SS 121~140

「誰かを傷つけて、キミを救えるのならば。僕は喜んで、その知らない誰かを傷つけるよ」


彼はそう言いました。
私はただ黙って、目を瞑ったまま。
彼は私の手を握って言いました。


「沢山たくさん傷ついたね。ねぇ、どんな気分だった?」


訊いていることはただの好奇心のような言葉だったのに、その声音はとても哀しげで。
私はどうにか言葉を発しようとしましたが、声にはならず。
ただ目を瞑った暗闇の世界を享受しているのです。
貴方が私を責めないから。
私はこの暗闇に甘えたまま。
ずっとこのままでいいのではないかと、そう思うのです。


「ねえ、愛してるよ」


不意に言われた言葉に、吐き気がしました。
彼の『愛』の言葉だけはどうしても受け入れられないのです。
あんなにも切望していたというのに。
あんなにも彼の『愛』を貰える他の子が羨ましかったというのに。


(大多数と一緒では嫌なのです)


私と彼は『恋人』という関係性でした。
けれどそれは『関係性』だけの話で、実際にはソレらしいことは何もしていません。
下半身がだらしなく、誰にでも愛を囁く彼は、何故だか私を抱くことは疎か、キスをすることもなく。
時折、何かに触発されたように私を抱き締めることはありましたが、本当にソレだけで。
きっと彼にとって私という存在は、取るに足らない、どうでも良い存在だったことでしょう。
幼馴染で、近すぎたのが、原因かもしれません。
恋人同士になった理由と言いますか、きっかけも、「愚図でのろまなキミのことだから一生嫁の貰い手もないだろうし、とりあえずまずは恋人として付き合ってあげるよ」という、そんな言葉からでした。

キスもしない。セックスもしない。
そんない間柄でも、私は初めて会った時からキラキラと輝きを放っていた彼に憧れていましたし、文句はありませんでした。
というか文句なんて言った日には三時間は怒られてしまいます。
だから頷きました。
彼に抱いた憧れが『恋』なのかと問われると、とても困ってしまいますが。
私と彼は、恋人同士という肩書を得て、お付き合いをすることになったのです。

それが、高校の入学式の前日でした。

高校に入ってから、いえ、入る前からもですが、彼はとても女性にモテました。
社交的な彼でしたから、男性の友達も多かったように思います。
私はいつもひとりでした。
友達が出来なくなったのが、いつからでしたでしょうか?
彼と出会う前の、小学二年生までは確かに友達と呼べる間柄の方は居た筈なのですが。
彼が隣に越してきて数日と経たない内に、私はひとりになりました。
いえ、正確にはひとりではなく、彼も居ましたが。
小学生の頃は、二人で肩を並べて帰路につくことをしていました。
それがどうでしょう。
中学生にあがる前には私は本当にひとりきりで。
隣にあった温かさはなくなっていました。

彼が女性関係にだらしなくなり始めたのも、その時期でしょうか?
私は何度か苦言を呈しました。
けれど彼はいつも鬱陶しそうにしていて。
段々と私が話し掛けることはなくなってきました。
余談ですが、この頃からいじめを受けるようになりました。
ノートに落書きをされたり、影口を言われたりと。
私は随分と鈍いようで、特に心に響きはしなかったのですが。というよりも、彼に避けられ始めたのがショックだったのでしょうね。その頃の私の世界には、彼しか居ませんでしたから。
だから、彼が私とお付き合いをしてくれると言ってくれたのが、それはそれは嬉しかったのです。
関係性が変わっただけで、日常が変わったわけではありませんでしたが。


そうそう。
何故、私が目を瞑って彼の言葉に応えられないのか。
それは単純明快なことです。


「キミを突き落とした奴等はもう居ないから、だから、帰ってきてよ。目を、覚まして。僕の許可なく眠ったままなんて許さないよ?僕のお説教、キミ嫌いでしょ?聞きたくないなら、ねえ、早く目を覚ましなよ」


私は彼の取り巻きの、彼を好きだと仰っていた女性達によって、学校の屋上から突き落とされました。
幸い、頭を打ったくらいで。命に別状はありません。
何故分かるかと言えば、私の意識が常に浮上しているからとしか言い様がないのですが。

あの日からもう五年です。
彼は暇さえあれば私の眠る病室に通い、私の手を握り、同じ言葉を掛けます。
時にはその日あったことを。
彼が私の元を訪れなかった日は、今のところありません。
私は不謹慎にも彼のその行動が嬉しかった。
掛けられる愛の言葉には吐き気がしますが、私はどうやらと言いますか、やはりと言いますか、彼が好きなようで。
彼が通ってくれることを、とても好ましく思っているのです。

ですが最近、思うのです。

私の存在が彼にとっての重荷になっていないか。
取り巻きが起こした事件だったから、彼が責任を感じているのではないか。

いつ目覚めるともわからない私なんて捨てて、早く他の、彼がいつか言っていた「世界中の誰よりも可愛くて、放っておけない子」でも探して、結婚でもなんでもすればいいのに。

それでも彼は毎日、私を見舞いに来るのです。
それが申し訳なくて。
けれど嬉しくて。
相反する気持ちは私の中で今日も渦巻き。
私は今日も目覚めないまま、面会終了の鐘が鳴り、彼が名残惜しそうに私の手を撫でて帰るのを肌で感じながら一日を終えるのです。


**


小二の時に出逢った女の子。
おっとりとした丁寧な喋り方が印象的だった。
最初はただそれだけで、いや、違うか。
僕はきっと、はじめて会ったその日に、彼女に恋をした。
その感情に気付かないままに、彼女から友人全員を離し、僕と二人で居ることを当たり前のようにして。
彼女は友人が話しかけてこなくなったことにとても悩んでいたけれども、その姿すらも堪らなくいとおしくて。
ガキだった僕はその感情に気付かないまま、ある日身体に変化を感じた。
まあ、有り体に言ってしまえば夢精をしたのだ。
彼女の夢だった。
驚いた。それはもう。
だって彼女をその時まで僕が異性として見てはいなかったのだから。
けれど合点がいった。
彼女に近づく全てが許せなかった理由がわかったから。
ああ、でも。
夢精をしたその日。彼女に声を掛けられなかったのは今でも後悔している。
中学に入ってから、彼女の代わりを誰か適当な女に努めさせることも。
罪悪感の欠片も湧かなかったけれど、彼女と話せないのはとても堪えた。
ただ、彼女を抱きたくて。
けれどあの細い身体を一度でも抱いてしまったら、もう後戻りできなくなるような恐怖を抱いていて。
それでも時折、抑えきれない衝動に彼女を抱き締めた。
かわいい、いとしい、だいすき。
そんな感情を込めながら。
今思えば馬鹿なことをと思う。
素直に彼女を好きだと彼女に告げていれば。
素直に彼女を抱いて、他の女を切って、彼女だけを見て、大事にしていれば。
彼女が僕の取り巻きによって、いつ目覚めるかもわからない夢の中につくこともなかったのかも知れないのに。

贖罪のように僕はあんなにも伝えられなかった「愛してる」という言葉を、眠る彼女に伝え続ける。
いつか届けばいいと願いながら。


「なんてね?」


くつくつと笑みが零れてくる。
彼女の眠る病室からの帰り道。
僕は鞄に入った書類を見て、ほくそ笑む。
そこに書いてあるのは『婚姻届』という三文字。

彼女は明日。
名実ともに僕のお嫁さんになる。
いつか照れ隠しで言った『世界中の誰よりも可愛い』彼女を。
彼女の両親を説得するのに時間が掛かってしまったので、遅くなったけれど。
なんとか彼女の誕生日である明日に間にあって良かった。
これで誰に咎められることもなく、彼女の側に居ることも、彼女の為に用意した家に彼女を連れて帰ることも出来る。


「あいしてるよ」


その言葉の返事は、もう要らない。
キミが例え一生涯眠り続けたとしても、キミが僕を愛して何ていなくても。
僕はただ、キミをひたすらに愛し続ける。
そこに意味なんてない。
だって「愛すること」に、意味なんて要らないだろう?
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