まほやく

 眠っている賢者の頬に触れ、そのままなぞるように首元まで辿り着く。
 私の手の中に納まるほどの細やかな白い首は、その気になればいつでも折れる。
 そうしないのは、自分が賢者の魔法使いだからか?
 そうでなかったら、誰がこんな小娘の話を聞くのか、と。
 きっと今ではない自分であったなら、一蹴していただろう。
 もし、この女が賢者でなかったら。
 どうして居たのだろうか。
 殺していた? それとも、ただ在るがままにその辺の人間と同じように扱っていた?
 いや。まず出逢って居なかったという線もある。
 何かの運命が捻じ曲がり、彼女は賢者となり、私は賢者の魔法使いとなった。
 もっとも、私が賢者の魔法使いに選ばれたのはもうずっと前の話だが。
 彼女の魔法使いとして私は生を得ている。実際はどうであれ、畏れられ、畏怖される私がいまの生活を享受し甘受しているのは彼女の影響が強いのだろう。
 生きていればいつか死ぬ。それが遅かれ早かれ誰にでも平等に来たるこの世の原理だ。
 だから、そう。何が言いたくて何がやりたいのかと言えば。

「私は、お前が居なくなる未来を想像できない」

 だから殺そう。この手で殺めてしまおう。誰にも触れられない場所に。誰にも笑い掛けない場所に。静かに屠ってしまおう。

「ん……オズ? どうしたんですか?」

「賢者よ、お前はこれから死ぬ」

「……そうなんですか?」

「何も言わないのか」

「んー、オズに殺されるなら、わりと本望ですので」

 ギュッと心臓が痛んだ。ついでバクバクと鳴り響く。
 結局、自分はこの清らかで少し狂った小娘を手に掛けることが出来なかった。

「オズ、昨日の夜は結局なんだったんですか?」

「すまなかった」

「いえ、私は謝罪を聞きたいのではなくてですね……」

 んー、と賢者は人差指を唇に宛てがい、そうしてひらめいたとばかりにポンッと手を叩いた。

「いつでも待ってますよ、オズ。寂しくなったらいつでも来てください」

「どうしてそうなる」

「え、だって寂しかったんでしょう?」

「寂しい?」

 この最強と謳われる魔法使いが、母親を求めるが如く寂しいなどという感情を抱くわけがない。
 そう思うのに、賢者の優しいまなこを見るとどうも言い知れない気持ちが湧いていて、居ても立ってもいられなくなる。

「いいんですよ、オズ。幾らでも頼ってください。それに、昨日言った言葉は本心ですから」

『オズに殺されるなら、わりと本望ですので』

 リフレインする声に、ぞくりと湧き立つ言い知れぬ感情。
 私はどうしたいのだろうか。ただ、分かるのは。

「お前が他の誰かを見ると、ざわつく」

「それはそれは。光栄ですね」

 にっこりと微笑んだ賢者は何も言わずに私を見て、「お腹空きましたね。今日の朝ごはんは何でしょうねぇ」と宣った。
 今日という日があることも、明日があることも、未来があることを示唆するような物言いに、笑いたくなった。

「次は殺すかも知れないぞ」

「それはそれで本望です」
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