SS 121~140
「せんせい」
「なんですか?」
「先生は、俺が卒業するまで俺を愛してくれますか?」
「ふふ。おバカなことを聞きますねぇ」
「馬鹿なことかな?先生がようやく手に入ったんだよ?普通のことだと思わない?」
「いえいえ。馬鹿なことだと思いますよ」
「そーかなー」
「先生は、誰のモノにもなりませんよ」
「けちんぼ」
ぶーっと頬を膨らませた彼に私はクスクスと笑う。
彼は根っからの遊び人。
女性に片っ端からその甘いマスクと声、そうしてその年齢でどうしてここまでのテクニックを得たのかと言いたくなるまでの技巧。
それらは学校中の女生徒並びに教師も骨抜きにしてきた。
まあ、それは私も変わらないのですけれども。
それでも。私は彼に曲がり間違っても「愛している」だなんて言葉を伝える気はない。
何故なら私は……彼を愛しているから。
彼は愛を返した女性を捨てる。それはもう容赦なく。
同僚がそれで心を病んでしまった。
それを知っているから。捨てられるのは怖いから。
弱い私は、狡い私は、笑顔の裏で怯えながらこの想いを隠し通す。
「せんせ」
「なんですか?」
服を整え、長い髪を結いあげていたら声をかけられた。
振り向けば、唇に甘い感触。
「こら、遊びはもうお終いですよ」
「いいじゃん。先生だけなんだ。俺に好きだって言わないの。俺はそんな先生が好き」
「はあ、それはそれはありがとうございます」
「もー。酷いなぁ」
ふふ、と笑う彼に私はひとつ溜息を吐いて。
今度こそ私の庭。私の城である保健室のベッドから降りた。
「つまんないのー」
そんなことを吐き捨てる彼に「早くあなたも服を着なさい」と言って、仕事に手を付ける。
そんな私の姿を、楽しそうに見つめる顔には気付かないままに。
本当に。
最後まで気付かなかったのは、教師としてきっと彼を傷つけたことでしょう。
「せ、んせ……」
「おや?その声はあなたですか。どうしました?」
「その目、どーしたの?」
「ああ、ちょっと。色々ありまして」
「色々って、ナニ?」
「色々は、色々です」
ベッドの上でぼうっとしていたら、聞き慣れた声が聞こえて彷徨わせるように顔を動かす。
見知った声の主は大層驚いていたようだった。
私の目には包帯がぐるぐる巻きにされている。
元々弱かった視力が、もう光さえ拒絶するからされた処置だ。
「病気、なの?」
「まあ、簡単に言ってしまうと」
「……死なないよね?」
「ふふ。当たり前ですよ」
私は嘘を吐く。
それが当たり前のように。
彼の心に負担をかけるなんて、思いもしなかったのだ。
何故なら彼は大多数に愛される存在。
私ひとり居なくなっても困らないと、本気でそう思っていた。
「ああ、そうでした。先生。先生を辞めることになりまして。まあ、これでは教諭は出来ませんから当然ではあるのですが」
「え……」
「ですのでもう御相手は出来ません。申し訳ありませんが、他の方を当たってくださいね」
「ま、ってよ……。なんで?どうして?先生が先生じゃなくなっても、俺は先生が……」
「私ね。結婚するんですよ」
「……」
「御相手の顔はもう見えませんが、こんな私でも良いと仰ってくださいましたので、そのように進めさせて頂いております」
「逃げるの」
「え、」
「先生、俺から逃げるの」
それはハッキリとした言葉。
私は見えない暗闇の中、その声が怒っていることを確かに感じ取った。
「あなたには他の大勢が居ますから、今更私ひとり居なくなっても関係はないでしょう」
「関係ならあるよ」
「はい?」
「俺は、先生を……!」
「言わないでください!」
「……せんせ、」
「私はあなたの先生ではもうありませんよ」
にこりと、今出来る最上級の笑みを見せて、私は彼の言葉を遮った。
「帰りなさい」
「……やだ」
「帰ってください」
「やだよ……」
「お願いだから……」
「……今日は、帰る」
「いいえ。今日までの関係です。明日はありません」
「先生!いい加減にしないと俺も怒るけど」
「あなたが怒ったところで、怖くもなんともありませんよ」
「……っ」
ガラッと暴力的に扉が開く音が聞こえて、そうして感情のままに閉めたと言わんばかりの音を立てながら去って行く。
「さようなら」
もう二度と、会うこともないでしょう。
その思い通りに、私は彼と会うことなく終わりの日を迎えた。
右手に暖かなぬくもりを感じる。
誰でしょう?と思っても視界は暗闇しか映さない。
首は動かず、鼻も利かない。精々指を動かすのが精いっぱいだ。
「先生のばか」
「……っ」
呼吸器に吐く息が濃くなった気がする。
どうして彼が?と首を傾げたいのに、身体は言うことを聞きやしない。
「結婚、嘘だったんだね」
私は答えない。答えられない。
「ねぇ、俺のこと、好き?」
そんな言葉を吐かれても、何も答えられはしない。
そんなこと分かっているでしょうに。
「先生……死んじゃうの?俺を置いて、居なくなっちゃうの?」
悲し気な声だった。苦し気な声だった。
私の吐息はゆるりゆるりと弱まっていく。
彼の言う通り私は結婚なんてしないし、彼の言う通り私は今日、死ぬ。
けれどそれは彼には関係のないことだ。
病気なのだから、仕方がない。
「せんせい」
俺、俺ね?
「先生が、好きだよ」
嗚呼、私が欲しかった言葉が。
誰にでも与えられ、そうして誰にも与えられなかった言葉が。
私に与えられた。
それは嬉しくも悲しくて。
「先生は俺のこと、愛してくれる?」
涙が零れ落ちることさえ厭わずに、私はそっと、掴まれている右手に力を込めた。
それは弱く頼りなく、消えてしまいそうな程に儚いものであっただろうけれども。
彼は言った。
「愛してるよ、先生」
おやすみなさい。
「なんですか?」
「先生は、俺が卒業するまで俺を愛してくれますか?」
「ふふ。おバカなことを聞きますねぇ」
「馬鹿なことかな?先生がようやく手に入ったんだよ?普通のことだと思わない?」
「いえいえ。馬鹿なことだと思いますよ」
「そーかなー」
「先生は、誰のモノにもなりませんよ」
「けちんぼ」
ぶーっと頬を膨らませた彼に私はクスクスと笑う。
彼は根っからの遊び人。
女性に片っ端からその甘いマスクと声、そうしてその年齢でどうしてここまでのテクニックを得たのかと言いたくなるまでの技巧。
それらは学校中の女生徒並びに教師も骨抜きにしてきた。
まあ、それは私も変わらないのですけれども。
それでも。私は彼に曲がり間違っても「愛している」だなんて言葉を伝える気はない。
何故なら私は……彼を愛しているから。
彼は愛を返した女性を捨てる。それはもう容赦なく。
同僚がそれで心を病んでしまった。
それを知っているから。捨てられるのは怖いから。
弱い私は、狡い私は、笑顔の裏で怯えながらこの想いを隠し通す。
「せんせ」
「なんですか?」
服を整え、長い髪を結いあげていたら声をかけられた。
振り向けば、唇に甘い感触。
「こら、遊びはもうお終いですよ」
「いいじゃん。先生だけなんだ。俺に好きだって言わないの。俺はそんな先生が好き」
「はあ、それはそれはありがとうございます」
「もー。酷いなぁ」
ふふ、と笑う彼に私はひとつ溜息を吐いて。
今度こそ私の庭。私の城である保健室のベッドから降りた。
「つまんないのー」
そんなことを吐き捨てる彼に「早くあなたも服を着なさい」と言って、仕事に手を付ける。
そんな私の姿を、楽しそうに見つめる顔には気付かないままに。
本当に。
最後まで気付かなかったのは、教師としてきっと彼を傷つけたことでしょう。
「せ、んせ……」
「おや?その声はあなたですか。どうしました?」
「その目、どーしたの?」
「ああ、ちょっと。色々ありまして」
「色々って、ナニ?」
「色々は、色々です」
ベッドの上でぼうっとしていたら、聞き慣れた声が聞こえて彷徨わせるように顔を動かす。
見知った声の主は大層驚いていたようだった。
私の目には包帯がぐるぐる巻きにされている。
元々弱かった視力が、もう光さえ拒絶するからされた処置だ。
「病気、なの?」
「まあ、簡単に言ってしまうと」
「……死なないよね?」
「ふふ。当たり前ですよ」
私は嘘を吐く。
それが当たり前のように。
彼の心に負担をかけるなんて、思いもしなかったのだ。
何故なら彼は大多数に愛される存在。
私ひとり居なくなっても困らないと、本気でそう思っていた。
「ああ、そうでした。先生。先生を辞めることになりまして。まあ、これでは教諭は出来ませんから当然ではあるのですが」
「え……」
「ですのでもう御相手は出来ません。申し訳ありませんが、他の方を当たってくださいね」
「ま、ってよ……。なんで?どうして?先生が先生じゃなくなっても、俺は先生が……」
「私ね。結婚するんですよ」
「……」
「御相手の顔はもう見えませんが、こんな私でも良いと仰ってくださいましたので、そのように進めさせて頂いております」
「逃げるの」
「え、」
「先生、俺から逃げるの」
それはハッキリとした言葉。
私は見えない暗闇の中、その声が怒っていることを確かに感じ取った。
「あなたには他の大勢が居ますから、今更私ひとり居なくなっても関係はないでしょう」
「関係ならあるよ」
「はい?」
「俺は、先生を……!」
「言わないでください!」
「……せんせ、」
「私はあなたの先生ではもうありませんよ」
にこりと、今出来る最上級の笑みを見せて、私は彼の言葉を遮った。
「帰りなさい」
「……やだ」
「帰ってください」
「やだよ……」
「お願いだから……」
「……今日は、帰る」
「いいえ。今日までの関係です。明日はありません」
「先生!いい加減にしないと俺も怒るけど」
「あなたが怒ったところで、怖くもなんともありませんよ」
「……っ」
ガラッと暴力的に扉が開く音が聞こえて、そうして感情のままに閉めたと言わんばかりの音を立てながら去って行く。
「さようなら」
もう二度と、会うこともないでしょう。
その思い通りに、私は彼と会うことなく終わりの日を迎えた。
右手に暖かなぬくもりを感じる。
誰でしょう?と思っても視界は暗闇しか映さない。
首は動かず、鼻も利かない。精々指を動かすのが精いっぱいだ。
「先生のばか」
「……っ」
呼吸器に吐く息が濃くなった気がする。
どうして彼が?と首を傾げたいのに、身体は言うことを聞きやしない。
「結婚、嘘だったんだね」
私は答えない。答えられない。
「ねぇ、俺のこと、好き?」
そんな言葉を吐かれても、何も答えられはしない。
そんなこと分かっているでしょうに。
「先生……死んじゃうの?俺を置いて、居なくなっちゃうの?」
悲し気な声だった。苦し気な声だった。
私の吐息はゆるりゆるりと弱まっていく。
彼の言う通り私は結婚なんてしないし、彼の言う通り私は今日、死ぬ。
けれどそれは彼には関係のないことだ。
病気なのだから、仕方がない。
「せんせい」
俺、俺ね?
「先生が、好きだよ」
嗚呼、私が欲しかった言葉が。
誰にでも与えられ、そうして誰にも与えられなかった言葉が。
私に与えられた。
それは嬉しくも悲しくて。
「先生は俺のこと、愛してくれる?」
涙が零れ落ちることさえ厭わずに、私はそっと、掴まれている右手に力を込めた。
それは弱く頼りなく、消えてしまいそうな程に儚いものであっただろうけれども。
彼は言った。
「愛してるよ、先生」
おやすみなさい。