まほやく
言葉の代わりに、静かに首を振られた。
「私は帰りたいんです」
だから、ごめんなさい。
そう言った賢者様に僕はどうしようもなく腹が立った。
折角僕がきみの面倒を見てあげるって言ってあげたのに。
折角僕がきみを愛してあげるって言ってあげたのに。
まあ、飽きるまでだけど。
でも、今の賢者様相手なら飽きないかなって思っていた。
だから放った言葉だったのに。
『オーエンの言葉はとても嬉しいです。凄く、凄く、嬉しいです』
そう言うならどうしてきみは僕に応えてくれないの?
どうして帰るだなんて言うのさ。
きみは僕のこと……
「僕が嫌いなの?」
ぽつり、呟いた言葉は宙を舞い、空に溶けた。
賢者様は静かに首を振る。違うのだと言うのなら、どうして?
「どうしてそんな酷いこと言うの?」
戸惑いと、困惑と、何よりぐつぐつと煮える腸の熱でどうにかなりそうだった。
こんなにも感情が揺さぶられることは滅多にないというのに。
不思議だね。きみに出逢ってから僕は可笑しくなったのかな?
「私は帰りたいんです」
「やだって、言ってる」
「お願いします、オーエン。聞いてください」
「やだよ。聞かない」
「オーエン……」
そう言って、僕は賢者様から目を背けた。
「……オーエン。帰りましょう? みんなのところへ」
「やだ」
「いや、やだ、じゃなくて……」
呆れたような声を発する賢者様は、仕方なさそうに溜め息を吐いた。
「分かりました、オーエンの気が済むまで傍に居ますよ」
「分かれば良いんだよ」
ようやく納得してくれたかと思って、僕は賢者様を再度見る。
此処は魔法で作った空間。賢者様を閉じ込める為の空間。
そこから賢者様は帰りたいと嘆くから、あんな悲劇しかない世界に帰りたいと喚くから。僕は傍に居て、彼女はこの空間の狭間を見付けないようにしないといけない。
空間は決して永遠でも無限でもない。そう錯覚させることは出来ても実際は出来ない。魔法は万能ではない。無制限に使えるわけでもない。
だから、そのことに賢者様が気付く前に終わらせなくてはならない。
すべてを――終わらせる。
そんなこと、僕が考える未来なんて想像できなかったな。
でも別に、そんな自分も悪くないと思っているんだ。
「オーエンは、何を考えているんですか?」
こちらの機嫌を伺うような声だ。賢者様らしくないなと思いながらも、僕は笑って答えた。
「僕はただ、賢者様と一緒に過ごしたいだけだよ」
そこに何か生産性を求めるわけでも、賢者様に何かを求めるわけでもない。
ただ、そう。傍に居たい。ただそれだけ。
「ふふ、でもそうだね。僕が何を考えているか当てたら、ここから出すことを考えてあげても良いよ」
「……本当ですか?」
「うん。ただし、当てられなかったら賢者様は永遠に僕と一緒。二人きりの完結した世界で共に居ようね」
「……善処します」
「何それ?」
前の賢者も使っていたような言葉だ。彼女は前の賢者と同じ国の生まれだったっけ。
まあ、そんなこと今はどうでも良いんだけれどもね。
だって今の賢者様はどう足掻いてもこの空間から出られないんだから。
僕の考えなんて、当てられないんだから。
「……オーエンにひとつ質問をしてもいいですか?」
「いいよ、正確に答えるかどうかは別としてね」
「それで大丈夫です。……オーエンが私をこの空間に閉じ込めている理由は、」
そこでひと呼吸分区切り、賢者様は静かに言った。
「――私を守る為ですか?」
「……さあ、どうだろうね?」
「そうですか。それがオーエンの答えなんですね」
賢者様は納得したように頷くと、腰掛けていたベッドから立ち上がり、静かに立ち上がった。
「オーエン、ここから出してください」
「聞き分けが悪いな。嫌だって言ったよね」
「答えを当てたら考えてくれるんじゃなかったんですか?」
「正解だとは言ってないよ」
「いいえ、オーエンは天邪鬼ですけど、下手な嘘は吐かないと信じていますから」
もう一度言います。
「オーエン、ここから出して。みんなと戦わせて」
「……」
僕が彼女を此処に閉じ込めている理由を、その馬鹿な頭は弾き出してしまったらしい。
僕が賢者様を閉じ込めた理由、それはたったひとつ。
「僕にも守りたいものが出来たんだよ?」
「ありがとうございます、オーエン。でも私も魔法使いの賢者としてやらなきゃいけないことですから」
「……どうして僕の言うことが聞けないの」
「私が、賢者として選ばれたからです」
たったそれだけの理由と言ってしまえばそれまでの。
けれども、それだけ重い任であることも確かで。
「賢者様。僕、やっぱり賢者様のこと嫌いだよ」
「そうですか、でも私はオーエンのこと大好きですよ」
にこりと暖かな太陽のように笑った賢者様の姿が透けていく。
それ即ち、この空間の崩壊を告げていた。
「オーエン。守ってくれて、ありがとうございます」
賢者様は静かにそう言った。湖面に出来る波紋の如く静かな声は、その姿を掴む前に消え去った。
残された僕はひとり、その空間に立ち尽くす。
「馬鹿な賢者様」
死ぬと分かって居ながら、どうして立ち向かえるのか。
折角守ってやっていたのに。安全で、優しくて、争いのない世界で。
気に入っていたから。賢者様のこと、気に入っていたから殺さないように、命を奪われないように、守ってやったのに。
「分かってる」
これが全部自己満足なことくらい。でも、良いよね。
「暖かかった」
賢者様の傍が、信じられないほど暖かかったから。だから、仕方ないよね。
さて、僕も外の世界に出なくちゃ。賢者様が戦うことを選んだのなら。
賢者の魔法使いとして、僕も闘わなくては。
「この日々が永遠に続けばいいだなんて、はじめて思った」
長い魔法使いとしての人生の中で、初めてそう思った。
これは終わりの物語。
とある場所。月と戦う世界で出逢った二人が静かに終わる物語。
賢者と呼ばれた女は一欠けらの石を大事そうに抱えながら、傷だらけの躰で静かに眠っていた。
二度と動かない彼女は、彼女を守った今は誰かも分からぬ石と共に、静かに眠った。
これは終わりの物語。
はじまりなどない、二人の物語。
「私は帰りたいんです」
だから、ごめんなさい。
そう言った賢者様に僕はどうしようもなく腹が立った。
折角僕がきみの面倒を見てあげるって言ってあげたのに。
折角僕がきみを愛してあげるって言ってあげたのに。
まあ、飽きるまでだけど。
でも、今の賢者様相手なら飽きないかなって思っていた。
だから放った言葉だったのに。
『オーエンの言葉はとても嬉しいです。凄く、凄く、嬉しいです』
そう言うならどうしてきみは僕に応えてくれないの?
どうして帰るだなんて言うのさ。
きみは僕のこと……
「僕が嫌いなの?」
ぽつり、呟いた言葉は宙を舞い、空に溶けた。
賢者様は静かに首を振る。違うのだと言うのなら、どうして?
「どうしてそんな酷いこと言うの?」
戸惑いと、困惑と、何よりぐつぐつと煮える腸の熱でどうにかなりそうだった。
こんなにも感情が揺さぶられることは滅多にないというのに。
不思議だね。きみに出逢ってから僕は可笑しくなったのかな?
「私は帰りたいんです」
「やだって、言ってる」
「お願いします、オーエン。聞いてください」
「やだよ。聞かない」
「オーエン……」
そう言って、僕は賢者様から目を背けた。
「……オーエン。帰りましょう? みんなのところへ」
「やだ」
「いや、やだ、じゃなくて……」
呆れたような声を発する賢者様は、仕方なさそうに溜め息を吐いた。
「分かりました、オーエンの気が済むまで傍に居ますよ」
「分かれば良いんだよ」
ようやく納得してくれたかと思って、僕は賢者様を再度見る。
此処は魔法で作った空間。賢者様を閉じ込める為の空間。
そこから賢者様は帰りたいと嘆くから、あんな悲劇しかない世界に帰りたいと喚くから。僕は傍に居て、彼女はこの空間の狭間を見付けないようにしないといけない。
空間は決して永遠でも無限でもない。そう錯覚させることは出来ても実際は出来ない。魔法は万能ではない。無制限に使えるわけでもない。
だから、そのことに賢者様が気付く前に終わらせなくてはならない。
すべてを――終わらせる。
そんなこと、僕が考える未来なんて想像できなかったな。
でも別に、そんな自分も悪くないと思っているんだ。
「オーエンは、何を考えているんですか?」
こちらの機嫌を伺うような声だ。賢者様らしくないなと思いながらも、僕は笑って答えた。
「僕はただ、賢者様と一緒に過ごしたいだけだよ」
そこに何か生産性を求めるわけでも、賢者様に何かを求めるわけでもない。
ただ、そう。傍に居たい。ただそれだけ。
「ふふ、でもそうだね。僕が何を考えているか当てたら、ここから出すことを考えてあげても良いよ」
「……本当ですか?」
「うん。ただし、当てられなかったら賢者様は永遠に僕と一緒。二人きりの完結した世界で共に居ようね」
「……善処します」
「何それ?」
前の賢者も使っていたような言葉だ。彼女は前の賢者と同じ国の生まれだったっけ。
まあ、そんなこと今はどうでも良いんだけれどもね。
だって今の賢者様はどう足掻いてもこの空間から出られないんだから。
僕の考えなんて、当てられないんだから。
「……オーエンにひとつ質問をしてもいいですか?」
「いいよ、正確に答えるかどうかは別としてね」
「それで大丈夫です。……オーエンが私をこの空間に閉じ込めている理由は、」
そこでひと呼吸分区切り、賢者様は静かに言った。
「――私を守る為ですか?」
「……さあ、どうだろうね?」
「そうですか。それがオーエンの答えなんですね」
賢者様は納得したように頷くと、腰掛けていたベッドから立ち上がり、静かに立ち上がった。
「オーエン、ここから出してください」
「聞き分けが悪いな。嫌だって言ったよね」
「答えを当てたら考えてくれるんじゃなかったんですか?」
「正解だとは言ってないよ」
「いいえ、オーエンは天邪鬼ですけど、下手な嘘は吐かないと信じていますから」
もう一度言います。
「オーエン、ここから出して。みんなと戦わせて」
「……」
僕が彼女を此処に閉じ込めている理由を、その馬鹿な頭は弾き出してしまったらしい。
僕が賢者様を閉じ込めた理由、それはたったひとつ。
「僕にも守りたいものが出来たんだよ?」
「ありがとうございます、オーエン。でも私も魔法使いの賢者としてやらなきゃいけないことですから」
「……どうして僕の言うことが聞けないの」
「私が、賢者として選ばれたからです」
たったそれだけの理由と言ってしまえばそれまでの。
けれども、それだけ重い任であることも確かで。
「賢者様。僕、やっぱり賢者様のこと嫌いだよ」
「そうですか、でも私はオーエンのこと大好きですよ」
にこりと暖かな太陽のように笑った賢者様の姿が透けていく。
それ即ち、この空間の崩壊を告げていた。
「オーエン。守ってくれて、ありがとうございます」
賢者様は静かにそう言った。湖面に出来る波紋の如く静かな声は、その姿を掴む前に消え去った。
残された僕はひとり、その空間に立ち尽くす。
「馬鹿な賢者様」
死ぬと分かって居ながら、どうして立ち向かえるのか。
折角守ってやっていたのに。安全で、優しくて、争いのない世界で。
気に入っていたから。賢者様のこと、気に入っていたから殺さないように、命を奪われないように、守ってやったのに。
「分かってる」
これが全部自己満足なことくらい。でも、良いよね。
「暖かかった」
賢者様の傍が、信じられないほど暖かかったから。だから、仕方ないよね。
さて、僕も外の世界に出なくちゃ。賢者様が戦うことを選んだのなら。
賢者の魔法使いとして、僕も闘わなくては。
「この日々が永遠に続けばいいだなんて、はじめて思った」
長い魔法使いとしての人生の中で、初めてそう思った。
これは終わりの物語。
とある場所。月と戦う世界で出逢った二人が静かに終わる物語。
賢者と呼ばれた女は一欠けらの石を大事そうに抱えながら、傷だらけの躰で静かに眠っていた。
二度と動かない彼女は、彼女を守った今は誰かも分からぬ石と共に、静かに眠った。
これは終わりの物語。
はじまりなどない、二人の物語。