夢術

五条家にお仕えして早十七年。
お仕えしている悟坊ちゃんは蝶よ花よと育てられた為か、如何せん世間知らずだ。
いや、そのことは良い。もうどうにもならないから。
酷い言いようかもしれないが、幼少期に刷り込まれた当然や日常はなかなか薄れたり、簡単に上書きされるものでもない。
とはいえ流石にこれはないだろうと目の前の惨劇を見つめる。

――キッチンは大破。フライパンは丸焦げを通り越して消し炭。

最近大人しくしてくれていると思っていたのだけれども、どうしてIHでフライパンが消し炭になるのだろう。
はあ、と思わず溜め息を吐きながら頭を抱えてしまう。
坊ちゃんは私の顔色を伺っているが、そこまで気にする余裕がない。坊ちゃんに怪我がないだけマシだマシ。掠り傷ひとつでもあった瞬間、私が五条家の人間に処罰されることだろう。
そう思うとまたひとつ溜め息を吐いてしまうというものだ。

「それで坊ちゃん。どうしてこのようなことになったのでしょうか?」
「……別に、」
「キッチン大破しといて『別に』はないでしょうよ」

なんでもねーよ、と不貞腐れているらしい。不貞腐れたいのはむしろ私の方ですが? と思ってしまった私は悪くはないのでしょうね。ええ、なんにも悪くないと思います。
膨れていく頬はまったく可愛くない。
御母堂様のお腹の中に居た時くらい小さい頃だったなら可愛さを感じたのかも知れないけれども。

「それ悟は生まれてませんよね?」

惨状を目の前に動じて居ないのは流石最強同士なのかも知れない。感性が随分似通っていらっしゃるようだ。いい加減にして欲しいものです。

「これでは本日の夕食は作れませんね」

一体、何をどうしたらIHキッチンで爆破が起きるのでしょう。
悟坊ちゃんも、傑様も、硝子様も平然としていますが、あなた達今日食べるもの何もありませんが? と言いたくなる。
あまりの惨状による困惑に次ぐ困惑により、ガンガンと頭が痛くなってきた。
いっそこのまま寝込めたら楽だというのに、片付けをしなくては、という感想しか出てこない。
自分が如何に五条悟という人間に仕え続けてきたのかが自分で良く分かってしまい、頭痛が更に酷くなった気がする。

まあ、仕方がない。
何故なら私が仕えている五条悟という人間は、私が知っている五条悟は、まるで少年のような人なのだから。
だからこそ思うのかも知れない。
この無垢な人がどうか、嫌なものばかりを見続ける人生を送ることが決まっているこの人が、出来たら高専という場所だけでは少年で居られますように、と。

――とはいえ、だ。

今は片付けを始めようとしている悟坊ちゃんが何故かホースを持ってきたので、もしかしたら片付けから教えなくてはいけないのかも知れないと。
そんな思考すらも放棄したくなってしまった。
もう何もなかったことにして部屋に帰って寝たいものです。
もう一度、今度は聞こえるくらいわざとらしく大きな溜め息を吐いた。
びくりと悟坊ちゃんの肩が揺れたが、今日くらいは気に留めなくてもいいだろう。


****


「ところで悟坊ちゃん、本当にどうして急に料理を? というか何故キッチンに入られたんですか?」
「だーかーらァ、なんでもないって言ってるだろ」
「なんでもないでキッチン大破しないでください」

掃除が終わり、なんとか救出したお茶を坊ちゃんに出しながら聞けば先程と変わらない発言。
坊ちゃんの反論を正論で返せば、ムッと坊ちゃんは口をへの字にしてしまう。
こういうところはまだまだお子様ですね、と思いながらも。
いい加減こんな風に詰めても仕方がないかと、そろそろお説教を辞めようとした瞬間だった。

「料理を、お前に作ろうと……」
「……え、」
「なんでもねぇよっ」

ごにょごにょと口の中で転がすようにそういう悟坊ちゃん。
悟坊ちゃんは耳を真っ赤に染めながらそういうと、ずかずかと長い足でどこかに行ってしまった。
どこか、というか。部屋に、だろうけれども。
別に、悟坊ちゃんの言葉が聞き取れなかったわけではない。
けれども、それは……。

「それは、……私には過ぎたるものです。坊ちゃん」

私には過ぎたる思いで、私如きに主人が与えていいものではない。
だというのにどうして――

「どうして、こんなに……」

心臓が高鳴るのだろう?
どうしてこんなにも嬉しいのだろう。
気付いてはいけない。蓋をして、もっとずっと沈めてしまわなくてはいけない。二度と浮き上がってこない程に。深く深く、沈めてしまわなくては。

分かっている。分かって、いる筈なのに。
時折顔を出すその感情は五条悟の護衛である自分にはあまりに不敬だと。
瞼を伏せて、静かに息を吸って吐く。

――ちゃんと分かっている。自分の立場を、身分を。

「悟坊ちゃん……」

瞼を開けて、一度その名を紡ぐ。
この想いを伝えるのは、伝えても良いと決めているのは、護衛の任を解かれたその時だけ。
五条悟の護衛である自分が、綺麗な死に方をするとは思っていないけれども。
それでも私は、この命尽きるまで五条悟の護衛だから。

(だからこそ、私の人生でその言葉を言う日はないのでしょうね)

それで良いと思っているし。
それが良いとも思っている。

死ぬまで五条悟の護衛であるのならば。
この命尽きるまで、五条悟の護衛で在れるのならば。

それだけでいいと、そう思っているから。
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