幕間

「先輩の甥っ子さん。不意に手を叩くことはありませんか?」

「とりあえず俺に甥が居ることをお前が知っていることはスルーして良いのか? どうなんだ?」

「そんなちっさいこと気にしてたら禿げますよ? 先輩の未来は焼け野原ですね!」

「不謹慎! 髪質が細い方と言いなさい!」

「先輩……お父様に言い聞かされてでもいるんですか?」

「……」

 俺の無言の肯定を受け取った神山は特に気にもせずに。それで? と問い掛けてくる。

「甥っ子さんは、手を叩きますか?」

「あー。あるなぁ」

「それは「鬼さんこちら、手の鳴る方に」と言いながらですか?」

「なんで分かるんだ?」

「企業秘密です」

 人差指を唇にあてた神山は、にこにこと笑いながら俺の後ろに指を差す。

「鬼が来ますよ」

「は?」

「甥っ子さんのところに、鬼が来ます」

 早ければ今日。遅ければ明日。

「鬼なんて空想上の生き物だろ?」

 俺は馬鹿にしたように言う。
 ひとえに強がりだとも言うのだろうけれども。

「ひとえに鬼と言っても、色々いますが。甥っ子さんのところに出るのは恐らく『あやかし』の類でしょうねぇ」

「あやかし……? 妖怪とか、そういう?」

「そういうやつです」

 神山はにこにことしたまま、言う。

「何とかしなければ連れて行かれてしまうかもしれませんね」

「何とかって……どうしたら良いんだ」

「最近先輩がびびりじゃなくなってきて、若葉寂しいです」

「可愛く言えば良いと思ってんのか?」

 まあまあ、と神山は俺を宥めるように言う。
 そうして制服にポケットから取り出したのは、白い紙に文字の書かれた一枚のお札。

「これは?」

「先輩の甥っ子さんに渡してあげてください」

 きっと『ソレ』が鬼を食らってくれますよ。
 にこりと恐ろしいことを言った神山に、俺は「怖ぇよ」とだけ言って、それでも甥に何かあったら嫌だと思ったので素直に受け取った。



 数日後。
 親戚の集まりの場で、甥はけろりとした顔で元気にはしゃいでいた。
 元気じゃねぇか、と思いながらジュースを口に含んでいると、甥が俺の元に近寄ってきた。
 どうした? と訊いたら、甥は「涼兄ちゃんにだけは教えてもいいって言われたから言うね」とにっこり笑う。

「あのね」

 その続きの言葉に、俺はひくりと顔を引き攣らせるとその場を立ち去り、神山に電話をした。


「神山ァ! どういうことだ!?」

『先輩うるさいですよー。今何してると思ってるんですかー』

「お前が何をしていようと関係ない」

『えぇー。俺様気質は十分なんですけど……』

「良く分からんがどうでも良い。とにかく何なんだ! 何も知らない子供に何をさせたんだよお前は!?」

「何の話で……ああ。鬼の話ですか。アレはただちょっと根源たる『鬼』を『鬼』が封印しただけですよ? 甥っ子さんに渡してもらったお札で』

「……封印? でも、あいつは『鬼さんがソコには行きたくない!』って泣いてたって言ってたぞ」

 当の本人もその日ばかりは夜中に泣き出して、親を困らせたらしい。
 神山は、あはは、と笑う。

『そりゃ、鬼もその鬼に連れて行かれたくはなかったでしょうからね』

「どういうことだ?」

 神山はまるで踊り出しそうな声音で言う。

『だって鬼が鬼を封じた先は――地獄なんですから』

 ほらぁ、地獄に鬼は必要不可欠じゃないですか!

『まあ、もっとも。子供を神隠ししようとしたその鬼は、人間と共に苛まれる側でしょうけれども』

 そう言った神山の方が本物の鬼だと、俺はわりと本気で思ったが。
 同時に甥が神隠しされるかも知れなかったと聞いて、甥ではなく、その鬼が地獄に行って良かったと。
 そう思ってしまった自分もまた鬼か、と笑ってしまった。
 きっと人間としては、当然の感情なのだろうけれども。
 自分の中にそんな醜い感情があることが、何となく、嫌だった。

「神山」

『なんですか?』

「明日、バイト行くわ」

『本当ですかー! 先輩に会えるなんてご褒美です』

「アホか」

 神社に行けば、この汚い感情が薄れるかも知れないと。
 神山に会えば、何となく癒されるのだろうと。
 確信も何もないのに。
 この時ばかりはそんなことを考えてしまった。
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