SS 161~

 永遠に八千代に咲き誇れ。
 ──永遠桜。
 永遠とも取れるほど昔から咲き誇る、一本の大樹の名。
 薄紅の花をより美しく咲かせる為に、人はわたしに贄を贈った。美しい顔をした少年少女。
 まみえる者はみな怯えた顔をしていた。
 当然だろう。贄ということは、喰われるということなのだから。
 永遠桜は人の心を癒すと同時に、年に一度人の世から贈られてくる──人の生き血で生きている。

「お前さま。そこのお前さま」

「だれだ」

 人の世には珍しい、金色の稲穂のような髪色をした少年だった。その瞳は澄んだ湖のように青く、何処を見ているか分からなかった。

「坊はわたしの贄かえ?」

「……そうじゃなきゃ、こんなとこにいねぇよ」

「そうか。わたしの贄か」

「……? なんだよ、喰わねぇの」

「わたしを悪食のように言うでない。喰うにしてもお前さまはまだ細い。喰うにはちと早いのぅ」

「……悪食じゃねぇか」

 ケッと鼻で嗤う少年はつまらなそうで。
 なんとなくだった。風が吹いたのだ。わたしの中で、確かな風が。

「お前さま。お前さまが肥えるまで、暫し喰らうの待ってやろう」

「ハッ。嘘つきが。来年も贄が来るのに俺が育つのを待つ? 意味わかんねぇ」

「嘘ではないぞ? お前さまが育つまで、わたしが保証しよう」

「俺は別に、喰われようと喰われまいと構わねぇけどな」

「ふふ。何千年も生きておる。これからも生きるわたしには、少しくらい食休みも必要というものだ」

「──人の生き血で生き長らえて、そんなにお前は生きたいのか?」

 少年の言葉に、目をぱちくりとさせてしまった。
 わたしは生きるということに頓着していない。
 そういうモノだという認識だからだ。
 生きるということは咲き誇ることであるし、死ぬということは永遠桜の本体が枯れるいうこと。
 永遠に八千代にと願われ、生きている。
 そう願う人がわたしに『食事』を供給するのが当然だと。
 ただ、そうであると。
 ぽつりとぽつりとそう少年に告げれば、鼻で嗤われた。

「お前、本当に何千年も生きてんの? 正直赤ん坊の方がそこら辺しっかりしてる気がするわ」

「わ、わたしを赤ん坊と同じにするか!」

「するね。お前は生まれたばかりの赤ん坊なんだよ」

「では、お前さまがわたしに教えておくれ。生きるということを、死ぬということを」

「ま、気が向いたらな」

 こうして、わたしは少年と暮らすようになった。
 その生活は楽しかった。
 数百、数千の時を生きてきた。そんなわたしがこの世に生まれ落ちてはじめて笑ったかも知れないと、そう思うほどには。幸せに満ちた時であった。

「とわ、魚焼けたぞ」

 青年の姿になった坊が串に刺さった魚を突き出してくる。
 近くの川で取ってきた魚に塩をまぶして囲炉裏で焼いたモノ。最初は喰う気にはならなかった。けれども来たばかりの坊が「美味いのに」と言うから少しだけ興味が湧いて。ひと口、口にしてみた。
 柔らかな身はほろほろと解けて、まぶされた塩気がちょうど良い塩梅で口の中に広がる。
 そこからわたしは人と同じ食事を摂ることに抵抗がなくなっていき、今ではなんでも食すようになっていた。

「とわ、口の端についてる」

「す、すまん」

「あ? なんだよ。お前が謝るなんて……はは、明日は雪か?」

「阿呆言え。今は夏だぞえ」

「阿呆はお前だろ」

 クッ、と喉の奥で笑った坊が最近輝かしく見えてくる。胸の奥がじんじんと痛む。
 これはなんだ? わたしの胸はなにゆえ高鳴る?
 人間で言えば心の臓があるあたりを抑えて首を捻る。
 その仕草を、坊がジッと見ていることには気付かずに。
 その晩であった。月があまりに大きく煌めいていたから、つい見惚れて。
 まるで坊の髪のようだと思えば昼に感じた時よりも遥かに胸が高鳴った。

「これは、なんぞ?」

 病にでも罹ったか? 永遠桜であるわたしが? そんな筈はない。あってはならない。
 何故なら、わたしは人を癒すモノ。人を喰らい、その力で人を癒すのだ。

「あ、れ……?」

 わたしは、何年人を喰らっていなかった?
 わたしは、どれほどの時を坊と過ごした?

「あ、ぁあ……っ」

 顔を手のひらで覆い、髪を掻き毟る。口から漏れ出るは悲鳴は止まらない。気付いてしまった。
 わたしは、わたしは、わたしは!

 ──坊を、喰らわねばならない?

 人の世の食事を喜び食べていたわたし。
 人の生き血で生き長らえていたわたし。
 どちらも同じ己だと云うのに。

「わたしが、坊を……?」

「なんだ、とわ。お前、忘れてたのか」

「……坊」

「女の部屋なんて初めて入ったけど、案外簡素だな」

「……坊」

「よく考えたら結構庶民的だもんな、お前」

「……のぅ、坊」

「そういやぁ、なぁ? お前、」

 ──いつ、俺のこと喰うんだ?

「……っ!」

 ヒュッと喉の奥から息が漏れ出た。
 嫌々と首を振れば、坊はその綺麗な湖のような瞳をわたしに向けながら近付いてくる。
 離れようと立とうとしても、腰が抜けてしまったように動けず、手をついて畳の上を這う。
 坊は追い詰めるようにわたしの上に覆い被さり、わたしの手の甲は坊のゴツゴツとした男らしい手のひらで覆った。
 心の臓があったら、きっとわたしの胸は今すぐにでも裂けているのであろう。それほどまでに痛む。じくじくと。じんじんと。

「とわ」

 耳の近くで名前を呼ばれた。吐息が耳を擽る。泣きたくなるくらい優しい声であった。

「……俺を喰えよ」

「いやだ」

「嫌だ、じゃねぇんだよ。阿呆。お前、人間化してんだろ。俺をくわねぇと枯れちまうぞ」

「……い、やだ」

 嫌々と幾度も、幾度も、首を振る。
 坊を喰らう。それ即ち、坊を失うということ。
 何千年と生きてきて感じる、はじめての感情。

「とわ。……とわ。死ぬはずだった俺にこんなにも長く生をくれて有難う。もう俺は満足だ」

「……坊。いやだ」

「そうか。でも、おれはとわに生きて欲しいから」

 永遠に八千代に。生きて欲しいから。
 抱え込まれた状態では、坊がどんな顔をしているか分からない。
 分からないけれども、それでも伝わってくる熱に、わたしは泣き出してしまいたくなった。

「とわ、あいしてるよ」

 額に降ってきた口付け。
 それがきっと、合図。

 ──私たちはその夜、生まれたままの姿で月の柔らかな光を浴びていた。

 この世が永遠に夜で在ればいいのに。
 永遠にこの月が出続ければいいのに。
 次の日の朝、わたしは坊を喰らった。
 その血肉を余すことなく。魂さえ何処にもやらぬというように。
 腹に残る熱を忘れぬように。
 永遠桜は、またひとりになった。
 其れが化け物として在るべき姿であったのだとでも言うように。
 化け物。そう、化け物だ。
 永遠桜は化け物。
 永遠を生きる桜など、幾ら人を癒しても、人を喰っていては意味がない。
 永遠桜はふたりで過ごした家で、静かに瞼を閉じた。
 その桜色の瞳が再び開くのはいつか。
 春か、夏か、秋か、冬か。
 いつでもない。坊と呼ばれた男が帰ってくる、その日まで。

 『とわ』は眠りについた。

 時を同じくして一本の大樹。
 何千年を生きた永遠桜の花弁がはらはらと散り始める。
 枯れた永遠桜を見た人々は怯えた。この世が終わるのではないのかと。飢饉が来るのではないのかと。
 危惧したものはなく、人々の記憶から『永遠桜』という存在は薄れていった。

 それから数百年。

「うわ、なんだ? こんな山奥に、家……?」

 金色の稲穂のような瞳を持った男は見覚えのある家に首を傾げる。
 永遠に八千代に。
 枯れた桜は、また芽吹きの春を迎えた。
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