skdy夢突発短編
「勢羽ちゃーん!」
「うわ、また来たんですか?」
「ナニその反応⁉ 勢羽ちゃん! 一応お客さんが来たんだよ⁉」
言い方的にはまるで彼女が来たんだよ? とでも責めるような言い方ではあるが、まったくそんな事実はない。正直ない。悲しいかな、ない。
でも私は勢羽ちゃんが好きだ。大好きだ。この世界の何よりも大事にしたいと思っている。何せ、相手が勢羽ちゃんなので。意味が分からないかも知れないけれども私にとっての勢羽ちゃんはそういう存在だ。
「というかその勢羽ちゃんっていうの、やめてくれません?」
キッチンカーを見上げれば器用にクレープを焼く勢羽ちゃんに、何故? と首を傾げる。
「どうして? だって、勢羽ちゃんは勢羽ちゃんでしょ?」
「……アンタ……、はあ。まあいいや」
「うん。そんなことより勢羽ちゃん」
「そんなことって言ったよ、この人」
面倒くさそうな雰囲気は感じ取っていたけれども、いつものことなのでまったく気にしない。
そんなことより焼いたクレープ生地に生クリームと苺を乗せている勢羽ちゃんの手つきの方が気になってしまう。面倒くさそうなくせに仕事が丁寧だ。そんなところも好き。
いや、じゃなくて。
「そのクレープ、私まだ頼んでないんだよ?」
「アンタ食べるでしょ」
「食べるけどねー? 勢羽ちゃんが作ったものなら例え泥団子でも食べるけどねー? 私まだ頼んでないのよー」
そう言えば勢羽ちゃんは嫌々そうにこちらを向いて、「ナニ、食べたくないの?」と言う。
そんなことはない! と即座に反応する。
食べたいとか食べたくないとか、そういうことではなく、そうじゃなく。
「私が生クリームと苺のクレープ好きだって、言ったっけ? などと、思いまして……」
そう、私が困惑したのは迷いなく作られたそのクレープの中身のことである。
どう考えても勢羽ちゃんは私がその味のクレープを好きだと知っているような、迷いのない手つきだった。なんでそんなこと知ってるの? と更に首を傾げてしまう。内心は困惑しかない。だって記憶が正しければ言ったことはないもの。いつも頼むのはその時に目に入ったものだったりと、そういうランダム的なことをわりと楽しんでいたし。
だから私が生クリームと苺が入ったそのクレープを好きだなんて、そんなことを勢羽ちゃんが知っているわけもないのだ。
でも勢羽ちゃんはくるんとやはり器用にクレープを巻いてそのまま綺麗に紙の中に入れれば、まるで当然だと言わんばかりにそのクレープを渡してくる。
「はい、八百円でーす」
「あ、お金取るんだね⁉」
「当たり前でしょ。商売なんだから」
「そりゃそうだけどー。今の流れはくれる流れじゃん」
そう言いながらも素直に財布は取り出す。無銭飲食なんかで捕まりたくないしね!
ちょうど八百円を取り出し、勢羽ちゃんに渡す。
勢羽ちゃんは表情を変化させることはあまりないが、まるでそんなやり取りを少しだけ楽しんでいるかのような、そんな顔をするからこちらまで嬉しくなってしまう。八百円で幸せが買えるのだから恋というのはある意味お手軽であり、不思議なものである。
勢羽ちゃんに恋をしてからこの世界は毎日きらきら輝いているし、どんな血風が私の頬を撫でようとも振り払うくらいにはまた勢羽ちゃんに会いたいっていう気持ちが湧いてくる。だから何がなんでもいつも生きようとも思う。死にたくないと思ってしまう。まあ、私を殺せる殺し屋なんてこの世界にそんなには存在しないだろうけれども。
好きで、好きで、大好きで。
――だからこそ、思うのだ。
(もし勢羽ちゃんに私が殺し屋だってバレたら……)
きっともう、こんな風に勢羽ちゃんの元を訪れることは出来なくなっちゃうんだろうな。
仕方がないことではあるけれども、決して誰かに誇れる仕事ではないというのも分かってはいるから。
命を奪う仕事というのはそういうこと。誰かの幸せを奪うということでもあるから。だからこそ身に刻み込まなければならない。私は、幸せを奪う仕事をしているのだと。
とはいえ別にこの仕事が決して嫌だというわけでもないのだけれども。私にとって殺しの仕事は天職だし。
でも、と思う。もしも、何か人生の道が違って殺し屋になる前に勢羽ちゃんと出逢えていたならば。
(……やめよう)
もしもの話なんて、今となってはどうにも出来ない話なのだから。
「どうかした?」
「……ん、えっ⁉ せ、せせせ勢羽ちゃん⁉ なんでこんな近くに居るの⁉」
「アンタが黙りこくってたから気にしてやったのに、その言い草なに?」
「せ、勢羽ちゃん……ち、近い……んですけど……?」
「近くて何か困ることあんの?」
「……イイエ、ナニモ」
「……ふぅん。あっそ」
キッチンカーから降りたのか、すぐ近くまで顔を近づけていた勢羽ちゃんに驚いて思わず仰け反る。
そうして少しずつ後ずされば、少しずつ近付いてくる勢羽ちゃん。
一歩下がれば一歩近づく勢羽ちゃんにもうどうしたら良いのだろう? と叫び出したくなる。
これ以上勢羽ちゃんのことを好きにさせてどうしたいの⁉ 勢羽ちゃん!
そう思いの丈を叫んでしまいたい程には頭の中が一気に勢羽ちゃんでいっぱいになる。
勢羽ちゃんは何か思うところがあったのか、それとも何かに納得したのか。
ふぅん、とまた呟いて少し考えたあと私を見下ろす。決して自分が背が小さい方ではないのは分かっているが、勢羽ちゃんに見下ろされると若干の興奮さえ覚えるね。というか勢羽ちゃん本当に格好いいなぁ。
なんて考えながら勢羽ちゃんを静かに見上げていれば、勢羽ちゃんは何か満足したかのように、ふ、と小さく笑う。それを見た瞬間、心臓がぎゅんっと鳴って永久停止するところだった。急な笑顔は危う過ぎるよ、勢羽ちゃん……。
「それで、いつ食べるの?」
「え?」
「クレープ」
「あっ」
両手の中にはクレープ。握り締めることはなく、絶妙な力加減で持っている自分に驚いた。恥ずかしい程の食い意地の張りようと、勢羽ちゃんへの恋心に笑ってしまいたくなる。
大好きな勢羽ちゃんが見ている中、勢羽ちゃんが作ったクレープを食べるのはそれでもかなり恥ずかしい。
恥ずかしいが朝から何も食べていないお腹は早く食べさせろとばかりに小さく悲鳴を上げた。その音を聞いた勢羽ちゃんが耐えきれないとばかりにクッと笑ったので、どんどん顔に熱が溜まっていくのが分かった。
恥ずかしい。こんなにも恥ずかしい思いをしたのは神々廻くんの前で三回転くらい転んだ時以来だ。あの時も相当恥ずかしかったなぁ。でもあの時は南雲くんの前で転ばなかっただけ良かったとも思う。たぶん三年くらいは思い出して笑われていた上に、からかわれていたかも知れないからね!
神々廻くんは転んだ私を面倒くさそうな顔をしながら立たせて「アンタ、人殺す時はしゃきっとしとるんに普通の時はとろくさいなぁ……目ぇ離せんて、こんなん」と仕方がなさそうにぼそぼそと言われたのを思い出す。そんな幼稚園児を見ている先生みたいな言葉を言われるとは思わなかったなぁ。素直に言えば、「なんや、今ので分からんのか……」と大きな溜め息を吐かれたのを思い出す。
なんて意識を飛ばしていれば勢羽ちゃんが声を掛けてきた。
「アンタ、食べないの?」
「た、食べるよ!」
「じゃあ、どうぞ?」
「あのさ、勢羽ちゃん。その前にいい?」
「ナニ」
「お店の前、行列出来てるけど……」
「ああ、田中さんに任せとけば?」
「その田中さんが助けを求める仔犬のような目で見てるのに?」
「別に俺は……」
何かを言いかけた勢羽ちゃんの声を遮ったのは、背後でせっせとクレープを焼いている田中さん。
「勢羽ちゃーーーん! 助けて!」
「……っち」
わお、あの勢羽ちゃんが舌打ちしただと⁉
そのことに驚きながら目をぱちくりとさせていれば、勢羽ちゃんは面倒くさそうに溜め息を吐いたあと、仕方がなさそうにくるりと背を向ける。
「それ、ちゃんと食べてよね」
「え、……うん! もちろん!」
「じゃ、また」
「ま、またね! 勢羽ちゃん!」
顔が真っ赤になる自覚がある。勢羽ちゃん……やっぱり好きだ。
またね、またね、かあ。
また会っていいんだ。また会いに来ていいんだ。
……私、勢羽ちゃんに会いに来てもいいんだ。
そうやって跳ね上がる心があるくせに、今すぐにでも告白したい気持ちだってあるのに。それでも何処かでその気持ちにブレーキが掛かるのだ。
だって私は殺し屋だから。血で染まったこの赤い手のひらで勢羽ちゃんの大切なものには触れられない。
(いつかこの想いが加速して、いつか止まらなくなってしまったら)
その時はどうしたらいいのだろうか?
だって私、勢羽ちゃんが好きで。大好きで。
いつかその想いがぽろりと口から洩れ出てしまったら……。
それが何よりも怖い。
だって絶対に受け入れて貰えない。
例え何かの奇跡があって私という個を受け入れて貰えたとして。そのあと私が殺し屋だとバレた時。その時はきっと勢羽ちゃんは私のことを軽蔑する。
だから決めているの。死ぬまでこの気持ちを隠し通すって。
手の中にあるクレープを見て、少しだけ見つめたあと、ぱくりと口に含む。
どろりと手首に伝う白いクリームが一瞬赤く見え、心が少し落ち着くのだから困ったものだ。
結局、私はそちら側の人間なのだろう。いっそ悲しくなれたなら良かったのに。それでも、どう足掻いても私は殺し屋。
口内に広がる甘い味だけが、この凪いだ気持ちの中で何処か異質で。でも、それはどうしたって代え難い――現実なのだ。
****
「遅いよ勢羽ちゃーん……って、なんか怒ってる?」
「田中さんがさっさと客を捌かないからですよ」
「でもここに居る全員、勢羽ちゃん目当てだからぜんっぜん帰ってくれなくてさー」
「せっかく……」
「なんか言った? 勢羽ちゃん」
「田中さんが無能だなーって」
そう言えば田中さんはギャーギャー騒いでいたが、内心穏やかではない。
たまに来てはクレープを買っていそいそと帰る女に声を掛けた。それだけだった。……それだけの筈だった。
(せっかく、話すチャンスだったのに)
あの女がどういう仕事をしていて、どんな性格で、どんなものを好むのか。
何も知らない。何も知らないアイツを知りたいと思った。
それだけの話。
それだけの筈だった話。
(あー……次、いつ来るんだろ)
しがないクレープ屋で在る今は探る術もない。
それでもいつか、アイツのことを知ることが出来るだろうか?
(あ、でも)
「勢羽ちゃん! ぼーっとしてないで次! 次、焼いて⁉」
「はいはい、田中さんホントうるさいですねー」
アイツに勢羽ちゃんって呼ばれえるの、別に言うほど嫌じゃないんだよなー、って次に会ったら言いてぇな。
「うわ、また来たんですか?」
「ナニその反応⁉ 勢羽ちゃん! 一応お客さんが来たんだよ⁉」
言い方的にはまるで彼女が来たんだよ? とでも責めるような言い方ではあるが、まったくそんな事実はない。正直ない。悲しいかな、ない。
でも私は勢羽ちゃんが好きだ。大好きだ。この世界の何よりも大事にしたいと思っている。何せ、相手が勢羽ちゃんなので。意味が分からないかも知れないけれども私にとっての勢羽ちゃんはそういう存在だ。
「というかその勢羽ちゃんっていうの、やめてくれません?」
キッチンカーを見上げれば器用にクレープを焼く勢羽ちゃんに、何故? と首を傾げる。
「どうして? だって、勢羽ちゃんは勢羽ちゃんでしょ?」
「……アンタ……、はあ。まあいいや」
「うん。そんなことより勢羽ちゃん」
「そんなことって言ったよ、この人」
面倒くさそうな雰囲気は感じ取っていたけれども、いつものことなのでまったく気にしない。
そんなことより焼いたクレープ生地に生クリームと苺を乗せている勢羽ちゃんの手つきの方が気になってしまう。面倒くさそうなくせに仕事が丁寧だ。そんなところも好き。
いや、じゃなくて。
「そのクレープ、私まだ頼んでないんだよ?」
「アンタ食べるでしょ」
「食べるけどねー? 勢羽ちゃんが作ったものなら例え泥団子でも食べるけどねー? 私まだ頼んでないのよー」
そう言えば勢羽ちゃんは嫌々そうにこちらを向いて、「ナニ、食べたくないの?」と言う。
そんなことはない! と即座に反応する。
食べたいとか食べたくないとか、そういうことではなく、そうじゃなく。
「私が生クリームと苺のクレープ好きだって、言ったっけ? などと、思いまして……」
そう、私が困惑したのは迷いなく作られたそのクレープの中身のことである。
どう考えても勢羽ちゃんは私がその味のクレープを好きだと知っているような、迷いのない手つきだった。なんでそんなこと知ってるの? と更に首を傾げてしまう。内心は困惑しかない。だって記憶が正しければ言ったことはないもの。いつも頼むのはその時に目に入ったものだったりと、そういうランダム的なことをわりと楽しんでいたし。
だから私が生クリームと苺が入ったそのクレープを好きだなんて、そんなことを勢羽ちゃんが知っているわけもないのだ。
でも勢羽ちゃんはくるんとやはり器用にクレープを巻いてそのまま綺麗に紙の中に入れれば、まるで当然だと言わんばかりにそのクレープを渡してくる。
「はい、八百円でーす」
「あ、お金取るんだね⁉」
「当たり前でしょ。商売なんだから」
「そりゃそうだけどー。今の流れはくれる流れじゃん」
そう言いながらも素直に財布は取り出す。無銭飲食なんかで捕まりたくないしね!
ちょうど八百円を取り出し、勢羽ちゃんに渡す。
勢羽ちゃんは表情を変化させることはあまりないが、まるでそんなやり取りを少しだけ楽しんでいるかのような、そんな顔をするからこちらまで嬉しくなってしまう。八百円で幸せが買えるのだから恋というのはある意味お手軽であり、不思議なものである。
勢羽ちゃんに恋をしてからこの世界は毎日きらきら輝いているし、どんな血風が私の頬を撫でようとも振り払うくらいにはまた勢羽ちゃんに会いたいっていう気持ちが湧いてくる。だから何がなんでもいつも生きようとも思う。死にたくないと思ってしまう。まあ、私を殺せる殺し屋なんてこの世界にそんなには存在しないだろうけれども。
好きで、好きで、大好きで。
――だからこそ、思うのだ。
(もし勢羽ちゃんに私が殺し屋だってバレたら……)
きっともう、こんな風に勢羽ちゃんの元を訪れることは出来なくなっちゃうんだろうな。
仕方がないことではあるけれども、決して誰かに誇れる仕事ではないというのも分かってはいるから。
命を奪う仕事というのはそういうこと。誰かの幸せを奪うということでもあるから。だからこそ身に刻み込まなければならない。私は、幸せを奪う仕事をしているのだと。
とはいえ別にこの仕事が決して嫌だというわけでもないのだけれども。私にとって殺しの仕事は天職だし。
でも、と思う。もしも、何か人生の道が違って殺し屋になる前に勢羽ちゃんと出逢えていたならば。
(……やめよう)
もしもの話なんて、今となってはどうにも出来ない話なのだから。
「どうかした?」
「……ん、えっ⁉ せ、せせせ勢羽ちゃん⁉ なんでこんな近くに居るの⁉」
「アンタが黙りこくってたから気にしてやったのに、その言い草なに?」
「せ、勢羽ちゃん……ち、近い……んですけど……?」
「近くて何か困ることあんの?」
「……イイエ、ナニモ」
「……ふぅん。あっそ」
キッチンカーから降りたのか、すぐ近くまで顔を近づけていた勢羽ちゃんに驚いて思わず仰け反る。
そうして少しずつ後ずされば、少しずつ近付いてくる勢羽ちゃん。
一歩下がれば一歩近づく勢羽ちゃんにもうどうしたら良いのだろう? と叫び出したくなる。
これ以上勢羽ちゃんのことを好きにさせてどうしたいの⁉ 勢羽ちゃん!
そう思いの丈を叫んでしまいたい程には頭の中が一気に勢羽ちゃんでいっぱいになる。
勢羽ちゃんは何か思うところがあったのか、それとも何かに納得したのか。
ふぅん、とまた呟いて少し考えたあと私を見下ろす。決して自分が背が小さい方ではないのは分かっているが、勢羽ちゃんに見下ろされると若干の興奮さえ覚えるね。というか勢羽ちゃん本当に格好いいなぁ。
なんて考えながら勢羽ちゃんを静かに見上げていれば、勢羽ちゃんは何か満足したかのように、ふ、と小さく笑う。それを見た瞬間、心臓がぎゅんっと鳴って永久停止するところだった。急な笑顔は危う過ぎるよ、勢羽ちゃん……。
「それで、いつ食べるの?」
「え?」
「クレープ」
「あっ」
両手の中にはクレープ。握り締めることはなく、絶妙な力加減で持っている自分に驚いた。恥ずかしい程の食い意地の張りようと、勢羽ちゃんへの恋心に笑ってしまいたくなる。
大好きな勢羽ちゃんが見ている中、勢羽ちゃんが作ったクレープを食べるのはそれでもかなり恥ずかしい。
恥ずかしいが朝から何も食べていないお腹は早く食べさせろとばかりに小さく悲鳴を上げた。その音を聞いた勢羽ちゃんが耐えきれないとばかりにクッと笑ったので、どんどん顔に熱が溜まっていくのが分かった。
恥ずかしい。こんなにも恥ずかしい思いをしたのは神々廻くんの前で三回転くらい転んだ時以来だ。あの時も相当恥ずかしかったなぁ。でもあの時は南雲くんの前で転ばなかっただけ良かったとも思う。たぶん三年くらいは思い出して笑われていた上に、からかわれていたかも知れないからね!
神々廻くんは転んだ私を面倒くさそうな顔をしながら立たせて「アンタ、人殺す時はしゃきっとしとるんに普通の時はとろくさいなぁ……目ぇ離せんて、こんなん」と仕方がなさそうにぼそぼそと言われたのを思い出す。そんな幼稚園児を見ている先生みたいな言葉を言われるとは思わなかったなぁ。素直に言えば、「なんや、今ので分からんのか……」と大きな溜め息を吐かれたのを思い出す。
なんて意識を飛ばしていれば勢羽ちゃんが声を掛けてきた。
「アンタ、食べないの?」
「た、食べるよ!」
「じゃあ、どうぞ?」
「あのさ、勢羽ちゃん。その前にいい?」
「ナニ」
「お店の前、行列出来てるけど……」
「ああ、田中さんに任せとけば?」
「その田中さんが助けを求める仔犬のような目で見てるのに?」
「別に俺は……」
何かを言いかけた勢羽ちゃんの声を遮ったのは、背後でせっせとクレープを焼いている田中さん。
「勢羽ちゃーーーん! 助けて!」
「……っち」
わお、あの勢羽ちゃんが舌打ちしただと⁉
そのことに驚きながら目をぱちくりとさせていれば、勢羽ちゃんは面倒くさそうに溜め息を吐いたあと、仕方がなさそうにくるりと背を向ける。
「それ、ちゃんと食べてよね」
「え、……うん! もちろん!」
「じゃ、また」
「ま、またね! 勢羽ちゃん!」
顔が真っ赤になる自覚がある。勢羽ちゃん……やっぱり好きだ。
またね、またね、かあ。
また会っていいんだ。また会いに来ていいんだ。
……私、勢羽ちゃんに会いに来てもいいんだ。
そうやって跳ね上がる心があるくせに、今すぐにでも告白したい気持ちだってあるのに。それでも何処かでその気持ちにブレーキが掛かるのだ。
だって私は殺し屋だから。血で染まったこの赤い手のひらで勢羽ちゃんの大切なものには触れられない。
(いつかこの想いが加速して、いつか止まらなくなってしまったら)
その時はどうしたらいいのだろうか?
だって私、勢羽ちゃんが好きで。大好きで。
いつかその想いがぽろりと口から洩れ出てしまったら……。
それが何よりも怖い。
だって絶対に受け入れて貰えない。
例え何かの奇跡があって私という個を受け入れて貰えたとして。そのあと私が殺し屋だとバレた時。その時はきっと勢羽ちゃんは私のことを軽蔑する。
だから決めているの。死ぬまでこの気持ちを隠し通すって。
手の中にあるクレープを見て、少しだけ見つめたあと、ぱくりと口に含む。
どろりと手首に伝う白いクリームが一瞬赤く見え、心が少し落ち着くのだから困ったものだ。
結局、私はそちら側の人間なのだろう。いっそ悲しくなれたなら良かったのに。それでも、どう足掻いても私は殺し屋。
口内に広がる甘い味だけが、この凪いだ気持ちの中で何処か異質で。でも、それはどうしたって代え難い――現実なのだ。
****
「遅いよ勢羽ちゃーん……って、なんか怒ってる?」
「田中さんがさっさと客を捌かないからですよ」
「でもここに居る全員、勢羽ちゃん目当てだからぜんっぜん帰ってくれなくてさー」
「せっかく……」
「なんか言った? 勢羽ちゃん」
「田中さんが無能だなーって」
そう言えば田中さんはギャーギャー騒いでいたが、内心穏やかではない。
たまに来てはクレープを買っていそいそと帰る女に声を掛けた。それだけだった。……それだけの筈だった。
(せっかく、話すチャンスだったのに)
あの女がどういう仕事をしていて、どんな性格で、どんなものを好むのか。
何も知らない。何も知らないアイツを知りたいと思った。
それだけの話。
それだけの筈だった話。
(あー……次、いつ来るんだろ)
しがないクレープ屋で在る今は探る術もない。
それでもいつか、アイツのことを知ることが出来るだろうか?
(あ、でも)
「勢羽ちゃん! ぼーっとしてないで次! 次、焼いて⁉」
「はいはい、田中さんホントうるさいですねー」
アイツに勢羽ちゃんって呼ばれえるの、別に言うほど嫌じゃないんだよなー、って次に会ったら言いてぇな。
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