SS 161~

あの方の為ならば、私は幾らでも鬼になろう。
そう決めたのは、十五歳の時。

彼女は何処か厭世的なひとであった。
深い闇を感じさせるアメジストのような瞳が特徴的な、美しいひとであった。

「どうして……?」

彼女に声を掛けられた。
それはあまりに甘やかで、嬉しくて。ずっと浸って居たくなるような。
そんな声で。

「私が、あなたの為の鬼だからですよ」

それが声になっていたかは分からないけれども、確かに私はそう告げた。
本物の鬼にはなれなかった。ただの人間の私を拾って育ててくださった。

「碧羅さま……、お慕い、しておりました……」

これは確かに、私の物語。
鬼になりたかったただの人間の男の、憐れな物語。


***


「憐れ……」

そう言うにはあまりに彼の子供は幸せそうに眠っていた。
否、眠るように死んだと取るべきか。
四方八方から数多の破邪の弓を受け、鬼であったならその毒で即死。
そのようなものを、その身体に受けながら「私は人間ですから」と悔しそうに、それでも少しばかり嬉しそうに、わらわを庇いながらここまで逃げおおせたけれども。

「わらわの首が欲しくば、なぜ、他の鬼に手を掛けたのじゃ」

のう、……帝よ。

「僕が、あなたの首を欲しているのであれば……そうだなぁ。それは認識の間違いだ」

「何が、望みじゃ」

ねっとりとした声。嫌な予感がする。脳が警鐘を鳴らす。
この男の声を聞くことはならんと、そう言っておるようじゃ。

「僕はね、あなたが欲しい。あなたが欲しくて、欲しくて、堪らないんだ」

「モノをねだる子供のようじゃのう」

「欲しいモノをねだって、何が悪いの?」

悪ブレもせずそう言う帝に、わらわは眉間に皺を寄せる。
たったそれだけのことで。
わらわの一族は滅ぼされたのか。
こんな、狂った男に……わらわはどうにかされるというのか。
それはちぃとばかり、悔しいのぅ。

「わらわの身体なんぞ、好きにした良い」

「へえ、随分物わかりが良いんだね?」

「ああ、身体だけなら、好きにしたら良い」

「……どういうこと?」

「……さあ、どういうことかの」

そう言って、わらわは己の中にある妖力を、爆発させた。
他ならぬ、わらわの中で。

「……っ、まさか、自死する気か!」

「お主のような男に、わらわの心の欠片すらもやらぬよ」

そう言って、わらわなんかを守って死んだ子供に触れる。
まだぬくい。まだ、生きる可能性は秘めている。

「碧羅……!僕の元から逃げる気かい!?」

「逃げるも何も、お主が招いたこと。鬼と人間の関係は崩れた。わらわが死ねば、新たなる鬼の王が生まれよう。さすれば……起きるは鬼と人間との戦よ」

「そんなこと……!」

「それを招いたのはお主だ。ゆめゆめ、忘れるな」

わらわは微かに口角を上げて、爆発していく妖力に身を任す。
すまんのう。お主が守ってくれた命だと言うのに。すまんのう。

最後に思うのは、わらわを守って死んだ、人間の男。わらわを慕ってくれた、可哀想な人間。

「わらわがひとを狂わすというのなら、わらわは何千年でも眠りにつこうぞ」

ゆっくりと視界が暗くなっていく。
『碧羅』の生は終わり、ただの石ころになり果てる。
帝は一体、どうすることか。もう、どうにも出来ないがの。
微笑みひとつを贈り、わらわは静かなる夢の泉に沈んでいった。
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