。それでも最初は渋られたけれども。
「神山」
「はぁい、なんですかー?」
「なんつーか、ええと」
「なんなんですかー。まったく」
腰に手を宛てて此方を見やる神山に何も伝えられないでいると、神山は呆れたような溜め息を吐き出して。
「馬鹿ですねぇ、先輩は」
「は、何が?」
「そんなに怖がらなくても良いのに」
まさか気付かれていたと言うのだろうか。
俺があの日以来、好きだの何だのを言えていないことに。
その理由が、神山が仕方なくて俺の傍に居てくれているのではないかという、そんな臆病な心がそうさせているということに。
「大丈ですよ、先輩。私が着いてますから」
「神山……」
だから、と神山は笑顔で言う。
「そんな張り付いた悪霊如きで怯えないでくださいよー」
「……え、」
「え?」
「あく、りょう?」
「はい。先輩の背中に何体もの悪霊が引っ付いてますよー。あれ? その件で怖がっていたんじゃないんですか?」
「……俺の憑かれやすさ体質……治ったんじゃ……」
「誰がそんな生易しいこと言ってくれたんです?」
「……」
「あれぇ、先輩? どうしました?」
俺の決意とか。びびりが治ったとか。そんなことを思っていたが、今は全部どうでも良い。
「良いから祓え!」
「あはっ。久し振りにそんな反応見れて、若葉感激でーす」
「一生、疲れやすさMAX状態か……」
「まあ、私が一生一緒に居るので、大丈夫ですよ」
にこにこ笑う神山は心底楽しそうに笑いながら札を出す。その人型の札を見るのも何だか懐かしい気分だ、
「せーんぱい」
「あ? なんだよ」
「今日も元気にお憑かれさまです!」
「今日も!? あとつかれるって字がなんか違った気がした!」
「気の所為でーす」
鈴のような笑い声。耳障りの良いそれを聞きながら、俺はきっと一生勝てないんだなぁ、なんて。そんなことを思いながら神山が「パパっと祓っちゃいますねぇ」なんて言っている言葉を尻目にそう思った。
時は巡る。ころころと。からからと。
留まるということを知らない時は、ただひたすらに秒針を動かし続ける。
「お母さん、行ってきまーす」
ひとりの少女が境内を箒で掃いている巫女装束の女に声を掛ける。
「気を付けてくださいねー」
女はにこやかに手をひらひらと振った。
「あ、お父さん」
「俺はついでか」
「あはは、ごめんごめん」
「はぁ、気を付けてな。まあ、お前は大丈夫だろうけど」
「ふふ。当然。じゃあ、行ってきまーす」
「行ってらっしゃい。気を付けてな」
鳥居の近くにある桜の精に捕まっていたお父さんに手を振って、わたしは入学祝に買って貰った時計を見て「やばっ」と声を発する。
今日は日直だったことを思い出して、早足に駆けて竹林の壁を越えて行けば、とぼとぼと歩く男性を見掛けた。
なんだ、あの人?
その背中に覆い被さる沢山の黒い靄にわたしは思わず顔を顰めたのちに、仕方がないとばかりに溜め息を吐いてその男性に近付いて行った。
「お兄さん」
「っ、な、なんだ……」
「背中向けて」
「は? なんで」
「死にたくなければ背中を向けてください」
「その発言がもはや死刑宣告!」
「ええい、面倒な! ていっ!」
わたしは持っていたお母さん直伝のお札を男性の額にくっ付けた。耳触りな悲鳴が聞こえるのを完全に無視する。
男性はきょとんとした顔をした後に、肩をぐるぐると回した。
「なんか、軽い?」
「そりゃあ、あんだけ背負ってたら重かったでしょうね」
「何を?」
「世の中には知らなくても良いことが沢山あるんですよ」
それじゃあわたしは日直なんで、これで。
そう伝えて背を向ければ、グイッと腕を引かれた。
「命の恩人! アンタ、名前は?」
「確かに命は救いましたが、名乗る名前なんて持ち合わせてませんよ」
「そんなこと言わずに! 今までオレ、信じられないくらいの不幸体質で何度死にかけたか分からないくらいなんだ」
「はぁ、それはそれは。大変でしたね」
「だけどアンタはそれを一瞬でなんとかしちまった。だから命の恩人なんだよ。何かお礼をさせてくれ……!」
「お礼……」
ふと、駅前のパフェが目に浮かんだ。
仕方がない。名前くらいなら教えてあげようか。
「神山紅羽。そこの神山神社の娘ですよ」
「あの有名な!?」
「有名なんですか」
「俺的には有名。……あ、オレも名乗ってなかったな」
太陽のように笑う男性は何処かお父さんに似ていて。
ああ、なんだか嫌な予感がするなぁ、なんて思いながら彼の言葉を待った。
「広也。設楽広也だ。よろしくな!」
「よろしくしたくないですね」
自分で不幸体質と名乗る男性と誰が仲良くしたいと思うか。
私は距離を取りながら、戦略的撤退をした。要は逃げた。
「あ、待て!」
追い掛けてくる男性を無視して、わたしは走る。
今日の夕ご飯は何かな、と考えながら。わりと余裕である。
――その出逢いは、吉と出るか凶と出るか。
『人間とは、不思議なものよの』
はっはっはと笑い声を上げ、我は嫁御殿の作った朝餉を食べ終えて卓に頬杖をついた。
季節は廻り巡って、そうして進み続ける。
それはとても楽しいことよな。
そこに例えば苦しいことが待ち受けていようとも。
『お主らがどう生き、どう死ぬのか。我は見届けさせてもらうぞ』