SS 141~160

「へび、蛇。いる?」

短く紡いだ声に、微かに衣擦れの音がしたのをまだ機能する耳が拾った。
皺がれた声は老いを感じさせるな、とクッと喉の奥で笑えば、咳が出た。

「っ、ごほ!……ごほっ!」

宛がった掌の中には紅い華が咲いていたのを見る。
僕の生が終わりを迎えている、その証がコレだ。

「……ざまぁみろ、ですよ」

「久し振りに声を聞いた。嬉しいな」

「……」

「へび、僕はもう、死んでしまうのかな」

「……あなたは人ですから。死ぬでしょうね」

こうなることは分かっていたでしょうに。こうなることは知っていたでしょうに。

「何故、神など囲ったのです。何故、神など捕らえたのです」

畜生上がりの神様である蛇の声。久し振りに聞いた、蛇の声。
嬉しいのに、僕の生がもう終わってしまうのかと、そのことの方が哀しくて。

「どうして蛇は、僕の傍に居てくれたの?」

「答えになっていませんが」

ムッとしたような声に、僕は笑った。

「いとおしい人を傍に置いておきたかった。ただそれだけだよ」

「……その程度の理由で、あなたは神を堕としたのですか」

「……その程度、か」

はは、と今度は乾いた笑みが浮かんだ。その程度。その程度にしか見えていないのか。
蛇にとっては、僕の想いはその程度のものなのか。
仕方がないのか、とも思うけれども。

「僕は禁忌を犯してでも蛇をこの家に囲って、捕らえて、閉じ込めてしまいたかったんだよ」

「何故、そのように思うのですか。わたくしのような異形に対して。何故、そのように思えるのですか」

「今日はお喋りだね。凄く嬉しい」

嗚呼、そうか。

「今日が僕の命が終わる日なんだね?」

「……」

「無言は肯定と取るよ。蛇、へび。今日が、最後の日ならさ」

最期くらい、僕の為に笑ってよ。偽りの笑顔でも良い。どんな笑みでも良い。
ただ、僕の為に、笑って?

「……お馬鹿さんですね、人間とは。だから、関わるのが嫌だったんですよ」

「ふふ、でも付き合ってくれた。傍にいてくれた」

このかなしいくらい溢れるいとしい心を、いつか蛇は分かってくれるかな?

「愛してるよ、蛇」

こんな風にしか愛せなかったけれども。僕は確かに。蛇を愛している。

「それだけが事実」

「……お馬鹿さんですね」

「人間なんて、馬鹿な生き物なんだよ」

「……決して、あなたを許しません」

「うん、それで良いよ」

蛇の中に残れるのなら、死んだその先だって残れるのなら。
なんだって良い。どんなものでも構わない。

「蛇」

「なんですか、人間」

「もっと、ずっと、傍に居れたら、良かった、のになぁ……」

僕はきっと、何度生まれ変わっても人間なんだろう。
神である蛇と同列にはなれない。
そうして、僕と蛇との間に生まれた子孫が例え蛇を手に入れたとしても。
蛇は決して、人間に心を許さないだろう。
そう言う風に、接してきた。
僕以外に心を許せる人間なんて居ないと、そう、心の何処かで思わせ続ける為に。

「あいしてる、愛してるよ、蛇」

これは呪い。何千年と続く、呪いの系譜。
僕の想いの分だけ続く、愛したが故の、ただの執着。

「……わたくしが、どうして、」

蛇が何かを言っていた気がしたけれども、僕の視界は歪み、白くなっていく。
最後に零れた涙のようなものが頬を伝うのを感じながら、僕は静かに眠りについた。

きっと逝くのは地獄だろうけれども。
それでも其処で、僕は永遠に蛇を待ち続けよう。





「わたくしがどうして、あなたの傍に居たのか。本当の意味では気付いていなかったのですね」

静かに眠った人間たる夫の、暖かな涙を拭って、わたくしは凛と背筋を伸ばしながら空を見た。
あなたと出逢った時と同じ、青い空、初夏を感じさせる若葉の匂い。
今でもわたくしは確かに覚えているというのに。
あなたは永遠に、眠ってしまいましたね。

頬を伝うのは、解放されたが故の嬉し涙か。
それとも――
10/20ページ