まほやく
恋人が居なくなった。
居なくなった、というのは語弊があるか。
正確には俺と恋人同士だった記憶を失った晶なら居るのだから。それはもう元気な姿で。
ファウストが言うには、晶は呪われた。その呪った相手なら気付いた瞬間、すぐに石にしたと言っていたが。
俺が何かをする前に行動に移す辺り、みんな晶のことが……賢者様のことが少なからず好きなのだろう。それはもう、妬けるくらいには。
「本当なら俺が手を下してやりたかった」
「そう言うと思ったから僕がやった。……おまえが手を下しただなんて知ったら、賢者は悲しむだろうから」
「ファウスト、お前……やっぱりいい奴だよな」
「なっ、……はあ。僕は賢者に残っている呪いの残滓を取り除いてみるから、傍に居てやりなさい」
その時に見たファウストの表情は、ほんの少し憐れなものを見るような目だった。
表情の意味を知ったのは、目覚めた晶が発した言葉から。
「カイン……? どうして私の部屋に? というか、――の任務はどうしたんですか……?」
「……晶?」
「はい? なんですか、カイン」
「……その任務は、」
一ヶ月前に終わっている。なんて、言って良いのだろうか。
ああ、これか。ファウストも人が悪い。先に言っておいてくれたなら良かったのに。
いや、言わなかったのもファウストなりの優しさか。
俺は自分の目で、耳で、見聞きしたものしか信じないから。
だから言わなかったのだ。
『俺と恋人同士だった記憶が晶にはもうない』だなんて聞いたって、信じなかっただろうから。
どうして、晶を狙ったのだろう。
呪いを吐いものが何を意図したか分からないし、晶を魔法使いの賢者と知って呪ったかは知らないが、なんにせよ、俺にとっては大事なその感情がそいつにとったら邪魔だったのだろう。
(嗚呼……)
手のひらをギュッと握り締める。己の切りそろえた爪でさえ血が滲むほどの痛みが、この現状が現実だと告げている。
(確かに、俺が晶を呪ったやつを見たら、何をしていたか分からないな……)
やっと手に入れたのに。
大事で、大切だから。いつか帰ってしまうかも知れないけれどもこの時だけでもいいから傍に居たくて、居て、欲しくて。
たくさんアピールして、やっとの思いで告白までこぎつけて、傍に居る権利をようやく手に入れたと言うのに。
これでは、あんまりだ。
「カイン、どうかしましたか?」
「なぁ、晶……」
「はい?」
本当に忘れてしまったのか? 俺のことをもう好きでもなんでもないのか?
そう訊きたいことは山ほどあった。
けれども、今言える言葉はきっとひとつ。
「晶は、……突然倒れたんだ」
「えっ!? そうなんですか!?」
「ああ、最近仕事詰めだったし、少しは休んだ方がいい。あと、さっき言った任務は終わっている」
「そ、そうなんですか……? 確かに、そう言われるとそうかも知れません」
「寝惚けてたのかも知れないな。あまり根を詰めすぎるなよ!」
それじゃあ、な。
「カイン!」
それだけ言って立ち去るつもりだった。なのに出来なかったのは、他でもない、この世界で一番大事な女性が俺の名を呼んだから。
頼むから、これ以上俺の心を揺らさないで欲しいのに。
どうしたって、この声には逆らえない。
「なんだ、どうした? 晶」
「あ、……いえ。なんだか、少しだけカインが寂しそうな顔をしていた気がしたので」
そんなこと、ないのに。どうしてそう思ったんでしょうね。
へらりと笑う晶のその口を塞いでしまいたくなった。
だってそうだろう? その口から零れ出るのは、俺を想っての言葉なのだから。
つらい、つらいと心が叫ぶ。
今すぐにでも抱き締めて、俺がどれだけ彼女のことを想っているのかを告げたいのに、それは出来なくて。
「大丈夫だよ、賢者様」
賢者様、恋人同士になってからは公の場でしか呼ばなくなったその言葉は、案外しっくりと来て、なのに呼んだ途端に心に穴が空いたように寒々しくて。
恋とは、こんなにも苦しいものだったのだろうか。
確かに付き合う前も、幸せで、甘くて、砂糖菓子みたいな感情だけではなかったけれども。
こんなにもつらい感情を俺は抱いたことがあっただろうか?
「それなら、いいんですが」
にこりと笑って俺は今度こそ晶の部屋から出る。
そうしてその扉に寄りかかる。扉に背を預け滑らせながら蹲ると、とうとう我慢していた涙が伝い落ちてきた。悲鳴のように一瞬声が零れたが、それ以降は押し殺したような吐息だけが辺りに散らばった。
こんな風に忘れられても、それでも好きなのだ。
きっと嫌いになることは出来ない。無関心になることも出来ない。
変わらないのだ。何も。
晶のことが好きな気持ちだけは、どんなに時が経ても変わらない。
俺はただ、晶のことが、好きで。
ただ、それだけなんだ。
(だから、)
俺は諦めない。諦めが悪いのだ。昔から。
晶が俺のことを忘れても、もう一度好きになってもらえばいい。
ただそれだけの、簡単なようでいて、とても難しいこと。
「諦めない、絶対に……!」
だからいとしい人よ、もう一度。
――俺のことを好きになってくれますか?
居なくなった、というのは語弊があるか。
正確には俺と恋人同士だった記憶を失った晶なら居るのだから。それはもう元気な姿で。
ファウストが言うには、晶は呪われた。その呪った相手なら気付いた瞬間、すぐに石にしたと言っていたが。
俺が何かをする前に行動に移す辺り、みんな晶のことが……賢者様のことが少なからず好きなのだろう。それはもう、妬けるくらいには。
「本当なら俺が手を下してやりたかった」
「そう言うと思ったから僕がやった。……おまえが手を下しただなんて知ったら、賢者は悲しむだろうから」
「ファウスト、お前……やっぱりいい奴だよな」
「なっ、……はあ。僕は賢者に残っている呪いの残滓を取り除いてみるから、傍に居てやりなさい」
その時に見たファウストの表情は、ほんの少し憐れなものを見るような目だった。
表情の意味を知ったのは、目覚めた晶が発した言葉から。
「カイン……? どうして私の部屋に? というか、――の任務はどうしたんですか……?」
「……晶?」
「はい? なんですか、カイン」
「……その任務は、」
一ヶ月前に終わっている。なんて、言って良いのだろうか。
ああ、これか。ファウストも人が悪い。先に言っておいてくれたなら良かったのに。
いや、言わなかったのもファウストなりの優しさか。
俺は自分の目で、耳で、見聞きしたものしか信じないから。
だから言わなかったのだ。
『俺と恋人同士だった記憶が晶にはもうない』だなんて聞いたって、信じなかっただろうから。
どうして、晶を狙ったのだろう。
呪いを吐いものが何を意図したか分からないし、晶を魔法使いの賢者と知って呪ったかは知らないが、なんにせよ、俺にとっては大事なその感情がそいつにとったら邪魔だったのだろう。
(嗚呼……)
手のひらをギュッと握り締める。己の切りそろえた爪でさえ血が滲むほどの痛みが、この現状が現実だと告げている。
(確かに、俺が晶を呪ったやつを見たら、何をしていたか分からないな……)
やっと手に入れたのに。
大事で、大切だから。いつか帰ってしまうかも知れないけれどもこの時だけでもいいから傍に居たくて、居て、欲しくて。
たくさんアピールして、やっとの思いで告白までこぎつけて、傍に居る権利をようやく手に入れたと言うのに。
これでは、あんまりだ。
「カイン、どうかしましたか?」
「なぁ、晶……」
「はい?」
本当に忘れてしまったのか? 俺のことをもう好きでもなんでもないのか?
そう訊きたいことは山ほどあった。
けれども、今言える言葉はきっとひとつ。
「晶は、……突然倒れたんだ」
「えっ!? そうなんですか!?」
「ああ、最近仕事詰めだったし、少しは休んだ方がいい。あと、さっき言った任務は終わっている」
「そ、そうなんですか……? 確かに、そう言われるとそうかも知れません」
「寝惚けてたのかも知れないな。あまり根を詰めすぎるなよ!」
それじゃあ、な。
「カイン!」
それだけ言って立ち去るつもりだった。なのに出来なかったのは、他でもない、この世界で一番大事な女性が俺の名を呼んだから。
頼むから、これ以上俺の心を揺らさないで欲しいのに。
どうしたって、この声には逆らえない。
「なんだ、どうした? 晶」
「あ、……いえ。なんだか、少しだけカインが寂しそうな顔をしていた気がしたので」
そんなこと、ないのに。どうしてそう思ったんでしょうね。
へらりと笑う晶のその口を塞いでしまいたくなった。
だってそうだろう? その口から零れ出るのは、俺を想っての言葉なのだから。
つらい、つらいと心が叫ぶ。
今すぐにでも抱き締めて、俺がどれだけ彼女のことを想っているのかを告げたいのに、それは出来なくて。
「大丈夫だよ、賢者様」
賢者様、恋人同士になってからは公の場でしか呼ばなくなったその言葉は、案外しっくりと来て、なのに呼んだ途端に心に穴が空いたように寒々しくて。
恋とは、こんなにも苦しいものだったのだろうか。
確かに付き合う前も、幸せで、甘くて、砂糖菓子みたいな感情だけではなかったけれども。
こんなにもつらい感情を俺は抱いたことがあっただろうか?
「それなら、いいんですが」
にこりと笑って俺は今度こそ晶の部屋から出る。
そうしてその扉に寄りかかる。扉に背を預け滑らせながら蹲ると、とうとう我慢していた涙が伝い落ちてきた。悲鳴のように一瞬声が零れたが、それ以降は押し殺したような吐息だけが辺りに散らばった。
こんな風に忘れられても、それでも好きなのだ。
きっと嫌いになることは出来ない。無関心になることも出来ない。
変わらないのだ。何も。
晶のことが好きな気持ちだけは、どんなに時が経ても変わらない。
俺はただ、晶のことが、好きで。
ただ、それだけなんだ。
(だから、)
俺は諦めない。諦めが悪いのだ。昔から。
晶が俺のことを忘れても、もう一度好きになってもらえばいい。
ただそれだけの、簡単なようでいて、とても難しいこと。
「諦めない、絶対に……!」
だからいとしい人よ、もう一度。
――俺のことを好きになってくれますか?