短編置き場(ほの庭)

村に頻繁に雨が降るようになった。
最初は大して気にしなかった。こんな山奥の村では良くあることだと思ったからだ。
けれどそれがひと月も続けばさすがに可笑しいと思うもので、けれどそれでも気にしないようにしていた。
きっと何もないと、目を瞑っていればいつか誰かがなんとかしてくれる。俺じゃない誰かが何とかしてくれる。
そんな自分本位な思いはいい加減やめた方がいいと思っていても、こびりついてしまった逃げ癖は早々なくなるわけもなく。
ある日いよいよリンが俺を訪ねてきて、言った。

「どうにもおかしいわよ、この雨」
「あ? 藪から棒になんだ?」
「キスケさんだって気づいているでしょ? ひと月も雨が降りやまないなんてことは今までなかった」

何が悪さをしているのかしら。
神妙な面持ちでリンはそんなことを言う。あまりに難しい顔でそんなことを言うもんだから一蹴するように笑ってやった。

「もしかしたら来訪神のどれかが悪戯してるってか? くだらねぇ。そんなことあり得ない」
「どうしてそう言い切れるのよ」
「どうして、って。そりゃあ」

この村にはアメが居る。だから大丈夫だ、なんて言えねぇよなァ。
数多なる神々がおわすこの村、彼々津村にはアメが居る。彼の神様はこの地を蝕んでいた土地神を倒して以降、この村に於いて今や上位神となった。
その神がおわす村で他の招かれただけの神々がわざわざ今この地に根付こうとしている上位神の気に障るようなことをするだろうか?

「何よ、キスケさんにしては歯切れが悪いわね」
「まあな。……だがそこまで言うなら俺も色々探ってみるよ」
「でも、それは村長である私の役目で――」
「いいから、俺がやる。隈が出来てんぜ? どうせ最近ロクに寝れてねぇんだろ。この程度のこと俺に任せて、リンは他の仕事をしな」
「……分かったわ」

でも原因が分かったら教えてね。
そう言ってリンは納得してないまでもそのまま背を向けて去って行く。
リンの背をしっかり見送ってから、俺はアメの居る庭に向かった。







庭まで行く道すがら、雨が段々激しくなってくる。
まるでアメの元に行くのを拒まれているようで、嫌な予感がした。







「……こいつは、どういうことだ?」
「キスケ? どうしたの?」

庭に入った瞬間、そこに広がっていたのは豊かな緑と晴れやかな青空。
この空間だけが晴れ晴れとしていた。

「てめぇ、ナニかしたのか?」
「? 何か、って? 何を?」

アメが混乱するように畑に撒いていた水の入ったジョウロを置いてこちらに小走りでやって来る。

「ここ最近、村では雨続きだ。だってぇのに、これはどういうことだ?」
「……どういうこと?」

アメは俺の言葉を聞いて目を丸くしていた。まるで何も知らなかったとでも言うかのような発言だ。
確かに最近、アメの姿を見なかった。それこそこのひと月、一度も。
そのことに違和感はなかった。何故なら事前に「この時期色々と忙しくなるから、あまり村に行けない」と申し訳なさそうに言っていたからだ。
庭のことと、もしかしたら神としての仕事もあるのかも知れない。
アメのその言葉にはそういう含みもあったからきっとそうなのだろう。
だからアメは本当にこのひと月、村で降り続く雨のことは知らないのだ。

だから話した。
ここ最近の村の様子と、不可解な雨模様を。
話していくうちにアメの顔がどんどん真剣な面持ちになっていき、最後の方は無言で何かを考えているような顔をしていた。

「――てめぇはこの現象をなんだと思う?」

少しだけ期待した。
この神様ならきっと、ただ雨が降り続いているだけだと言ってくれると。
けれども現実はそうではなかった。

「……たぶん、土地神の仕業だと思う」
「……は? だが土地神はあの時、てめぇが」
「正確にいうと、土地神の残滓の仕業。この土地には土地神の神気が染みついてるから」

だから其れが悪さをしているんだと思う。

「大丈夫だよ、キスケ」
「そんなの、」

何が大丈夫だと言うのだ。
この土地は未だ土地神に縛られていると聞いて平静ではいられない。

「アメがなんとかする、大丈夫」
「なんとかするって、てめぇが傷ついたりしねぇんだろうな」
「大丈夫だよ」

にこりとアメは笑う。
傷ついたりしないと、アメは確約しなかった。
それはつまりこの神様が傷つくほどの何かを行わなければいけないということだ。
可笑しな話だ。散々俺はこの神様の心も体も傷つけてきたっていうのに。
俺ではない他の誰かに、残滓とはいえ神に傷つけられると分かっていて何も出来ない。結局自分もただの人間であるのだと突き付けられた気分だった。
何も出来ない、無力だとただ嘆くことしか出来ないのだ。
図体だけデカくなって、中身は二十年前と同じだなと内心で嗤ってしまった。

「キスケ、痛いの?」
「何が、」
「キスケが痛くなる必要はないよ」
「……っ」

アメはそう言うと俺に屈むように言う。
なんだ? と思いながらも素直に従えば、アメはそのまま俺の頭を撫でる。
「大丈夫、大丈夫」そう言いながら。


――神様。神様。どうかあなたが傷ついてしまわないように。


「俺はてめぇを縛りたくはない」
「うん」
「でも、それでもてめぇが傷つかない為に俺はお前に願ってもいいか?」
「……いいよ。キスケがそれで安心するなら、――願って」

優しい神様。俺の神様。
どうか、どうか。

「――どうか願わくば、俺の元に帰ってきてくれ」

親指を勢いよく噛めば、ぷくりと歯型に沈んだ皮膚から血が滲む。
それを捧げればアメは静かに頷いた。

「うん。全部終わったらキスケのところにちゃんと帰るね」

約束ね、そう言ってアメはにこりと笑った。

















結局、その約束は果たされることはなかった。



















アメが土地神の後処理の為に居なくなる間、俺が庭の管理をすることになった。
曰く、「少しだけ時間が掛かるから、だからその間だけ庭をお願い」と。
俺は俺の仕事があるから早くしろよ、なんて。そんなことを言ったのは別に本心からそう思っていたわけではなく。
ただアメの居ない庭に独りぼっちで居たくなかった。理由なんてそんなもんだ。

「結局、帰って来なかったな」

あの後、村に降り注いでいた雨はすぐに止んだ。
けれどもアメは帰って来なかった。
アメとした約束が果たされなかったのは初めてのことだった。

どうして帰って来ないのか、とか。
もしかしたら何かあったのではないのか、とか。

悪い方に悪い方に考えては、あくる日もあくる日も庭でアメを待ち続けた。
自分の家の家財道具を庭にあるアメの家に持ってくる程度には、時間が経った。

――それでもアメは現れなかった。

そんなある日、とうとう自分の死期を悟ったのだ。
なんとなく、もうすぐ俺は死ぬのだろうと。
ロクな死に方は出来ないと思っていた俺が、寿命で逝くのだからそれは喜ぶべきことなのに。
人生のほんの一瞬を共に過ごした『アメ』という神様のことを、人生の大半をかけて覚えていようと必死なのだから自分の執着にも困ったものだと笑ってしまった。

「死んだら、会えんのかな」

――おい、アメ。聞いてんのかこら。

そんなことを呟いて、布団に身を沈める。
深く息を吸って、ゆっくりと吐いた。
……きっと死ぬなら今日だろう。
そんな予感がした。予感、というよりも勘というやつだろう。
長年彼々津村で暮らしてきた俺の、ただの勘だ。

瞼を閉じて、深く息をする。
この吐息がもしも、もしも最期にてめぇに届いたならば。この願いがもしもアメに届いたならば。
俺はもう一度、もう一度でいいから。

「てめぇに会いたい」

未練となってこの村に縛られてもいい。
ただ、ただ。俺の元に帰ってくると言ったアメを待っていてやりてぇんだ。


ここで、この庭で。
ただ、てめぇを待っていたい。
そのくらいの願いさえ叶えてくれないのならば、神なんて要らないと思うくらいには。


「……アメ、」



最期の吐息がもしも風になるのなら、どうか。どうか。
この願いを叶え給え。





















ふ、と目を開けるとそこは真っ白な空間だった。
ここはどこだろうかと辺りを見回しても、何もない。何せ真っ白だ。何かあっても見えないに近いのだろう。

「地獄はもっと暗い場所だと思ってたんだがな」

どうやら地獄は白いらしい。
そんなことを思っていれば、何かの足音が聞こえてくる。
とてとて、と小さなまるで子供のような足音だ。
どこかで聞き覚えのある歩幅だ、と思いハッと気づく。
ああ、これは、この懐かしい音は――

「アメ、なのか?」

そこに居るのか? てめぇ。姿くらい見せろよ。
そう言っても姿は見えない。精々、俺の周りを走り回る足音だけが頼りだ。
何を思って姿を見せないのだろう。もしかしたら姿を見せられないのかも知れない。
けど、そんなことはどうでもいい。

「おい、アメ! いい加減にしろ。てめぇは俺との約束破って、こんなところでナニしてんだ」

油売ってんじゃねぇよ。なんで庭に帰って来なかったんだ。
そう叫んで、何度も何度も言いたかった言葉をとうとう吐露してしまった。

「俺が、どれだけてめぇに会いたかったと思っていやがるんだ」

いいから、もういいから。
ぜんぶぜんぶ受け入れるから。
だからどうか、俺の前に姿を現してくれ。

「――キスケ」

背後から懐かしい声が聞こえてバッと振り向けば、少し離れたそこに背中を向けたアメが居た。

「あ、――アメ!」

何度も何度も追い求めた姿がそこにあって、たまらず走り出していた。

「止まって、キスケ」
「は? なんで……!」

なんで足が動かねぇんだよ、と焦ればアメは静かに言った。

「キスケ。約束守れなくてごめんね。本当は会いにいきたかった。でも出来なかった。だから、ごめんね」
「そんなの、もうどうでもいい! 頼むから、どうか……顔を、見せてくれ……っ」
「それは出来ない」
「なんで……っ」

だって、とアメは言う。

「顔を見せたらきっと、キスケに嫌われちゃう」
「……なに、言って?」
「ここはね、黄泉平坂の手前の道。要はあの世とこの世の境みたいなところ」
「おい、ナニ勝手に話を進めて」
「雨をね、降らせていた土地神の残滓を鎮めたの。でも、アメも一緒に眠ることになっちゃった。コダマの身体は土地神との二度の戦いには持たなかったみたいなんだ」

身体のないアメを認識できる人間はいない。
だから待つことにした。
この黄泉平坂の手前の道で、キスケのことをずっと待ってた。
キスケとした約束を果たす為に――

「……分かってたのか」
「二度は持たないって? ……ごめんね」

その発言はきっと、今まで会えなかった理由への答えなのだろう。

「なんで、あの時言わなかった」
「言えば、何かが解決したの?」

土地神の残滓が降り注ぐ呪いの雨は、やがて村を滅ぼしただろう。
あれをなんとかする為には、アメの犠牲が必要不可欠。コダマの身体には申し訳なかったけれども。

「それでもアメは、助けたかった。救いたかった」

それは神としての意思であり、神としての祈りであり、そうして彼々津村で過ごしたアメの願い。

「キスケはその道を進んだ方がいい」

先が見えない道が一本。真っ白な空間だけだったこの場所に、不意に現れた。
反対側にはアメの背中。

「この道を進めば、てめぇとは二度と会えねぇってか?」

返事はなかった。
きっと、この選択肢を違えたら俺という存在は二度と生まれないだろう。
臆病な俺は足を一歩、長い道のりに踏み出した。

……ああ、でも。まったくお前は、本当に仕方がねぇやつだな。

「そう言うならよ。少しは泣かねぇっていう演技はできなかったのかよ」
「……キスケ? なんで……っ!」

長い道のりから背を向けて、アメの居る方へ駆ける。その震える小さな身体を抱き締めたかった。道を違えた理由なんて、そんなもんだろ?
長い道のりは砂のように消えて跡形もなくなったが、後悔はない。

「ここで進めば、それこそ俺にとっての後悔になる」
「……き、すけ……っ」
「……ようやく、顔見せやがって」

話したいことがたくさんあるんだ。
てめぇの居なかった数十年は、ちょっとやそっとじゃ話きれる量じゃねぇぞ。
ああ、でもまずは――



「おかえり、アメ」



――俺の元に帰ってきてくれ。



その願いは今、ようやく叶った。
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