夢術

 私はあの太陽のような人に受けた呪いを、一生抱えて思い続けるのだろう。

「灰原くん! 任務お疲れ様!」

 任務帰りの灰原くんにそう叫んだ瞬間、彼は私に気付いてくれたのかニコッと微笑み腕をぶんぶんと振って近寄ってきてくれた。うん、今日も好きだな!

「灰原。馬鹿が移りますよ」
「七海くんも任務お疲れ様ー」
「……あなた、本当に分かりやすいですよね」
「え、何が?」

 きょとりと七海くんの顔を見ていれば灰原くんは「月代さん」と私の名前を呼ぶ。
 七海くんは「はあ……」と面倒臭そうに溜め息を吐いていた。どうしたって言うんだい、七海くん。あと私は馬鹿じゃないよ?

「いえ、あなたはわりと大馬鹿寄りの馬鹿です」
「ええ! そんなに? 酷いなー」

 七海くんの言葉にケラケラと笑っていれば灰原くんが不意に私の顔を覗き込む。
「月代さんは俺が好きなの?」
「な、灰原! あなた馬鹿なんですか⁉」

 七海くんが慌てたようにそう言っていたが、灰原くんはいつもと何ら変わりない明るい笑みを浮かべたまま返事を待っている様子だった。
 私は灰原くんの言葉に一瞬だけ間を置いてその言葉を発する。

「好きだよ?」
「ブッファ!」
「え、七海くん急に何?」
「げっほ、ごほ……! あなた達、何を堂々とこんな場所で言い合ってるんですか⁉」

 大声を発する七海くんはいつものクールな七海くんには到底見えない。とはいえ基本的に私に対してはこんな風に接してくるので見慣れたものだが。

「いやだって、灰原くんのことを嫌いになる人とか居なくない?」
「……そうだ。この人本物の馬鹿だった」

 七海くんが失礼なことをまた言っていたけれども、灰原くんは「ふぅん」と顎に手を当て何かを考えるような素振りをしている。

「月代さんはどういう意味で俺のこと好きなの?」
「うーん。どういう……?」

 そこで思わず言葉が詰まる。どういう? 灰原くんのことをどういう状態で好きなのかっていうこと? え、どういう……?
 そこまで考えて頭の中が爆発したような音が聞こえた。普段あまり物事を深く考えて生きていないツケが来たかな。
 というか私は灰原くんに何を求められているんだ? 灰原くんは私に何を期待しているのだろうか。

「うーん、その言葉の意味は良く分からないけど……灰原くんは私のことが好きなの?」

 爆発した脳内の修復が追い付かず、自身の口から零れていたのは問い返すようなそんな言葉。

「げっほ! ごっほ!」

 返ってきたのは灰原くんの声、……ではなく。七海くんが思いっきりむせる声。

「七海くんさっきからむせてるけど大丈夫……? そんなむせる歳だったっけ?」
「あなたが思いの外、馬鹿だからですよ⁉」

 心底心外だ、お前が悪いと言われているがまあ、そんなこと言わないでと背中をさすってやる。七海くんは鬱陶しそうにしていたが振り払うことはなかった。本当にしんどかったんだね。こんなボディタッチなんてしたら最後、身体全体で拒否してくるからなぁ。
 別に七海くんに嫌われているわけではなく、七海くんなりに心を少しくらいは許してくれている証拠なのだろう。

「酷いなぁ、七海くんは」

 だから七海くんの言葉なんて気にせずケラケラと笑っていれば、灰原くんは何かを考えているかのような姿をまた見せて、そうして「うん!」と頷くと煌めく笑顔を私に見せながら口を開く。
 ああ、やっぱり——

「好きだよ」
「え?」

 私の心の声が漏れ出たかのようなタイミングだった。だから驚いてしまったのだ。
 でも今の声はどう頑張っても灰原くんの声で、つまり今の言葉は灰原くんから出ているのだと脳が認識する。

「月代さんのこと、俺は好きだよ」

 どうして灰原くんはそんな言葉を放ったのか。どうして灰原くんはそんな呪いを私に掛けたのか。
 聞いた瞬間は「嬉しいな!」と返してそれだけで済ませてしまった。
 七海くんは私のことを見た後、何か悪いものでも食べたのか胃を痛そうに抑えて「本当に馬鹿だ……」と言っていたけれども。
 私は当然のことながらその言葉の真意には気付けなくて。
 灰原くんはそれ以上は何も言わなかったから。だからそれは友情に延長線上に存在する「好き」だと思っていたのだ。
 私が灰原くんに抱く「好き」も当然、友情の延長線上に存在しているのだと、その時はそう信じてやまなかったから。
 灰原くんの言葉の本当の意味に気付いたのは、将来不安定な呪術師をしていることを知っている親が心配して「せめめて結婚くらいはしてくれ」と懇願に近しいことをされたから。
 結婚相手が呪術師という職業を認知してくれるならいいよ、とそこまで深く考えずに承諾して、あれよあれよと思ったよりも早く相手が見つかり、結婚することが決まった。
 結納は明日だなぁ、というようなそんな前日のこと。

「あ、そっか」

 高専時代に撮った数少ない懐かしい写真を見ていた瞬間、不意に気付いた。漏れ出ていた声はあまりに軽薄で、私がそうやって過ごしてきたのだと分かるような声だった。深く物事を考えずに生きていた証拠なのだと突き付けられたような気がした。

「そっか、そっかぁ」

 どうして高専時代、七海くんにあれだけ馬鹿だ馬鹿だと言われていたのか。その意味がようやく分かった。ようやく気付いた。……気付いて、しまった。

「私、灰原くんのことが好きだったんだ……」

 ポツリと呟いた声は静かな自室にゆっくりと広がっていく。それを寂しいと思ったのはもうあの時間には戻れないことが分かっているからか。

「ああ、……本当に最悪だ」

 酷いなぁ、灰原くん。私、本当に馬鹿だからさ。ちゃんと言って欲しかったよ。
 ああ、いや違うか。灰原くんはちゃんと言ってくれてたのに。なのに私が気付けなかった。
 灰原くんはずっと伝えてくれていたのに。
 それらには気付けなくて今まで来てしまった。

「灰原くん」

 ——私もあなたが好きだったよ。
 ずっと、ずっと。それに気付けないで今まで来てしまったけれども。
 好き、だったんだよ……。
 私も、ずっと。あなたと同じように。あなたと同じくらい。灰原くんが——好きだった。
 今更気付いたところで、灰原くんはこの世界の何処にも居ない。それに私は明日には人妻だ。
 こんな、一生背負い続けるような呪いじゃないか。酷いなぁ、灰原くん。
 そんな灰原くんの想いに気付けなかった私は、もっと酷かったけど。

「……っ」

 灰原くんが死んじゃった時、私どうしてだか泣けなかったの。
 でも、ならなんで今こんなにも涙が頬を伝うのを止められないのだろうか?
 まるで今まであなたが居ないことを信じようとしなかったみたいじゃないか。
 本当に……。



「私って、馬鹿だなぁ……」



【後から悔いるから後悔って言うんだって】



(そんなことも、私は知らなかった)
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