夢術廻戦
灰色の空は、変わらず暗く。
雨に濡れたままでは空を飛ぶことすら、許されない。
「約束したの」
その御方、この家の当主様は、虚ろな世界を漂いながら、ぽつりと零された。
当主には呪いが掛けられている。持って今夜中だろう。そう言われている。
おつらいだろうに、当主はさっさとお世継ぎであられる方を次代当主に据え、自分の後始末を済ませると部屋に籠られた。
その部屋に入ることを許可された人間は、何故かこの家に仕えて日の浅い俺だけだった。
呪術師の世界は非情だ。今日生きていた仲間や知り合いが明日には死んでいるのだから当然かとも思うが。
だからなのか? 当主は決して自分が呪いを掛けられていることを口外するなと厳しく他の者たちに伝えている。
「恐れながら、おれ、……私などが最期の共で宜しかったのでしょうか?」
「はは、そうね。……そうね、」
当主は眠たそうにそう呟くと、一言。
「約束したの」
「約束、ですか?」
「ええ、約束」
それだけを言うと当主は俺を見る。その両の目は薄い灯りを付けているだけの部屋でもしっかりと分かる程の、綺麗な緑眼。ありきたりな言葉ではあるが、まるで宝石みたいだと思った。
「お前が、私のことを真正面からちゃんと見るでしょう? それが私は結構嬉しかったのよ」
この閉鎖され、縛られた世界の中で、私に光を与えてくれた。久しぶりに会えた貴方が。
「久しぶり、ですか?」
「ふふ、私ね。結構輪廻転生とか信じてるタチなのよ?」
「は、はあ……」
話の意図が分からず、困惑する。
「ああ、そう。私がお前を私の傍に置いた理由だけれども……」
そこで当主は一区切り付けると、俺を見て、そうして今にも泣き出してしまいそうな表情をしながら言った。
「灰原さん……」
「は、い。あの、当主? 確かにおれ、いや、私は灰原ですが。さん付けは……」
不味いのではなかろうか? と困惑する。
灰原とは自分の姓だ。それが何か都合が悪いことでもあったのだろうか?
「と、当主? あの……」
「私は、あなたにもう一度会えて、嬉しかったです」
「ええと……」
当主はどこか遠くを、俺でないどこか遠くを見ているような、そんな気がした。
まるで俺を通して俺ではない違う人を見ているような。
「灰原、さん……私、約束……守れましたか?」
「え、っと……」
当主の翡翠のような瞳から、ゆっくりと色が失われていくのが分かった。
嗚呼、当主が逝ってしまう。このまま俺が何も言わなかったら、きっと当主を後悔させたまま逝かせてしまう。
「頑張ったよ」
スルッと喉から出てきた言葉は、まるで自分の声ではないような違和感を抱きながら、それでも俺は何度も、何度も「頑張ったよ」と当主に伝えていた。
「う、れし……な、……灰原、せんぱ……」
そこで当主の声は途切れた。
翡翠の瞳は固く閉じられ、少しかさついた唇はゆるく開いていた。
『灰原先輩!』
脳裏に嬉しそうに笑う、今よりも少しだけ若い当主の姿が何故だか浮かんだ。
「どうして……?」
どうして、自分は泣いているのだろう。
どうして、こんなにも悲しいのだろう。
当主に仕えてから日の浅い自分を目にかけてくれた。優しくしてくれた。
ただ、それだけではないか?
──本当に、それだけなのだろうか?
「ぅ、ぁ……っ!」
それを知っていたであろう当主はもう居ない。
俺は早く当主の死を他の者たちに知らせに行かなければいけないのに。
何故だか動けないでいる。
悲しいと、この身に宿る魂が叫んでいる。
当主の魂の抜けた躰の傍でただただ縋るでもなく、身体を丸めて、まるで子供のように涙を流す。
当主は柔らかな表情で亡くなった。
まはで憑き物でも落ちたかのように。
ようやく、解放されたとでも言うかのように。
***
「灰原先輩!」
「あれ? どうしたの?」
「また来たんですか? 暇ですね、あなたも」
「七海先輩には用はないですー! そんなことより灰原先輩! 今度任務が終わったら私といい加減デートしてくださいよー」
「あはは、うーん。そうだなぁ……」
じゃあ、可愛い後輩に免じて。
この約束が守れたらいいよ?
「絶対任務なんかで死なないこと」
「……いや、結構それ無理ゲーですけど!?」
「諦めなさい。灰原は貴女に自分のことは諦めろと言っているんです」
「いやでーす! というか七海先輩には聞いてませーん!」
「後輩ながら七海にその態度取れるの凄いよねぇ」
「灰原も少しは自分で、」
「いやでも、七海の言いたいこと、一個違うかなぁ?」
「は?」
俺はね、
「きみに生きていて欲しいんだ。任務なんかで命を落とさないで欲しい。ちゃんと往生して欲しい。それが守れたら、例え俺が死んでもきみの傍になんとかして居るからさ」
「灰原先輩が死ぬとか考えられないんですけど。というか、どうやったら死んだら傍に居るとか言えるんですかー」
「えー、……んー。閻魔様を脅しちゃうとか?」
***
「灰原、先輩……っ!」
地下の遺体安置室。
そこで見たのは灰原先輩の遺体だった。
あれ? 今日の天気なんだったっけ? とか。
デートの約束結局躱されたな? とか。
そんなどうでもいいことばかりが脳裏を浮かんでは去っていく。
認めたくなくて。灰原先輩が死んだことを。絶対に認めたくなくて。
でも、隣で瞼を真っ赤に染めた七海先輩があまりにつらそうで。私は、種類は違えども二人とも大好きだったから。
泣くことさえ、出来なかったの。
泣いたら認めてしまうことになるから。
灰原先輩が死んた事を。居なくなってしまったことを。認めてしまうことになるから。
「……七海先輩。私、死なないです」
「何を?」
「灰原先輩、あの日言ってました。自分が死んでも私の傍に行くから。往生して欲しいって」
そうしたら、閻魔様を脅してでも傍に居てくれるって。
「だから私が死ぬのは、天寿が来る時だけです」
「この世界で、まだそんな綺麗事を? 馬鹿ですね。貴女も……」
灰原も。そんな呪いみたいな言葉、遺さなくても良かっただろうに。
七海先輩がそんな言葉を吐いていた。呪いでも良かった。私の中に灰原先輩が居てくれるなら。なんでも良かった。
それからと言うもの私は本当に死ななかった。
この呪いが掛かるまで、危険に晒されることは何度もあったけれども。それでも決して、死ななかった。
長かった。とても、この日が来るまで。
呪術師の世界でもそこそこ有名な家の当主になり、決められた婚約者との間に子供を設けた頃合だったかな?
その呪いは唐突に掛けられた。
それと同じくらいの時に、あの人に出逢ってしまったのだ。
「灰原と申します! 誠心誠意尽くします。よろしくお願い申し上げます!」
その姿は、魂の色は。灰原先輩そのもので。思わず目を見開いたのを覚えている。
灰原先輩。本当に閻魔様脅して来てくれたんですか?
でも、タイミング相変わらず悪すぎですよ……。私、これから死んじゃうのに。
死期が近づいたら呪いと共に死のうと決めていた。一種の呪い返しみたいなものだったのだが。
この人の傍に居るのが心地良かった。きっと彼は何故自分に優しくしてくれるかなんて分からなかっただろうけれども。
「約束したの」
聞かれたからそう言ったのに、当然ながら貴方は覚えてなくて。
泣き出して、縋りついて、貴方に出会えて幸せでしたと伝えたくて。
でも、本当に伝えたいのは貴方ではなくて。
あの日に死んだ灰原先輩で。
最期の息を吐き出すその瞬間。
彼の背後に、あの日失ったままの姿の灰原先輩が見えた気がした。
「頑張ったよ」
にっこりと微笑む灰原先輩は、私に手を差し出す。
私はそれを無意識に掴むと、灰原先輩は「行こう」と告げてきた。
「何処に、行くんですか?」
「んー、そうだね。あの日行き損ねた、デートでもしよっか」
「ふふ、本当に焦らし上手ですね、灰原先輩は。……何処まででも行きますよ。灰原先輩がずっと傍に居てくれるなら、何処へで着いて行きます」
「おや、待たせちゃったのに相変わらず可愛い後輩だことで」
「待たせたのは本当ですよ! 灰原先輩じゃなかったら許しませんでした!」
でも、これからはずっと一緒。だから許すんです。
そう言えば灰原先輩は、驚いた顔をしたあとに、私の大好きだった顔で微笑んで、先程握った手を今度はしっかりと繋いできた。
「何処へでも行こっか。きみが行きたいところ全部。何処へでも」
「はい! 灰原先輩!」
灰色だった空は青くなり。
高く、広く、鳥のように飛ぼう。
二人傍で手を繋げば、何も怖くないの。
雨に濡れたままでは空を飛ぶことすら、許されない。
「約束したの」
その御方、この家の当主様は、虚ろな世界を漂いながら、ぽつりと零された。
当主には呪いが掛けられている。持って今夜中だろう。そう言われている。
おつらいだろうに、当主はさっさとお世継ぎであられる方を次代当主に据え、自分の後始末を済ませると部屋に籠られた。
その部屋に入ることを許可された人間は、何故かこの家に仕えて日の浅い俺だけだった。
呪術師の世界は非情だ。今日生きていた仲間や知り合いが明日には死んでいるのだから当然かとも思うが。
だからなのか? 当主は決して自分が呪いを掛けられていることを口外するなと厳しく他の者たちに伝えている。
「恐れながら、おれ、……私などが最期の共で宜しかったのでしょうか?」
「はは、そうね。……そうね、」
当主は眠たそうにそう呟くと、一言。
「約束したの」
「約束、ですか?」
「ええ、約束」
それだけを言うと当主は俺を見る。その両の目は薄い灯りを付けているだけの部屋でもしっかりと分かる程の、綺麗な緑眼。ありきたりな言葉ではあるが、まるで宝石みたいだと思った。
「お前が、私のことを真正面からちゃんと見るでしょう? それが私は結構嬉しかったのよ」
この閉鎖され、縛られた世界の中で、私に光を与えてくれた。久しぶりに会えた貴方が。
「久しぶり、ですか?」
「ふふ、私ね。結構輪廻転生とか信じてるタチなのよ?」
「は、はあ……」
話の意図が分からず、困惑する。
「ああ、そう。私がお前を私の傍に置いた理由だけれども……」
そこで当主は一区切り付けると、俺を見て、そうして今にも泣き出してしまいそうな表情をしながら言った。
「灰原さん……」
「は、い。あの、当主? 確かにおれ、いや、私は灰原ですが。さん付けは……」
不味いのではなかろうか? と困惑する。
灰原とは自分の姓だ。それが何か都合が悪いことでもあったのだろうか?
「と、当主? あの……」
「私は、あなたにもう一度会えて、嬉しかったです」
「ええと……」
当主はどこか遠くを、俺でないどこか遠くを見ているような、そんな気がした。
まるで俺を通して俺ではない違う人を見ているような。
「灰原、さん……私、約束……守れましたか?」
「え、っと……」
当主の翡翠のような瞳から、ゆっくりと色が失われていくのが分かった。
嗚呼、当主が逝ってしまう。このまま俺が何も言わなかったら、きっと当主を後悔させたまま逝かせてしまう。
「頑張ったよ」
スルッと喉から出てきた言葉は、まるで自分の声ではないような違和感を抱きながら、それでも俺は何度も、何度も「頑張ったよ」と当主に伝えていた。
「う、れし……な、……灰原、せんぱ……」
そこで当主の声は途切れた。
翡翠の瞳は固く閉じられ、少しかさついた唇はゆるく開いていた。
『灰原先輩!』
脳裏に嬉しそうに笑う、今よりも少しだけ若い当主の姿が何故だか浮かんだ。
「どうして……?」
どうして、自分は泣いているのだろう。
どうして、こんなにも悲しいのだろう。
当主に仕えてから日の浅い自分を目にかけてくれた。優しくしてくれた。
ただ、それだけではないか?
──本当に、それだけなのだろうか?
「ぅ、ぁ……っ!」
それを知っていたであろう当主はもう居ない。
俺は早く当主の死を他の者たちに知らせに行かなければいけないのに。
何故だか動けないでいる。
悲しいと、この身に宿る魂が叫んでいる。
当主の魂の抜けた躰の傍でただただ縋るでもなく、身体を丸めて、まるで子供のように涙を流す。
当主は柔らかな表情で亡くなった。
まはで憑き物でも落ちたかのように。
ようやく、解放されたとでも言うかのように。
***
「灰原先輩!」
「あれ? どうしたの?」
「また来たんですか? 暇ですね、あなたも」
「七海先輩には用はないですー! そんなことより灰原先輩! 今度任務が終わったら私といい加減デートしてくださいよー」
「あはは、うーん。そうだなぁ……」
じゃあ、可愛い後輩に免じて。
この約束が守れたらいいよ?
「絶対任務なんかで死なないこと」
「……いや、結構それ無理ゲーですけど!?」
「諦めなさい。灰原は貴女に自分のことは諦めろと言っているんです」
「いやでーす! というか七海先輩には聞いてませーん!」
「後輩ながら七海にその態度取れるの凄いよねぇ」
「灰原も少しは自分で、」
「いやでも、七海の言いたいこと、一個違うかなぁ?」
「は?」
俺はね、
「きみに生きていて欲しいんだ。任務なんかで命を落とさないで欲しい。ちゃんと往生して欲しい。それが守れたら、例え俺が死んでもきみの傍になんとかして居るからさ」
「灰原先輩が死ぬとか考えられないんですけど。というか、どうやったら死んだら傍に居るとか言えるんですかー」
「えー、……んー。閻魔様を脅しちゃうとか?」
***
「灰原、先輩……っ!」
地下の遺体安置室。
そこで見たのは灰原先輩の遺体だった。
あれ? 今日の天気なんだったっけ? とか。
デートの約束結局躱されたな? とか。
そんなどうでもいいことばかりが脳裏を浮かんでは去っていく。
認めたくなくて。灰原先輩が死んだことを。絶対に認めたくなくて。
でも、隣で瞼を真っ赤に染めた七海先輩があまりにつらそうで。私は、種類は違えども二人とも大好きだったから。
泣くことさえ、出来なかったの。
泣いたら認めてしまうことになるから。
灰原先輩が死んた事を。居なくなってしまったことを。認めてしまうことになるから。
「……七海先輩。私、死なないです」
「何を?」
「灰原先輩、あの日言ってました。自分が死んでも私の傍に行くから。往生して欲しいって」
そうしたら、閻魔様を脅してでも傍に居てくれるって。
「だから私が死ぬのは、天寿が来る時だけです」
「この世界で、まだそんな綺麗事を? 馬鹿ですね。貴女も……」
灰原も。そんな呪いみたいな言葉、遺さなくても良かっただろうに。
七海先輩がそんな言葉を吐いていた。呪いでも良かった。私の中に灰原先輩が居てくれるなら。なんでも良かった。
それからと言うもの私は本当に死ななかった。
この呪いが掛かるまで、危険に晒されることは何度もあったけれども。それでも決して、死ななかった。
長かった。とても、この日が来るまで。
呪術師の世界でもそこそこ有名な家の当主になり、決められた婚約者との間に子供を設けた頃合だったかな?
その呪いは唐突に掛けられた。
それと同じくらいの時に、あの人に出逢ってしまったのだ。
「灰原と申します! 誠心誠意尽くします。よろしくお願い申し上げます!」
その姿は、魂の色は。灰原先輩そのもので。思わず目を見開いたのを覚えている。
灰原先輩。本当に閻魔様脅して来てくれたんですか?
でも、タイミング相変わらず悪すぎですよ……。私、これから死んじゃうのに。
死期が近づいたら呪いと共に死のうと決めていた。一種の呪い返しみたいなものだったのだが。
この人の傍に居るのが心地良かった。きっと彼は何故自分に優しくしてくれるかなんて分からなかっただろうけれども。
「約束したの」
聞かれたからそう言ったのに、当然ながら貴方は覚えてなくて。
泣き出して、縋りついて、貴方に出会えて幸せでしたと伝えたくて。
でも、本当に伝えたいのは貴方ではなくて。
あの日に死んだ灰原先輩で。
最期の息を吐き出すその瞬間。
彼の背後に、あの日失ったままの姿の灰原先輩が見えた気がした。
「頑張ったよ」
にっこりと微笑む灰原先輩は、私に手を差し出す。
私はそれを無意識に掴むと、灰原先輩は「行こう」と告げてきた。
「何処に、行くんですか?」
「んー、そうだね。あの日行き損ねた、デートでもしよっか」
「ふふ、本当に焦らし上手ですね、灰原先輩は。……何処まででも行きますよ。灰原先輩がずっと傍に居てくれるなら、何処へで着いて行きます」
「おや、待たせちゃったのに相変わらず可愛い後輩だことで」
「待たせたのは本当ですよ! 灰原先輩じゃなかったら許しませんでした!」
でも、これからはずっと一緒。だから許すんです。
そう言えば灰原先輩は、驚いた顔をしたあとに、私の大好きだった顔で微笑んで、先程握った手を今度はしっかりと繋いできた。
「何処へでも行こっか。きみが行きたいところ全部。何処へでも」
「はい! 灰原先輩!」
灰色だった空は青くなり。
高く、広く、鳥のように飛ぼう。
二人傍で手を繋げば、何も怖くないの。