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「月は遠く輝いていて、私にはその姿が見えません」
ふと、そんな言葉が漏れ出ていた。
ケイト先輩が夜空を指して「監督生ちゃん! ほら見て? 月が凄く綺麗だよ!」なんて言うからだ。だからそんな言葉を零してしまったのだと、責任転嫁している自分に気付きながら。
ケイト先輩はきょとりと何も分かっていない顔をしていた。
もしかしたらこちらの世界では「月が綺麗ですね」の返しを知らないのかも知れない。そもそもケイト先輩は夜空を指して言ったのだから、私の言葉こそが間違っているのだろうが。
それでも、自分の中の拭いきれない不安が零れ出ていた。
人の気も知らないで、へらへらといつものように振る舞うケイト先輩が憎くて、苦しくて。
「監督生ちゃん? どうしたの?」
「……これが私の先輩への想いです。そう言ったら、先輩はどう思いますか?」
「え……?」
きっとケイト先輩には何も伝わっていないのだろう。それでも良いだなんて、なんて独りよがりな感情なのだろうか。これでは恋人と呼べない関係なのかも知れないな、と苦く笑った。
「どうしたの、監督生ちゃん? 何かあった?」
「何もないですよ、ケイト先輩が心配されることは、何も」
「何かあったからそんな難しい顔してるんでしょ? ほら、けーくんに話してみな?」
「……触らないでください!」
「……っ、監督生ちゃん?」
「……! すみません。私、もう今日は帰ります」
「そ、っか。寮まで送るよ。もう暗いし何かあったら危ないもん」
柔らかな笑顔でそう言うケイト先輩を見ていると暗い感情が溢れてくるような、そんな気がして嫌になる。こんな可愛くない態度を取ったら、嫌われてしまうのではないのかと思うのに。それでも口をついて出たのは、違う言葉だった。
「大丈夫です。私こう見えて強いので。それでは先輩、また学校で」
「ちょ、監督生ちゃん⁉」
そう言って逃げたのが、一週間前。
そうして今日とうとう徹底的に恋人であるケイト先輩を避けている私に「何があった?」と親友であり学友でもあるエースとデュースが問い詰めて来た。ご丁寧に両脇に座られている為に動けない。ついでにグリムが私の頭の上に乗っている。グリム、あなただけは私に味方してくれるって信じてたのに……。なんて嘆いても逃げているのは本当なので仕方がないのだが。
「で? ホントに何があったわけ? というか早く仲直りしてくんねー? ケイト先輩めちゃくちゃ落ち込んで……色んな意味で大変なんだけど」
「別に……、喧嘩してるわけじゃないよ」
「じゃあ、ナニ? ケイト先輩関連で何かあったワケ?」
エースの言葉にビクリと肩が震える。その反応でエースは私に何かあったことを悟ったのだろう。問い詰めるような口調から、今度は穏やかな口調に変えて言葉を紡ぐ。
「ケイト先輩に何かされた?」
その言葉には首を緩く振る。ケイト先輩が私に危害を加えることはない。それくらいの信用は寄せているし、信頼もしている。
「じゃあ、他の奴になんかされた?」
エースの紅の瞳はあまりに確信的で、何もかもを見透かしているよう。
なんとなく知っているのかな? とすら思って私も観念して話し始めた。
――それを言われたのは一週間前。
奇しくも、ケイト先輩とデートをする直前のことだった。
「顏だけ女が、どうせ一発ヤラせてケイトと関係持ったんだろ。俺にも一発ヤラせろよ」
「……は? あなた誰ですか?」
「魔法も使えない一年生が、なんで寮長たちに気に入られてるか知らねぇけど、どうせ全員と関係持ってんだろ!」
その言葉に目の前が真っ赤に染まった。
「……っ、そんなこと! あるわけない!」
ハーツラビュルの寮生なのだろうか? 寮長であるリドル先輩に目を掛けて貰っている私が気に食わないのだろう。噛みつく様に否定すれば、胸ぐらを掴まれ、ドンっと背中を校舎の壁に押し付けられた。
ああ、不味いなぁ。ここあんまり人が来ないような場所なんだけど……。叫ぶ? 誰か助けて! って?
――そんなこと出来なかった。
男子校にただひとりの女というだけで、ただでさえ舐められやすい。それに、もし次に何かあれば……。
『もし次に何か問題が起きれば、私にも考えがありますよ』
以前学園長に言われたその言葉。それは恐らく退学だろう。
身寄りのない自分だが、そうは言っても問題ばかり起こしていれば退学くらい簡単になると思う。むしろ今まで良くならなかったなと思った。あんな学園長でも、やはり教育者という立場ということだろうか。
仕方ないのかなぁ、とも思う。こんな時に都合よく助けてくれる王子様は結局のところ居ないわけだし。
そう思って、私は抵抗をやめた。退学が嫌だとか、そういうのではなかった。ただ、ケイト先輩に会えなくなるのが嫌だった。
そんな、簡単で単純な恋心。
観念して大人しくしていれば、服が破かれた。その時だった。
「お前達! 何をしている!」
「ゲッ、クルーウェル⁉」
「逃げるな! 馬鹿犬!」
女の子のピンチに王子様じゃなくて先生が現れたのは、なんとも一般的な学校だなぁと何処か冷静な頭で考えていた。
「アイツ、逃げるなと言ったのに逃げたな。後で仕置きが必要なようだ。……仔犬。大丈夫だったか?」
「クルーウェル先生……」
「どうした?」
「私は、」
――ケイト先輩に会わせる顏がありません。
「どういうことだ?」
「こんな、簡単に身体を開こうとする彼女は嫌だと思います」
少なくとも私は嫌です。ケイト先輩が他の女性を抱くその姿を見るのは、嫌です。
「……仔犬。確かにお前は抵抗しなかった。たまたま俺が発見できたから助かった。だが、抵抗すればもっと酷いことになっていたかも知れない。結果だけを見るのなら、仔犬の判断は正しかった」
「でも……言われたんです」
あの先輩は言ったのだ。「一発ヤラせたから関係が出来た」と。どうしてそんなことを知っているのかと、不思議で仕方なかった。
私とケイト先輩は恋人同士で、そういう行為をしていないわけではない。
でも、何故そのことを見も知らない先輩が知っているのだろうか? ケイト先輩が言い触らした? そんなことをするタイプには見えなかったけれども。思春期男子というのはそういうものなのだろうか。
「とにかく、怖かっただろう。今日のことは学園長に報告しておくから、寮に帰って休みなさい」
「でも、今日はちょっと用事が……」
「こんなことがあったのにか?」
「……こんなことがあったから、余計に、です」
「……そうか。なら、少し身支度をしてから行くといい」
「え、」
「ステイ」
クルーウェル先生はそういうとマジカルペンを私に向け、振る。
一瞬のうちに破けた衣服が元に戻った。魔法ってすごいなと、感心していたら頭を撫でられた。その手つきが優しくて、兄が居たらこんなだったのだろうかと考えてしまった。
「クルーウェル先生、ありがとうございます」
「礼なら、仔犬らしく笑っていればいい」
「はい」
ぺこりと頭を下げて、そうしてそのままケイト先輩との約束の場所まで駆けて行った。
デートは滞りなく進んで、特にケイト先輩に何かを言われたわけでも、何か苦しめられたわけでも、勿論ない。
それでも先程まであった確かな恐怖心が背筋を這うように襲ってくるのだ。
ケイト先輩は嘘が上手い人だ。取り繕うのが上手い人だ。だからこそ、私に告白してくれたケイト先輩の平然とした顔の横に見えた真っ赤な耳を信じたかった。
「監督生ちゃん、月が綺麗だよ! ほら、見てみて!」
不意に言われた私の世界ではわりとポピュラーであろう言葉。
ケイト先輩、その言葉の意味を知っていますか?
なんて、言えなかった。言えなかった代わりに発したのは、肯定の言葉ではなく、別の言葉だった。
「月は遠く輝いていて、私にはその姿が見えません」
――あなたの心が遠すぎて、私にはもう何も見えません。
そう言い残して、私はケイト先輩から逃げた。分からなくなったのだ。ケイト先輩という人間が。私にはまったく分からない。ずっと見て来た筈なのに。告白してくれた時、同じ想いで嬉しかったのに。
それすらもただ、性を発散する為だけの演技だったのではないのかと。
そこまで考えたら怖くて。だから逃げた。
知りたくなかったから、本当のことなんて。分かりたくなかったから、真実なんて。
「だから逃げて逃げて、今に至ると。そういうこと? 監督生」
「……はい。逃げてすみません」
「いや、それを言うのは俺らにじゃないから。ケイト先輩にだから」
「うぅ、私が信じられるのはエースとデュースとグリムだけだよ」
「監督生が僕達を信じてくれるのは嬉しいが、それでも一度先輩と話した方がいいんじゃないか?」
「お、デュースにしては珍しく良いこというじゃん!」
「ああ、ケリは早めに付けた方がいいからな」
「……やっぱり今の発言ナシ。デュース、お前なんてこと言うんだよ⁉」
「別れ話をしたいということではなかったのか?」
「誰もそんな話はしてません! ああ⁉ そのきょとん顏マジやめろ! 腹立つから」
エースとデュースの漫才のような掛け合いを見ながら、いいなぁ、と思う。
私も男の子だったらこんな風に悩まなかったのかなぁ。
男の子だったなら、ケイト先輩にこんな恋心なんて抱かずに、ただの先輩後輩で居られたのかなぁ。
そんなことを考えて、それでもきっと私はどう足掻いても先輩を好きになる運命だったのだろうな、と思うのだ。
たとえば、私が女じゃなくても。たとえば、私が人間じゃなくても。きっとケイト先輩に恋をした。そうでなければこんな風に悩むことはないのだろう。……そう思い込んでいるだけかも知れないけれども。
「あー……、とりあえずさ? 先輩と話してみろって。逃げ回ってるだけじゃなんも解決しねぇよ」
「そうだね、うん。逃げるのやめてみる」
「おう。まあ、ガンバレよ」
「ありがとう、エース。デュース」
「ふなっ。オレ様に感謝の言葉がないんだゾ!」
「ごめんごめん、グリムも心配してくれてたんだよね。最近寝付くまでずっと起きててくれてたみたいだし。ありがとう、グリム」
「ま、まあ、オレ様は親分だからな! 子分の為だから当然なんだゾ!」
グリムは照れたように顔を背けてそう言う。そのあと、「あ、」と言う声を発した。どうしたのかな? と思ってそちらを見ると、そこにはケイト先輩が居た。
カツカツと靴音を鳴らして近付いて来るケイト先輩。その表情は伺い知れないけれども、何処か近寄り難い雰囲気を纏っていた。
「け、ケイトせんぱ、」
「来て」
「え、ちょ、っ」
グイッと腕を引っ張られ痛みに顔を歪める。ケイト先輩はそれを一瞥するだけで私の腕を掴んだまま食堂から何処かに連れて行こうとする。
「ど、何処に行くんですか⁉」
「……」
「どうしたんですか、一体⁉ なんなんです、突然⁉」
「なんなんですは、こっちのセリフだよ!」
「あ、」
ケイト先輩が発した言葉は低く、とてもじゃないが平常時とは異なる、怒った時の声だった。
「監督生ちゃん。どうしてこの一週間逃げてたの?」
「そ、れは……」
「もう、オレなんてどうでも良くなった? あの二人の方が良くなった?」
「あの二人? って、エースとデュースのことですか?」
「あの、さぁ。オレと二人で居るのに、どうして他の男の名前を平気で呼べるの?」
「ケイト先輩?」
「……君の前ではスマートな自分で居たかったのに。どうしてこうも上手くいかないかなぁ」
「……先輩は、私のことどう思ってます?」
「ええ、……今更それ聞いちゃう?」
「言葉が、欲しくて」
「……好きだよ。オレは、君のことが好きで好きでたまらないの」
ね、監督生ちゃん。とケイト先輩は私の顔を覗き込むように見つめる。エメラルドのような瞳の中に私の瞳が映った。前に「月の色だね」と言われたのを今何となく思い出した。
そんなことを考えていたらケイト先輩が小さく「ごめんね」と呟いた。
「え?」
「ごめん。守れなくて。怖かったよね。本当にごめん」
「知って、たんですか?」
「正確には『教えて貰った』かな?」
「誰に、……クルーウェル先生ですか?」
「誰だと思う?」
「せ、先輩! 人の一大事をなんだと思って……!」
「ちゃんと一大事って自覚はあったんだね。……でも、知った時は肝が冷えたよ」
ケイト先輩が私の髪に触れる。そうしてするりと撫でると私の肩に自分の顔を乗せた。その姿がなんだか、少し前に現れた不思議でぷにぷにしていて小さな生き物みたいでクスリと笑ってしまった。
あの小さなケイト先輩もすごく可愛かったなぁ。
「ナニ笑ってんの? オレ結構心配したんだよ?」
「……なんというか、言葉って偉大ですね」
「どゆこと? 頭の悪いけーくんにも分かるように言って⁉」
「ふふ、つまるところ。割れ鍋に綴じ蓋ってやつです」
「? それも、監督生ちゃんの世界の言葉なの?」
「はい? そうですよ」
「ふぅん、良く分からないけど、つまりどういうことなわけ?」
「どうしようもなく、――お似合いってことですよ」
そう言って肩にあるケイト先輩の髪を撫でた。まるで子供にするかのように、よしよしと。ふわりとした柔らかな髪が手のひらにあたるのが心地好い。
「あー。しっかし、久し振りの監督生ちゃんだー」
「っう、逃げ回ってすみませんデシタ」
「いいよ、もう。この手の中に戻ってきてくれるなら、もうなんでも良いよ」
「私は何処にも行きませんよ?」
「――本当に?」
「ケイト先輩?」
不意に真面目な声になった気がして、思わず聞き返す。ケイト先輩は悪戯っ子のように笑いながら「なんでもないよ」と返した。
「何処にも行かないなら、それで大丈夫」
「ふふ、変なケイト先輩ですね」
「けーくん好きな子にはこうなのかも知れないかも?」
「自分で分からないんですか?」
「オレ、誰かをちゃんと好きになったのって監督生ちゃんが初めてだから」
「そ、なんですね……」
「うん。そうだよ」
「なんか、照れますね」
「監督生ちゃんは、けーくんの心を掻っ攫って行ったのに、まったくその自覚がないんだから。困っちゃうなぁ」
「すみません……」
「謝るのはナシにしよ? ほら、けーくんと仲直りしたことだし、今度の終末仲直りデートでもしようよ。トレイくんお墨付きの美味しいカフェを教えて貰ったんだ」
「いいんですか? これで仲直りで……」
「いいの! これ以上仲違いしたままで居たくないしね」
「……はい」
「ようやく、笑った」
「え、」
「ずっと暗い顔だったから、けーくんは心配してたのです」
「ふふ、なんですか。その喋り方」
「可愛いでしょ?」
「自分で言わないでくださいよ、可愛いですけど」
「ね、監督生ちゃん」
「はい?」
「ずっと、一緒に居ようね」
「……はい、ずっとケイト先輩と一緒に居られたら、それは幸せなんでしょうね」
――ああ、でもそうか。それは過去を、生きていた場所を、捨てるということなのか。
そう思った瞬間、ケイト先輩は私の両目を大きくて温かな手のひらで塞いだ。
「ケイト先輩?」
「ごめんね、虫が居たから」
「えっ⁉」
「なーんて、嘘」
「もうっ! ケイト先輩!」
「あはは。ごめんごめん」
私を揶揄うケイト先輩にもうっと拗ねながら、それでもまたこうして触れ合えることが嬉しくて。きっとこうやって、もっと好きになっていくのだ。
「ねえ、監督生ちゃん」
「はい?」
「――月は届きましたか?」
「……え?」
「なーんてね?」
ケイト先輩は私の瞼から手のひらを離し、そうしてにっこりと笑ってそのままスルリと手を取ると、柔らかに握られる。
私はなんだかとても重要なことを思い出したような気がしたけれども、でもケイト先輩が幸せそうだから良いかと繋がれた手のひらをしっかりと握り返した。
***
「月は届きましたか、ね?」
自分で発した言葉ながら笑えてくる。
オレだけの月はいつでも傍に在るもので、決して離してなんてやらないっていうのに。
「でも、オレ怒ってるんだよね」
怒ることは無意味で、労力を使うからなるべくしたくはない。
けれども監督生ちゃんのことになると自分の感情がコントロールできなくなる。困ったことだと零しながらも、大して困っていないのが実情だ。
「監督生ちゃんがオレを真っ先に頼ってくれなかったこと、乱暴にされかけたって言うのに諦めたこと、クルーウェル先生に助けられたことを何も言わなかったこと、エースくんたちに最初に話したこと」
全部全部怒っている。でも、それは表には出さない。そんなことをすればきっと彼女はまた逃げてしまうから。
「異世界にまで逃げられたらさすがのけーくんでも追い掛けるのは難しいからね」
その文献を見たのは偶然だった。いや、この世界にもしかしたら偶然という言葉はないのかも知れないけれども。
逃げられて居る中、必死で少しでも彼女の放った言葉の意味を知りたくて図書館で調べていた。そんな時だ。頭の上に一冊の本が降ってきたのは。
そこに書かれていた文字はこの国の言葉じゃなかったから読めなかったけれども、なんとなく伝わって来た。まるでその本が教えてやろうとでも言わんばかりに。
そのお節介な魔法書のお陰で、彼女がオレに何を伝えたいのか分かった。
自分が発した言葉があまりに軽薄な言葉に感じた。そんなつもりはないのに、そう思ってしまったのだ。
あの日辛そうに「月が遠い」と言った監督生ちゃんは、オレの心が見えないと、そう言ったのだから。
その過程で彼女がどうしてオレを避けているかの経緯も分かった。
優しい優しい学園長が「ちょっとどうにかしてくださいよ。私、優しいのでどうして監督生さんが貴方を避けているのか教えてあげますから」と突然声を掛けてきたのだ。そこで知った事実に、目の前が真っ赤になったのを良く覚えている。
「安心してください。私、優しいので……犯人はとっくに退学手続きをしていますよ。――人殺しなんて名門ナイトレイブンカレッジからは出したくないですからねぇ」
ああ、私なんて優しいんでしょう!
そう言って、学園長は話すだけ話して去って行った。
確かに、そいつが目の前に居たらぶん殴るだけじゃ事足りず、勢い余ってうっかり殺しかねない。そんなことになればオレは監督生ちゃんを幸せには出来ない。
そう自分に言い聞かせて、何度も深呼吸をしてやっと自分を落ち着けた。
オレは監督生ちゃんが好きだ。だから元居た異世界に帰す気もさらさらない。それを監督生ちゃんが望んでいなくても、だ。
「オレにこんな感情を植え付けた君が悪いんだから」
だから責任取って、老いたその先、死んでも一緒に居て欲しい。
「オレの想いはね? 結構重いんだよ」
普段は軽く見せているだけで、この世のすべてから君を隠して閉じ込めてしまいたいくらいには君を、君だけを――
「あいしてる」
さあ、お姫様。どうか王子ではなくオレ――ヴィラン――の手を取って。共に茨の道を歩いて往こう。だってそうでしょう? 二人めでたく結ばれて末永く幸せに暮らせばハッピーエンドって、相場は決まってるんだからさ。
「それに君は気付いてなかったみたいだけど、」
オレが君と居る時にマジカメを弄らないその意味にそろそろ気付いて欲しいなぁ。今一番美しく綺麗な君を肉眼に納めておきたい。ただそれだけの感情を。
「月が、綺麗だ」
見上げた夜空に浮かんだ月は大きく輝いていた。まるで監督生ちゃんの瞳みたいで食べたくなるなぁ。なんて、ぺろりと唇を舐める。
こんなオレの心なんて、君はもしかしたら一生知らなくてもいいのかも知れないね?
「月はいつでも君を見ています」
ふと、そんな言葉が漏れ出ていた。
ケイト先輩が夜空を指して「監督生ちゃん! ほら見て? 月が凄く綺麗だよ!」なんて言うからだ。だからそんな言葉を零してしまったのだと、責任転嫁している自分に気付きながら。
ケイト先輩はきょとりと何も分かっていない顔をしていた。
もしかしたらこちらの世界では「月が綺麗ですね」の返しを知らないのかも知れない。そもそもケイト先輩は夜空を指して言ったのだから、私の言葉こそが間違っているのだろうが。
それでも、自分の中の拭いきれない不安が零れ出ていた。
人の気も知らないで、へらへらといつものように振る舞うケイト先輩が憎くて、苦しくて。
「監督生ちゃん? どうしたの?」
「……これが私の先輩への想いです。そう言ったら、先輩はどう思いますか?」
「え……?」
きっとケイト先輩には何も伝わっていないのだろう。それでも良いだなんて、なんて独りよがりな感情なのだろうか。これでは恋人と呼べない関係なのかも知れないな、と苦く笑った。
「どうしたの、監督生ちゃん? 何かあった?」
「何もないですよ、ケイト先輩が心配されることは、何も」
「何かあったからそんな難しい顔してるんでしょ? ほら、けーくんに話してみな?」
「……触らないでください!」
「……っ、監督生ちゃん?」
「……! すみません。私、もう今日は帰ります」
「そ、っか。寮まで送るよ。もう暗いし何かあったら危ないもん」
柔らかな笑顔でそう言うケイト先輩を見ていると暗い感情が溢れてくるような、そんな気がして嫌になる。こんな可愛くない態度を取ったら、嫌われてしまうのではないのかと思うのに。それでも口をついて出たのは、違う言葉だった。
「大丈夫です。私こう見えて強いので。それでは先輩、また学校で」
「ちょ、監督生ちゃん⁉」
そう言って逃げたのが、一週間前。
そうして今日とうとう徹底的に恋人であるケイト先輩を避けている私に「何があった?」と親友であり学友でもあるエースとデュースが問い詰めて来た。ご丁寧に両脇に座られている為に動けない。ついでにグリムが私の頭の上に乗っている。グリム、あなただけは私に味方してくれるって信じてたのに……。なんて嘆いても逃げているのは本当なので仕方がないのだが。
「で? ホントに何があったわけ? というか早く仲直りしてくんねー? ケイト先輩めちゃくちゃ落ち込んで……色んな意味で大変なんだけど」
「別に……、喧嘩してるわけじゃないよ」
「じゃあ、ナニ? ケイト先輩関連で何かあったワケ?」
エースの言葉にビクリと肩が震える。その反応でエースは私に何かあったことを悟ったのだろう。問い詰めるような口調から、今度は穏やかな口調に変えて言葉を紡ぐ。
「ケイト先輩に何かされた?」
その言葉には首を緩く振る。ケイト先輩が私に危害を加えることはない。それくらいの信用は寄せているし、信頼もしている。
「じゃあ、他の奴になんかされた?」
エースの紅の瞳はあまりに確信的で、何もかもを見透かしているよう。
なんとなく知っているのかな? とすら思って私も観念して話し始めた。
――それを言われたのは一週間前。
奇しくも、ケイト先輩とデートをする直前のことだった。
「顏だけ女が、どうせ一発ヤラせてケイトと関係持ったんだろ。俺にも一発ヤラせろよ」
「……は? あなた誰ですか?」
「魔法も使えない一年生が、なんで寮長たちに気に入られてるか知らねぇけど、どうせ全員と関係持ってんだろ!」
その言葉に目の前が真っ赤に染まった。
「……っ、そんなこと! あるわけない!」
ハーツラビュルの寮生なのだろうか? 寮長であるリドル先輩に目を掛けて貰っている私が気に食わないのだろう。噛みつく様に否定すれば、胸ぐらを掴まれ、ドンっと背中を校舎の壁に押し付けられた。
ああ、不味いなぁ。ここあんまり人が来ないような場所なんだけど……。叫ぶ? 誰か助けて! って?
――そんなこと出来なかった。
男子校にただひとりの女というだけで、ただでさえ舐められやすい。それに、もし次に何かあれば……。
『もし次に何か問題が起きれば、私にも考えがありますよ』
以前学園長に言われたその言葉。それは恐らく退学だろう。
身寄りのない自分だが、そうは言っても問題ばかり起こしていれば退学くらい簡単になると思う。むしろ今まで良くならなかったなと思った。あんな学園長でも、やはり教育者という立場ということだろうか。
仕方ないのかなぁ、とも思う。こんな時に都合よく助けてくれる王子様は結局のところ居ないわけだし。
そう思って、私は抵抗をやめた。退学が嫌だとか、そういうのではなかった。ただ、ケイト先輩に会えなくなるのが嫌だった。
そんな、簡単で単純な恋心。
観念して大人しくしていれば、服が破かれた。その時だった。
「お前達! 何をしている!」
「ゲッ、クルーウェル⁉」
「逃げるな! 馬鹿犬!」
女の子のピンチに王子様じゃなくて先生が現れたのは、なんとも一般的な学校だなぁと何処か冷静な頭で考えていた。
「アイツ、逃げるなと言ったのに逃げたな。後で仕置きが必要なようだ。……仔犬。大丈夫だったか?」
「クルーウェル先生……」
「どうした?」
「私は、」
――ケイト先輩に会わせる顏がありません。
「どういうことだ?」
「こんな、簡単に身体を開こうとする彼女は嫌だと思います」
少なくとも私は嫌です。ケイト先輩が他の女性を抱くその姿を見るのは、嫌です。
「……仔犬。確かにお前は抵抗しなかった。たまたま俺が発見できたから助かった。だが、抵抗すればもっと酷いことになっていたかも知れない。結果だけを見るのなら、仔犬の判断は正しかった」
「でも……言われたんです」
あの先輩は言ったのだ。「一発ヤラせたから関係が出来た」と。どうしてそんなことを知っているのかと、不思議で仕方なかった。
私とケイト先輩は恋人同士で、そういう行為をしていないわけではない。
でも、何故そのことを見も知らない先輩が知っているのだろうか? ケイト先輩が言い触らした? そんなことをするタイプには見えなかったけれども。思春期男子というのはそういうものなのだろうか。
「とにかく、怖かっただろう。今日のことは学園長に報告しておくから、寮に帰って休みなさい」
「でも、今日はちょっと用事が……」
「こんなことがあったのにか?」
「……こんなことがあったから、余計に、です」
「……そうか。なら、少し身支度をしてから行くといい」
「え、」
「ステイ」
クルーウェル先生はそういうとマジカルペンを私に向け、振る。
一瞬のうちに破けた衣服が元に戻った。魔法ってすごいなと、感心していたら頭を撫でられた。その手つきが優しくて、兄が居たらこんなだったのだろうかと考えてしまった。
「クルーウェル先生、ありがとうございます」
「礼なら、仔犬らしく笑っていればいい」
「はい」
ぺこりと頭を下げて、そうしてそのままケイト先輩との約束の場所まで駆けて行った。
デートは滞りなく進んで、特にケイト先輩に何かを言われたわけでも、何か苦しめられたわけでも、勿論ない。
それでも先程まであった確かな恐怖心が背筋を這うように襲ってくるのだ。
ケイト先輩は嘘が上手い人だ。取り繕うのが上手い人だ。だからこそ、私に告白してくれたケイト先輩の平然とした顔の横に見えた真っ赤な耳を信じたかった。
「監督生ちゃん、月が綺麗だよ! ほら、見てみて!」
不意に言われた私の世界ではわりとポピュラーであろう言葉。
ケイト先輩、その言葉の意味を知っていますか?
なんて、言えなかった。言えなかった代わりに発したのは、肯定の言葉ではなく、別の言葉だった。
「月は遠く輝いていて、私にはその姿が見えません」
――あなたの心が遠すぎて、私にはもう何も見えません。
そう言い残して、私はケイト先輩から逃げた。分からなくなったのだ。ケイト先輩という人間が。私にはまったく分からない。ずっと見て来た筈なのに。告白してくれた時、同じ想いで嬉しかったのに。
それすらもただ、性を発散する為だけの演技だったのではないのかと。
そこまで考えたら怖くて。だから逃げた。
知りたくなかったから、本当のことなんて。分かりたくなかったから、真実なんて。
「だから逃げて逃げて、今に至ると。そういうこと? 監督生」
「……はい。逃げてすみません」
「いや、それを言うのは俺らにじゃないから。ケイト先輩にだから」
「うぅ、私が信じられるのはエースとデュースとグリムだけだよ」
「監督生が僕達を信じてくれるのは嬉しいが、それでも一度先輩と話した方がいいんじゃないか?」
「お、デュースにしては珍しく良いこというじゃん!」
「ああ、ケリは早めに付けた方がいいからな」
「……やっぱり今の発言ナシ。デュース、お前なんてこと言うんだよ⁉」
「別れ話をしたいということではなかったのか?」
「誰もそんな話はしてません! ああ⁉ そのきょとん顏マジやめろ! 腹立つから」
エースとデュースの漫才のような掛け合いを見ながら、いいなぁ、と思う。
私も男の子だったらこんな風に悩まなかったのかなぁ。
男の子だったなら、ケイト先輩にこんな恋心なんて抱かずに、ただの先輩後輩で居られたのかなぁ。
そんなことを考えて、それでもきっと私はどう足掻いても先輩を好きになる運命だったのだろうな、と思うのだ。
たとえば、私が女じゃなくても。たとえば、私が人間じゃなくても。きっとケイト先輩に恋をした。そうでなければこんな風に悩むことはないのだろう。……そう思い込んでいるだけかも知れないけれども。
「あー……、とりあえずさ? 先輩と話してみろって。逃げ回ってるだけじゃなんも解決しねぇよ」
「そうだね、うん。逃げるのやめてみる」
「おう。まあ、ガンバレよ」
「ありがとう、エース。デュース」
「ふなっ。オレ様に感謝の言葉がないんだゾ!」
「ごめんごめん、グリムも心配してくれてたんだよね。最近寝付くまでずっと起きててくれてたみたいだし。ありがとう、グリム」
「ま、まあ、オレ様は親分だからな! 子分の為だから当然なんだゾ!」
グリムは照れたように顔を背けてそう言う。そのあと、「あ、」と言う声を発した。どうしたのかな? と思ってそちらを見ると、そこにはケイト先輩が居た。
カツカツと靴音を鳴らして近付いて来るケイト先輩。その表情は伺い知れないけれども、何処か近寄り難い雰囲気を纏っていた。
「け、ケイトせんぱ、」
「来て」
「え、ちょ、っ」
グイッと腕を引っ張られ痛みに顔を歪める。ケイト先輩はそれを一瞥するだけで私の腕を掴んだまま食堂から何処かに連れて行こうとする。
「ど、何処に行くんですか⁉」
「……」
「どうしたんですか、一体⁉ なんなんです、突然⁉」
「なんなんですは、こっちのセリフだよ!」
「あ、」
ケイト先輩が発した言葉は低く、とてもじゃないが平常時とは異なる、怒った時の声だった。
「監督生ちゃん。どうしてこの一週間逃げてたの?」
「そ、れは……」
「もう、オレなんてどうでも良くなった? あの二人の方が良くなった?」
「あの二人? って、エースとデュースのことですか?」
「あの、さぁ。オレと二人で居るのに、どうして他の男の名前を平気で呼べるの?」
「ケイト先輩?」
「……君の前ではスマートな自分で居たかったのに。どうしてこうも上手くいかないかなぁ」
「……先輩は、私のことどう思ってます?」
「ええ、……今更それ聞いちゃう?」
「言葉が、欲しくて」
「……好きだよ。オレは、君のことが好きで好きでたまらないの」
ね、監督生ちゃん。とケイト先輩は私の顔を覗き込むように見つめる。エメラルドのような瞳の中に私の瞳が映った。前に「月の色だね」と言われたのを今何となく思い出した。
そんなことを考えていたらケイト先輩が小さく「ごめんね」と呟いた。
「え?」
「ごめん。守れなくて。怖かったよね。本当にごめん」
「知って、たんですか?」
「正確には『教えて貰った』かな?」
「誰に、……クルーウェル先生ですか?」
「誰だと思う?」
「せ、先輩! 人の一大事をなんだと思って……!」
「ちゃんと一大事って自覚はあったんだね。……でも、知った時は肝が冷えたよ」
ケイト先輩が私の髪に触れる。そうしてするりと撫でると私の肩に自分の顔を乗せた。その姿がなんだか、少し前に現れた不思議でぷにぷにしていて小さな生き物みたいでクスリと笑ってしまった。
あの小さなケイト先輩もすごく可愛かったなぁ。
「ナニ笑ってんの? オレ結構心配したんだよ?」
「……なんというか、言葉って偉大ですね」
「どゆこと? 頭の悪いけーくんにも分かるように言って⁉」
「ふふ、つまるところ。割れ鍋に綴じ蓋ってやつです」
「? それも、監督生ちゃんの世界の言葉なの?」
「はい? そうですよ」
「ふぅん、良く分からないけど、つまりどういうことなわけ?」
「どうしようもなく、――お似合いってことですよ」
そう言って肩にあるケイト先輩の髪を撫でた。まるで子供にするかのように、よしよしと。ふわりとした柔らかな髪が手のひらにあたるのが心地好い。
「あー。しっかし、久し振りの監督生ちゃんだー」
「っう、逃げ回ってすみませんデシタ」
「いいよ、もう。この手の中に戻ってきてくれるなら、もうなんでも良いよ」
「私は何処にも行きませんよ?」
「――本当に?」
「ケイト先輩?」
不意に真面目な声になった気がして、思わず聞き返す。ケイト先輩は悪戯っ子のように笑いながら「なんでもないよ」と返した。
「何処にも行かないなら、それで大丈夫」
「ふふ、変なケイト先輩ですね」
「けーくん好きな子にはこうなのかも知れないかも?」
「自分で分からないんですか?」
「オレ、誰かをちゃんと好きになったのって監督生ちゃんが初めてだから」
「そ、なんですね……」
「うん。そうだよ」
「なんか、照れますね」
「監督生ちゃんは、けーくんの心を掻っ攫って行ったのに、まったくその自覚がないんだから。困っちゃうなぁ」
「すみません……」
「謝るのはナシにしよ? ほら、けーくんと仲直りしたことだし、今度の終末仲直りデートでもしようよ。トレイくんお墨付きの美味しいカフェを教えて貰ったんだ」
「いいんですか? これで仲直りで……」
「いいの! これ以上仲違いしたままで居たくないしね」
「……はい」
「ようやく、笑った」
「え、」
「ずっと暗い顔だったから、けーくんは心配してたのです」
「ふふ、なんですか。その喋り方」
「可愛いでしょ?」
「自分で言わないでくださいよ、可愛いですけど」
「ね、監督生ちゃん」
「はい?」
「ずっと、一緒に居ようね」
「……はい、ずっとケイト先輩と一緒に居られたら、それは幸せなんでしょうね」
――ああ、でもそうか。それは過去を、生きていた場所を、捨てるということなのか。
そう思った瞬間、ケイト先輩は私の両目を大きくて温かな手のひらで塞いだ。
「ケイト先輩?」
「ごめんね、虫が居たから」
「えっ⁉」
「なーんて、嘘」
「もうっ! ケイト先輩!」
「あはは。ごめんごめん」
私を揶揄うケイト先輩にもうっと拗ねながら、それでもまたこうして触れ合えることが嬉しくて。きっとこうやって、もっと好きになっていくのだ。
「ねえ、監督生ちゃん」
「はい?」
「――月は届きましたか?」
「……え?」
「なーんてね?」
ケイト先輩は私の瞼から手のひらを離し、そうしてにっこりと笑ってそのままスルリと手を取ると、柔らかに握られる。
私はなんだかとても重要なことを思い出したような気がしたけれども、でもケイト先輩が幸せそうだから良いかと繋がれた手のひらをしっかりと握り返した。
***
「月は届きましたか、ね?」
自分で発した言葉ながら笑えてくる。
オレだけの月はいつでも傍に在るもので、決して離してなんてやらないっていうのに。
「でも、オレ怒ってるんだよね」
怒ることは無意味で、労力を使うからなるべくしたくはない。
けれども監督生ちゃんのことになると自分の感情がコントロールできなくなる。困ったことだと零しながらも、大して困っていないのが実情だ。
「監督生ちゃんがオレを真っ先に頼ってくれなかったこと、乱暴にされかけたって言うのに諦めたこと、クルーウェル先生に助けられたことを何も言わなかったこと、エースくんたちに最初に話したこと」
全部全部怒っている。でも、それは表には出さない。そんなことをすればきっと彼女はまた逃げてしまうから。
「異世界にまで逃げられたらさすがのけーくんでも追い掛けるのは難しいからね」
その文献を見たのは偶然だった。いや、この世界にもしかしたら偶然という言葉はないのかも知れないけれども。
逃げられて居る中、必死で少しでも彼女の放った言葉の意味を知りたくて図書館で調べていた。そんな時だ。頭の上に一冊の本が降ってきたのは。
そこに書かれていた文字はこの国の言葉じゃなかったから読めなかったけれども、なんとなく伝わって来た。まるでその本が教えてやろうとでも言わんばかりに。
そのお節介な魔法書のお陰で、彼女がオレに何を伝えたいのか分かった。
自分が発した言葉があまりに軽薄な言葉に感じた。そんなつもりはないのに、そう思ってしまったのだ。
あの日辛そうに「月が遠い」と言った監督生ちゃんは、オレの心が見えないと、そう言ったのだから。
その過程で彼女がどうしてオレを避けているかの経緯も分かった。
優しい優しい学園長が「ちょっとどうにかしてくださいよ。私、優しいのでどうして監督生さんが貴方を避けているのか教えてあげますから」と突然声を掛けてきたのだ。そこで知った事実に、目の前が真っ赤になったのを良く覚えている。
「安心してください。私、優しいので……犯人はとっくに退学手続きをしていますよ。――人殺しなんて名門ナイトレイブンカレッジからは出したくないですからねぇ」
ああ、私なんて優しいんでしょう!
そう言って、学園長は話すだけ話して去って行った。
確かに、そいつが目の前に居たらぶん殴るだけじゃ事足りず、勢い余ってうっかり殺しかねない。そんなことになればオレは監督生ちゃんを幸せには出来ない。
そう自分に言い聞かせて、何度も深呼吸をしてやっと自分を落ち着けた。
オレは監督生ちゃんが好きだ。だから元居た異世界に帰す気もさらさらない。それを監督生ちゃんが望んでいなくても、だ。
「オレにこんな感情を植え付けた君が悪いんだから」
だから責任取って、老いたその先、死んでも一緒に居て欲しい。
「オレの想いはね? 結構重いんだよ」
普段は軽く見せているだけで、この世のすべてから君を隠して閉じ込めてしまいたいくらいには君を、君だけを――
「あいしてる」
さあ、お姫様。どうか王子ではなくオレ――ヴィラン――の手を取って。共に茨の道を歩いて往こう。だってそうでしょう? 二人めでたく結ばれて末永く幸せに暮らせばハッピーエンドって、相場は決まってるんだからさ。
「それに君は気付いてなかったみたいだけど、」
オレが君と居る時にマジカメを弄らないその意味にそろそろ気付いて欲しいなぁ。今一番美しく綺麗な君を肉眼に納めておきたい。ただそれだけの感情を。
「月が、綺麗だ」
見上げた夜空に浮かんだ月は大きく輝いていた。まるで監督生ちゃんの瞳みたいで食べたくなるなぁ。なんて、ぺろりと唇を舐める。
こんなオレの心なんて、君はもしかしたら一生知らなくてもいいのかも知れないね?
「月はいつでも君を見ています」