夢術廻戦
いつものように私が彼──狗巻棘──に抱きつきながら好き好き言っていた時のことだった。
「棘くんはさぁ、私のこと好き?」
面倒くさい彼女みたいな発言をした自覚はある。けれどもつい、本音が零れ落ちていたのだ。
私は棘くんが好きだし、私が抱きつこうが好きだと言おうが棘くんは迷惑そうにはしない。
いやまあ、それすら言うのが面倒くさいのかも知れないという現実があるかも知れないが、そんなもん無視だ無視。
棘くんからの返事はない。当たり前だ、彼は言葉を縛っているのだから。
困ったように眉を下げる棘くんから身体を離す。
「ごめんね、困らせちゃったね」
ブンブンと首を振りながら「おかか」と言ってくれた棘くんに、私は笑う。笑っていないと心が千切れそうだったから。
「あ、そうだ。棘くん。これあげる」
ブチッと千切って渡したのは心臓に近い場所にある制服のボタン。
棘くんは吃驚したように目を見開いていた。
「それじゃあ、棘くん。またね」
「……明太子」
「あはっ、そんな不思議がらないでよ。ただの、そうだなぁ……ただの、思い出作りだよ」
にっこり笑ってバイバイと手を振った。棘くんは不思議そうな顔のまま、手は振り返さなかった。それでいい。実らない恋ほど不毛なものはないのだもの。
特に薄ら暗い呪術師だの呪詛師だの呪いだのが渦巻いている、こんな世界に身を置いている者としては。
少しくらい思い出があっても良いと思うんだよね。うん。
「だからきっと、気のせいよ」
この、引き裂かれんばかりの胸の痛みも。零れる涙も。溢れる想いも。
全部ぜんぶ、蓋をしよう。そうして水底に沈めてしまいましょう。
二度と上がってこないように。二度と陽の目を見ないように。
あなたを愛した私が居た。
ただそんな事実に酔っていたいの。
「……棘くん」
きっとあなたは優しい人だから、渡したボタンの処遇に困っちゃうだろうなぁ。
そんな優しい棘くんに付け込んだ私は、さてさて天国と地獄、どちらに逝けるんだろうね?
『考え事ですか? 呪術師』
「ええ、お前みたいな下衆な呪いには分からない事だけれどもね?」
『死に行く者に興味はありません』
呪物から受肉した呪い。正確にコミニュケーションが取れている。
その呪いが今現在、私の足を掴んで逆さ吊りにしていた。
これから殺されるというのに、案外私は落ち着いている。
きっと今日という日が来るのが分かっていたのだ。
予知とかではなく、女の勘だけれども。
「あーあ、棘くんに一度で良いから好きって言って欲しかったなぁ……」
それももう、叶わぬ夢というやつか。
にっこりと笑った私の生は、この日終わりを告げた。
◆◇◆
春風のような人だった。
自分より二つ年上のくせに落ち着きがなくて、良く問題行動を起こしては怒られていたような、そんな人。
春の風のように悪戯に他者を弄ぶような、そんな女性。
その彼女が、死んだ。
「──の遺体を見たい?」
「しゃけ」
こくりと頷きながら肯定の言葉を口にする。
自分が呪言なんて能力がなければ、幾らでも彼女に愛の言葉を吐けたのに。
幾らでも彼女を抱き返せたのに。
所詮は自分も、ただの青臭い子供だったというわけだ。
何せ彼女に一度だって「好きだ」と伝えられなかったのだから。
一級呪術師である彼女が死ぬなんて、考えもしなかったんだから。
この世界に身を置くということは、常に死と隣り合わせであるということと同義だというのに。
「いいけど……、仲良かったならやめた方がいいと思うよ。って助言だけはしとくよ? 遺体はぶっちゃけ見れるような状態じゃないからさァ」
とはいえ、僕も驚いてるけどね。と五条先生は呟いた。その言葉の真意を知りたくて首を傾げて見せれば、口元に笑みを浮かべる五条先生。どう取ればいい感情なのか分からなくて追及するべきか悩んでいたら、「こっちだよ」と手招きされた。
ポケットに入れてある彼女から貰ったボタンをギュッと握り締めながら、後を追う。
「いやァ、これを見た時に僕は女の執念ってのを感じたよね」
遺体安置室に着けば、彼女の顔が見えた。首から下は布で隠されているけれども、その顔はまるで今眠ったばかりです、というような安らかな顔で。
けれども生気を感じない。確かに彼女はこの世から消えたのだ。自分の前から。もう彼女からの「好き」の言葉は聞けないし、自分から告げることも出来ない。
「こいつ、同級生に『死んでも棘くんに情けない姿は見せられない!』って言ってたらしいよ」
ああ、だからこんなにも安らかな顔をしているのか。
痛かっただろう。苦しかっただろう。怖かっただろう。
想像することしか出来ないけれども、死が近付く恐怖というのは自分も何度か経験がある。だからと言って死んだことはないから分からないけれども。
いいのに。きみが生きていてくれるなら。情けなくても、恥ずかしくても、みっともなくても、全部愛していたのに。
ぼろり、と生ぬるい涙が零れた。
自分はきっと、一生この呪いに掛かって生きていくのだ。
彼女が植え付け遺した『愛』という呪いに。
もう、彼女以外を愛することは出来ないのだろう。
遺体安置室から出て、校庭でボーッと空を見上げる。
彼女がくれたのは心臓から一番近い第二ボタン。それを眺めていたらようやく気づいた。
『棘くん。私のこと好き?』
あの日聞かれて言い淀んでしまった言葉。
もう、届かないほど遠くに逝ってしまったきみへ。
ようやくこの言葉が吐ける。
「すきだよ」
呪いになってしまうから。生きているものにも、死んだものにも言葉は吐けない。
けれどもきっと、彼女なら大丈夫。そんな自信が確かにあった。
風が隣を掠めるように吹く。
見上げた空の向こう側で彼女の嬉しそうな顔が見えた気がして、口角を上げた。
空の青さがじわりとぼやけてしまったけれとども、確かに見えたのだ。
自分の心臓という名の『心』をくれた、彼女の姿が。
「棘くんはさぁ、私のこと好き?」
面倒くさい彼女みたいな発言をした自覚はある。けれどもつい、本音が零れ落ちていたのだ。
私は棘くんが好きだし、私が抱きつこうが好きだと言おうが棘くんは迷惑そうにはしない。
いやまあ、それすら言うのが面倒くさいのかも知れないという現実があるかも知れないが、そんなもん無視だ無視。
棘くんからの返事はない。当たり前だ、彼は言葉を縛っているのだから。
困ったように眉を下げる棘くんから身体を離す。
「ごめんね、困らせちゃったね」
ブンブンと首を振りながら「おかか」と言ってくれた棘くんに、私は笑う。笑っていないと心が千切れそうだったから。
「あ、そうだ。棘くん。これあげる」
ブチッと千切って渡したのは心臓に近い場所にある制服のボタン。
棘くんは吃驚したように目を見開いていた。
「それじゃあ、棘くん。またね」
「……明太子」
「あはっ、そんな不思議がらないでよ。ただの、そうだなぁ……ただの、思い出作りだよ」
にっこり笑ってバイバイと手を振った。棘くんは不思議そうな顔のまま、手は振り返さなかった。それでいい。実らない恋ほど不毛なものはないのだもの。
特に薄ら暗い呪術師だの呪詛師だの呪いだのが渦巻いている、こんな世界に身を置いている者としては。
少しくらい思い出があっても良いと思うんだよね。うん。
「だからきっと、気のせいよ」
この、引き裂かれんばかりの胸の痛みも。零れる涙も。溢れる想いも。
全部ぜんぶ、蓋をしよう。そうして水底に沈めてしまいましょう。
二度と上がってこないように。二度と陽の目を見ないように。
あなたを愛した私が居た。
ただそんな事実に酔っていたいの。
「……棘くん」
きっとあなたは優しい人だから、渡したボタンの処遇に困っちゃうだろうなぁ。
そんな優しい棘くんに付け込んだ私は、さてさて天国と地獄、どちらに逝けるんだろうね?
『考え事ですか? 呪術師』
「ええ、お前みたいな下衆な呪いには分からない事だけれどもね?」
『死に行く者に興味はありません』
呪物から受肉した呪い。正確にコミニュケーションが取れている。
その呪いが今現在、私の足を掴んで逆さ吊りにしていた。
これから殺されるというのに、案外私は落ち着いている。
きっと今日という日が来るのが分かっていたのだ。
予知とかではなく、女の勘だけれども。
「あーあ、棘くんに一度で良いから好きって言って欲しかったなぁ……」
それももう、叶わぬ夢というやつか。
にっこりと笑った私の生は、この日終わりを告げた。
◆◇◆
春風のような人だった。
自分より二つ年上のくせに落ち着きがなくて、良く問題行動を起こしては怒られていたような、そんな人。
春の風のように悪戯に他者を弄ぶような、そんな女性。
その彼女が、死んだ。
「──の遺体を見たい?」
「しゃけ」
こくりと頷きながら肯定の言葉を口にする。
自分が呪言なんて能力がなければ、幾らでも彼女に愛の言葉を吐けたのに。
幾らでも彼女を抱き返せたのに。
所詮は自分も、ただの青臭い子供だったというわけだ。
何せ彼女に一度だって「好きだ」と伝えられなかったのだから。
一級呪術師である彼女が死ぬなんて、考えもしなかったんだから。
この世界に身を置くということは、常に死と隣り合わせであるということと同義だというのに。
「いいけど……、仲良かったならやめた方がいいと思うよ。って助言だけはしとくよ? 遺体はぶっちゃけ見れるような状態じゃないからさァ」
とはいえ、僕も驚いてるけどね。と五条先生は呟いた。その言葉の真意を知りたくて首を傾げて見せれば、口元に笑みを浮かべる五条先生。どう取ればいい感情なのか分からなくて追及するべきか悩んでいたら、「こっちだよ」と手招きされた。
ポケットに入れてある彼女から貰ったボタンをギュッと握り締めながら、後を追う。
「いやァ、これを見た時に僕は女の執念ってのを感じたよね」
遺体安置室に着けば、彼女の顔が見えた。首から下は布で隠されているけれども、その顔はまるで今眠ったばかりです、というような安らかな顔で。
けれども生気を感じない。確かに彼女はこの世から消えたのだ。自分の前から。もう彼女からの「好き」の言葉は聞けないし、自分から告げることも出来ない。
「こいつ、同級生に『死んでも棘くんに情けない姿は見せられない!』って言ってたらしいよ」
ああ、だからこんなにも安らかな顔をしているのか。
痛かっただろう。苦しかっただろう。怖かっただろう。
想像することしか出来ないけれども、死が近付く恐怖というのは自分も何度か経験がある。だからと言って死んだことはないから分からないけれども。
いいのに。きみが生きていてくれるなら。情けなくても、恥ずかしくても、みっともなくても、全部愛していたのに。
ぼろり、と生ぬるい涙が零れた。
自分はきっと、一生この呪いに掛かって生きていくのだ。
彼女が植え付け遺した『愛』という呪いに。
もう、彼女以外を愛することは出来ないのだろう。
遺体安置室から出て、校庭でボーッと空を見上げる。
彼女がくれたのは心臓から一番近い第二ボタン。それを眺めていたらようやく気づいた。
『棘くん。私のこと好き?』
あの日聞かれて言い淀んでしまった言葉。
もう、届かないほど遠くに逝ってしまったきみへ。
ようやくこの言葉が吐ける。
「すきだよ」
呪いになってしまうから。生きているものにも、死んだものにも言葉は吐けない。
けれどもきっと、彼女なら大丈夫。そんな自信が確かにあった。
風が隣を掠めるように吹く。
見上げた空の向こう側で彼女の嬉しそうな顔が見えた気がして、口角を上げた。
空の青さがじわりとぼやけてしまったけれとども、確かに見えたのだ。
自分の心臓という名の『心』をくれた、彼女の姿が。
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