夢術
大好き。そう笑って逝った彼女の幻影を求めてしまう自分は愚かなのだろうか?
棘くん、と甘い声で呼ばれるのが好きだった。彼女に名前を呼ばれると幸せな気分になれた。
優しくて、明るくて、誰よりも守りたかった彼女を殺したのは自分のようなものなのだ。
そんなことを考えながら空を見上げる。其処には白い煙が上に上にと昇るように高く上がっていた。
彼女の亡骸は狗巻家が引き取った。勿論、色々なことがあったが五条悟という強い味方のお陰で穏便に事は済んだ。
自分だけの力では無理だったのは悔しいが。それでももう二度と彼女があの家に囚われることはないのだと、そう思えばそんな悔しさは霧散した。
静かに空を見上げる自分は、今どんな顔をしているのだろうか?
涙はあの日、流すだけ流してしまったから、もう流れることはないだろう。
「……当主様?」
ふと、地面に近い場所から声がした。小さくて蚊の鳴くような声だったけれども、しかとこの耳は拾い上げた。
「ツナマヨ」
「え、ええと……」
戸惑ったような顔をしたその子——彼女がきっとこの世界で最も大切にしていたであろうその子は、遠慮がちに自分の顔色を伺う。その瞳の色は——翠。翡翠のような、とも捉えられるが、自分はこの子の瞳の色を例える時にやはりこう思うのだ。
「わ、わたしの顔に何か付いていますか?」
「明太子」
きっとこの子はこう考えていることだろう。「どうして母様はこの人と会話が出来たのだろうか?」と。
そればかりはこの子にも頑張って貰わねばならないのだが。自分はこの子を傷付ける意思はないのだから。
そんなことを考えていたら子供は新緑のような瞳をぱちぱちと瞬かせる。それがなんだか彼女と重なって、思わず目を細めた。
「あの、えっと……」
戸惑うよう子供は、それでも諦めずに自分に話し掛けてくる。
両親はこの世界から居なくなり、この子の身元保証人は今は自分。もし捨てられたら、と不安に思うのかも知れない。
そんなことをするわけがないのに。
何よりも誰よりも大事な彼女が遺した。そんな彼女の子を捨てるわけがない。
「ツナマヨ」
「えぇ……」
今にも泣きそうな顔で自分を見上げてくる緑の目が不安で溢れたのか揺れる。
さすがに自分の言葉が届く誰かを呼んだ方がいいだろうか? そう思った時であった。
「あ、あの! もしかして、心配……してくれているのですか?」
「……しゃけ」
「『しゃけ』は、そうだよって意味ですよね……?」
「……高菜」
「え、高菜⁉」
ええと、と頭を捻るこの子は考え込んでいた。それがなんだか初めて彼女と出逢った時の彼女の反応に似ていて、思わず意地悪をしたくなったのだ。
「しゃけ、しゃけ」
「うぅん。やっぱ当主様の言葉は難しいです。でも、わたし頑張って分かるようになります」
だから、あの、と小さくその子供は指先をもじもじとさせながら言う。
「わたしのこと、しばらくでいいです。ここに置いてください」
子供らしくない言葉遣いも、その態度も、きっと彼女がこの子を守る為に身に着けさせたのだろう。いや、そう在らねばこの子も自分のことを自分で守れなかったのかも知れない。
ポンッと子供の頭を撫でる。子供は一瞬身構えたけれども、思っていたのと違ったのだろう。目をぱちくりとさせていた。
「しゃけ」
「……ありがとう、ございます」
嬉しそうに笑うこの子は、そうだった! と声を上げる。
「わたし、当主様にちゃんと名乗ってなかった! ……です」
一生懸命話す子供は、ようやく安心したとばかりに小さく笑みを浮かべて言った。
「わたしの名前、いばら、です。棘って書いて、いばらと読みます」
子供の言葉に、ああ、そうか。と、空を仰いだ。彼女はやはり宝箱みたいだ。
こんな幸せなことをまだ残しておいてくれるのだから。
散々泣いて、もう出ないと思っていた涙が溢れ出す。
膝を折って、子供を抱き締めた。ただこの温もりがいとおしかった。
彼女が遺してくれた忘れ形見だけは、絶対に自分が守ろう。
二度と悲劇は繰り返させない。絶対に。……絶対に。
棘くん、と甘い声で呼ばれるのが好きだった。彼女に名前を呼ばれると幸せな気分になれた。
優しくて、明るくて、誰よりも守りたかった彼女を殺したのは自分のようなものなのだ。
そんなことを考えながら空を見上げる。其処には白い煙が上に上にと昇るように高く上がっていた。
彼女の亡骸は狗巻家が引き取った。勿論、色々なことがあったが五条悟という強い味方のお陰で穏便に事は済んだ。
自分だけの力では無理だったのは悔しいが。それでももう二度と彼女があの家に囚われることはないのだと、そう思えばそんな悔しさは霧散した。
静かに空を見上げる自分は、今どんな顔をしているのだろうか?
涙はあの日、流すだけ流してしまったから、もう流れることはないだろう。
「……当主様?」
ふと、地面に近い場所から声がした。小さくて蚊の鳴くような声だったけれども、しかとこの耳は拾い上げた。
「ツナマヨ」
「え、ええと……」
戸惑ったような顔をしたその子——彼女がきっとこの世界で最も大切にしていたであろうその子は、遠慮がちに自分の顔色を伺う。その瞳の色は——翠。翡翠のような、とも捉えられるが、自分はこの子の瞳の色を例える時にやはりこう思うのだ。
「わ、わたしの顔に何か付いていますか?」
「明太子」
きっとこの子はこう考えていることだろう。「どうして母様はこの人と会話が出来たのだろうか?」と。
そればかりはこの子にも頑張って貰わねばならないのだが。自分はこの子を傷付ける意思はないのだから。
そんなことを考えていたら子供は新緑のような瞳をぱちぱちと瞬かせる。それがなんだか彼女と重なって、思わず目を細めた。
「あの、えっと……」
戸惑うよう子供は、それでも諦めずに自分に話し掛けてくる。
両親はこの世界から居なくなり、この子の身元保証人は今は自分。もし捨てられたら、と不安に思うのかも知れない。
そんなことをするわけがないのに。
何よりも誰よりも大事な彼女が遺した。そんな彼女の子を捨てるわけがない。
「ツナマヨ」
「えぇ……」
今にも泣きそうな顔で自分を見上げてくる緑の目が不安で溢れたのか揺れる。
さすがに自分の言葉が届く誰かを呼んだ方がいいだろうか? そう思った時であった。
「あ、あの! もしかして、心配……してくれているのですか?」
「……しゃけ」
「『しゃけ』は、そうだよって意味ですよね……?」
「……高菜」
「え、高菜⁉」
ええと、と頭を捻るこの子は考え込んでいた。それがなんだか初めて彼女と出逢った時の彼女の反応に似ていて、思わず意地悪をしたくなったのだ。
「しゃけ、しゃけ」
「うぅん。やっぱ当主様の言葉は難しいです。でも、わたし頑張って分かるようになります」
だから、あの、と小さくその子供は指先をもじもじとさせながら言う。
「わたしのこと、しばらくでいいです。ここに置いてください」
子供らしくない言葉遣いも、その態度も、きっと彼女がこの子を守る為に身に着けさせたのだろう。いや、そう在らねばこの子も自分のことを自分で守れなかったのかも知れない。
ポンッと子供の頭を撫でる。子供は一瞬身構えたけれども、思っていたのと違ったのだろう。目をぱちくりとさせていた。
「しゃけ」
「……ありがとう、ございます」
嬉しそうに笑うこの子は、そうだった! と声を上げる。
「わたし、当主様にちゃんと名乗ってなかった! ……です」
一生懸命話す子供は、ようやく安心したとばかりに小さく笑みを浮かべて言った。
「わたしの名前、いばら、です。棘って書いて、いばらと読みます」
子供の言葉に、ああ、そうか。と、空を仰いだ。彼女はやはり宝箱みたいだ。
こんな幸せなことをまだ残しておいてくれるのだから。
散々泣いて、もう出ないと思っていた涙が溢れ出す。
膝を折って、子供を抱き締めた。ただこの温もりがいとおしかった。
彼女が遺してくれた忘れ形見だけは、絶対に自分が守ろう。
二度と悲劇は繰り返させない。絶対に。……絶対に。
