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グイッと服の裾を引っ張られて思わず足を止める。本当は振り向きたくなかった。けれども彼女と過ごした時間は、今にも走り出してしまいたい足を止めてしまう程には長かったようだ。

「すみません……私が悪かったです」

だから怒らないでください、アズール先輩。
そう呟く声は少しだけ震えていた。
別に怒ってはいないのだが。いや。本当は少し怒っている。怒ってはいるけれども、彼女を怯えさせるほど怒ってはいない。
というか、彼女の言動のひとつひとつに怒っていたら僕の寿命がどんどん小さくなっていくレベルで彼女は命知らずだ。
本当は臆病なくせに、弱いものイジメを見逃せず今日だって放っておけばいいのにカツアゲをされていた同級生を放っておけず巻き込まれ、その体に傷を作った。
自分が誰の番であるか、全く以て理解していないようだ。

「あなたにはいい加減、呆れという感情すらも通り越した何かを抱いてしまそうですね」

はあ、と溜息を吐いてから包帯の巻かれた腕を取る。痛々しい姿に思わず眉間に皺が寄ってしまった。

「アズール先輩は、それでも私の手当をしてくれるんですね……」

ぽそりと呟かれたその言葉に、当然だとすぐさま即答する。

「自分の番に怪我をさせたまま放っておく雄は居ないと思いますが?」

海の中での常識を語れば、監督生さんは一瞬驚いたように目を見開いて、そうして花咲くように微笑んだ。この顔に弱いと知っておきながら、まったく。困った人だ。

「それで?どの寮の人間なんです?」
「誰がですか?」
「あなたを傷付けた人間ですが?」

まさか隠し立てする気か?と胡乱げに監督生さんを見ればまたもや驚いた顔をした。まさかこの人……。

「まさか僕が、番であるあなたを傷付けた人間を許すような男だと、あなたはそう思っているんです?」
「いやでも、これは私の喧嘩なんで……」

外野は黙ってろとでも言わんばかりの言い分に、額に一瞬青筋が浮かんでしまったのは許されるだろう。

「頑固な監督生さんにチャンスをあげます」
「チャンス?」

何を言っているんだ、この人……と、コロコロと変わる表情を内心面白いと思いながら。時に優しく子守唄でも歌うかのように、時に言いつけを守らない子供を叱る親のように、柔らかにけれどもハッキリと告げた。

「あなたを傷付けた人間の名前か特徴、または寮名を言うか、その寮の寮長を言うか。選ばせてあげます」
「それ、実質一択みたいなものですよね?大丈夫なんです?その寮生が」
「もちろん、僕にかかれば問題なく処理しますよ」

彼女を気に入ってる寮長も多い。恐らく、というか確実にその寮の寮長も協力してくれることだろう。

「処理って、何する気ですか?」

監督生さんは至極嫌そうな顔をしながら、それでも誰だと言う気はなさそうだ。諦めの悪い人ですねぇ。人のいい彼女は言わないだろうことを知っている。それを美徳だとは言わない。むしろ愚かですらあると思う。
それでも、そんな愚かなところにも惚れてしまったのだから仕方がないのだろう。

「……そこまで頑ななんですね」
「すみません……」

それなら僕にも考えがあります。と彼女を見つめながら言う。

「考え?」
「ええ、まあ簡単ですよ。その体に聞くだけですから」
「……えっ、」

びくっと体を大きく跳ねさせあからさまに怯えた表情を作った監督生さんのことなどまったく気にしない。僕は悪くない。心配している僕の心情を理解せず、言わない監督生さんが悪いのだと決め付ける。

「いや、それは、穏便に解決しませんか?アズール先輩?ね?」
「僕は何度も穏便に解決しようとしましたよ?あなたは気付いてくれませんでしたけどね?」

ひゅっと監督生さんは息を飲む。別に取って食うわけでもないというのにこの怯えようは、まったく失礼しちゃいますね。
ちょっとこの前泣かせ過ぎた自覚はありますが……まあ、高校生男子というものを舐めないで頂きたい。

「あの、アズール先輩……実はめちゃくちゃ怒ってました?」
「おや、監督生さん。もしかして今気付いたんです?」

あなたが話さないことはどちらでも良かったんです。
あなたが僕を頼らないままに傷を負ったことに、とってもとっても、怒ってますよ?
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